Ⅸ
墓地へと到着した時。
辺りはすっかり暗くなっていた。
「おー…そー…い……」
そして、亜理沙を待っていたのは、地の底を這うような声で発せられた、ちょっとばかり不機嫌なクリスのお迎えだった。
「当社比で、かなり、結構、一生懸命、急いだつもりなのですが……?」
言われた通り「寄り道しないで直ぐ来ること」を遵守するため、だいぶ頑張ったつもりの亜理沙は、「はてな」と、首を傾げる。
「墓地から宿まで片道で15分。その間にあるパン屋から5分くらいのところに宿がある訳だから、宿に帰って、ここまで来るのに20分くらいかかる。でもこれは、オレが普通に歩いた時の計算だから、『寄り道しないで直ぐ来ること』って言われたアリサさんはたぶんちょっと急ぐでしょ?エーテル体のアリサさんに体力は関係無くて疲れる事もないから20分よりも少し早くなるはず。ただ、アリサさん、周囲に気をとられる事がよくあるから10分余計に見て、計30分以内の到着なら許容範囲。それ以上は遅い」
「わぁ~…細かぁ~…い……!」
本当に細かかった。
まさかクリスが分刻みのスケジュールを立ててお待ちになっていらっしゃるとは思っていなかった。
淀みなく言い放たれた時間計算に、亜理沙もビックリだ。
しかし、どうやってその時間の流れを導き出したのか……と、問えば、クリスは懐から銀色の懐中時計を取り出して見せる。
「そんな物を隠し持っていたとは!」
「隠し……まぁ、時間の経過を見るのが大事な仕事もあるから持ってはいるけど、こういう事でもなければ頻繁に確認したりしないし、隠し持ってると言えば隠し持ってるになるのか」
「なんと!頻繁に確認なさってたんで?」
「誰のせいだと思ってるの?」
そう言ったクリスの顔がだいぶ怖い。
本当に多大なご心配をかけていた様だ。
「すみません……」
「いや、無事だったならもういいよ……でも、何かあったの?」
「何か………………ああ、接触事故的なものが少々!」
「接触……事故……?」
事故と聞いてクリスは怪訝な顔になる。
亜理沙はここに来るまでにあった橋のところで、小さな女の子とぶつかった経緯を話した。
「……で、女の子に怪我はなかったんだけど……大丈夫ですかね?」
「大丈夫って、何が?」
「エクソシスト的なものとか、オーメン的なものとか」
「祓魔師は分かるけど……おーめん?」
クリスが首を傾げたので、亜理沙は自分たちの世界にある映画の事を説明する。
途中で身振り手振りまで交え出し、映画のとあるシーンの真似では、見事、クリスから「気持ち悪い、気持ち悪い!」というコメントを引き出すに至った。
「どうして、あえて、映画にしてまでそれを観たいのかオレには理解出来ないんだけど……要するにアリサさんは、自分がその映画に出てくる悪魔とか悪霊とかそういった類いに見えてしまったんじゃないかって心配してるってこと?」
「というより、そういうのが居るって噂になった時に、『悪霊が憑いてる~』とかって、クリスに、ご迷惑が乗っかるんじゃないかと……」
「ふっ……自分で自分に『悪霊』って」
亜理沙の言葉に、クリスが吹き出す。
先に悪霊と言ったのはクリスじゃないか……と、一瞬、亜理沙は思って、反論しようとしたが、よくよく考えると映画の話を持ち出して自らを悪霊に例えたのは亜理沙だったので、思い止まった。
「確かに、そういう、人ならざるモノとかそれに関わる人間は気味悪がられる傾向にあるけど……前も言ったと思うんだけど、オレにとっては今さらだし」
言いながらクリスが片手で亜理沙の両頬を挟んで来たので亜理沙の口がタコの様に尖る。
相変わらず感触はクラゲで、タコなのかクラゲなのかだんだん分からなくなってきた。
クリスは、そのまま亜理沙の頬を数回グニグニとやった後、手を離す。
解りにくいが、つまるところ、気にするな……ということらしい。
亜理沙の世界にも心霊的なものと向き合う職業はある。
しかし、こちらでは、冒険者組合の登録可能職業になっている様に、それがさらに職業として認知されており、その専門職のクリスが、霊的な存在と一緒に居ようがなんとでも言い訳は立つのだそうだ。
「それに、その女の子は怖がってる感じじゃなかったんでしょ?」
「オバケさんとは言われたけど……まあ、たぶん……?」
「恐怖とか嫌悪感を抱いてる様だったら判らないけど、それなら平気じゃないかな……まあ、仮にオレが霊を連れ歩いてるって話になっても、アリサさんが悪霊じゃないって証明は出来るから安心して」
言うなりクリスはこれ持ってみて……と、先ほどの懐中時計を亜理沙に手渡した。
手に取ると、背筋をすっと何かが走る感じを覚える。
「なんか、なんか、そわっとした!」
「そっか……アリサさんは、エーテル体で魂が剥き出しの状態だからそうなるのか」
クリスの時計は、色が示す通り、外側が銀の素材で出来ていた。
銀は魔除けの力も持っており、クリスの様な仕事をしている者は、お守りとして何かしら銀で出来た物を所持しているらしい。
「大体はナイフとか銃弾なんだけど、オレの場合はそれ。銀が魔を祓うのに有効なのは、こういう職業の奴には有名だから、それを持って平気な時点で、アリサさんが悪いものじゃないっていうのはこの仕事をしてる人間なら直ぐ判る。例え誰かが訴えてオレの元に同業者が派遣されたとしても、アリサさんの潔白はそれで証明出来るよ」
それから、クリスは、亜理沙の手首に巻かれた縛束紐に触れた。
「というか、縛束紐にも銀の繊維が編み込まれてるから、これを巻けて平然と行動出来てる事で、もう、アリサさんが悪霊なんかじゃないって同じ仕事をしてる奴には判るんだけど」
縛束紐の組紐みたいに編まれた糸の中には、銀の繊維が含まれているらしい。
量が少ないので、着けていて時計の様にそわっとなる事は無いが、独特の気配を亜理沙が感じるのは、その銀の繊維のせいなのかも知れない。
縛束紐の気配といえば、亜理沙は、もう一つ思い出した事があった。
「あのさ、クリス。この縛束紐ってお店とかで普通に買えるもの?」
「いや、材料は揃えられなくは無いかもしれないけど、特殊な組み方をして使用者自身が作るのがほとんどだから、オレみたいな生業の奴じゃないと持ってはいないと思う」
どうしてそんな事を訊くのかと問うクリスに、亜理沙は、件の少女が先端を輪にした投げ縄状の紐を持っていて、それが縛束紐の気配に似ていた旨を説明した。
「縛束紐って……アリサさん、何でそれを先に言わないの!!」