Ⅷ
そんなこんなで墓守りの仕事を始めてから数日が経った。
その間、ふらりと現れた不死者を死後の世界に送還する……などはちょこちょこあったが、見張りを警戒してなのか、墓荒らし自体は現れず、成果らしい成果はなかった。
あれから、もうずいぶんと顔馴染みになってしまったパン屋さんで、亜理沙は、本日の分のパンを購入する。
選ぶのは亜理沙だが、食べるのはクリスだ。
そもそもの出資者もクリスであるのだし、一応、毎回、買う前にクリスに「何が食べたい?」と、確認をとるのだが、常に「食べられる食べ物なら何でもいい」という答えが返ってきた。
そういえば、会って初日のクリスの朝食は、亜理沙に速球として投げられて来た無花果だったが、あれは、『果実の類いがが好きだから』という理由ではなく、『皮を剥かず、種を取り出す必要もなく、生のままで食べられるから』という理由だったに違いない。
どうにもその辺り、クリスは無頓着な様に亜理沙には感じられる。
(ちゃんと食べないと大きくなれないぞ、若者よ)
亜理沙は、今持っているツナとレタスのパンに、ベーコンとチーズのパンと、挽き肉と玉葱とトマトのパンを追加して、ついでにチェリーのパンを加えようとしたら、クリスに止められた。
「いや、だから、それ食べるのオレなんだって」
曰く、クリスは、そんなに食べられないという事だ。
「男の子って、もっと食べるものだと思ってたけど、違うの?」
「人によるんじゃない?」
「そうなん……ですかね……?」
パンを選ぶ時に、割りとはっきりと『クリスくらいの年頃の男の子が食べるなら、このくらいの量だ!』と、思い込んで選んでいたので、だとすると、覚えてはいないが、この知識は、亜理沙の身近な人……たぶん亜理沙の兄……を基準にしたものなのかも知れない。
とりあえず、手に取ってしまったものを戻すのも失礼なので、全部購入して食べられそうにないパンは明日に回すという事で話が纏まった。
墓守をしてる間、食べないものを置いておくと、もしもの際に、汚したり潰したりするかも知れないからと、一度、宿に戻ろうとするクリスに、亜理沙は待ったをかける。
「宿に置いてくるのは私がやるから、クリスは先にお墓に行っててよ。一回、宿に戻ってからお墓に行くと、いつもの時間を過ぎちゃうし」
しかし、クリスは、亜理沙が目の届く範囲から居なくなる事に難色を示した。
初日からいろいろやらかしているので、亜理沙の信頼はクリスの中でまだまだ回復していないらしい。
「でも、ほら、今はクリスの巻いてくれてる紐があるし、これがあれば、エーテル体……だっけ?の、存在も安定してるんでしょ?」
「縛束紐は絶対の安全じゃない」
「けど、ここから宿に戻って、パン置いたら、すぐお墓に行くだけだし、私、クリスよりお姉さんだし、それくらい、しっかりとこなせ……」
「そこに関して、アリサさんはオレの信頼を失っている」
「なんで、全部、言わせてくれないの!?」
お使いすら出来ないと思われているとは、真に遺憾の意である。
「ほら、そうこうしてるうちに時間が!ね?」
「……」
「パン大量買いしちゃったの私だし、責任取らせて!お願い!!」
「…………寄り道しないで直ぐ来ること」
「ありがとう!」
じゃあちょっと行ってくるからお墓で待っててね!……と、クリスに手を振って宿へ向かう亜理沙は、『クリスよりお姉さん』の威厳が、そんな自分に、全く無い事に気がついていなかった。
そうして無事宿へのお使いを済ませてクリスの元へ向かう途中。
亜理沙はスキップ状態で墓地までの道のりを移動していた。
クリスの言った、「寄り道しないで直ぐ来ること」を、守るため、本来は小走りくらいの感じで行きたいところだったが、縛束紐で実像を固定してあるとはいえ、土台はエーテルの体なので、走ろうとすれば、やはりどこか地に足のつかないふわふわとした足取りになってしまった為だ。
紐のない状態と同じく、スーっと移動する事も可能なのだが、誰にでも見える状態でそれをすると、阿鼻叫喚を生むので、歩くよりは気持ち速いという点で、スキップを採用した。
けれど、ただ無心の無言でスキップしていても、それはそれで怖いだろうと気づき、『嬉しい事があって浮き足立っているんですよ』風を装うため、楽し気に歌を口ずさみつつ、ぴょこぴょこと跳ねる。
「一かけ、ニかけて、三かけて〜、四かけて、五かけて、橋を……おおっ!」
日本にいた頃の記憶にあった、童歌を口にしていると、丁度、歌詞の『橋』の部分に当たるところで、用水路にかかった小さな橋のところに到着した。
(これは、ナイスなタイミングというやつ!)
……か、どうかは分からないが、偶然、歌詞と現実がシンクロした事には違いない。
歌詞と亜理沙、両方の行き先もお墓なので、そこも共通している。
(でも、この欄干は『腰かけ』られないなぁ……)
用水路は幅が1メートル有るか無いかといったところで、高さも無く、落ちてもそんなに痛手にならないだろうと思われているのか、それとも、その部分の材料費や手間を節約した結果なのか、欄干に当たる部分は設けられていなかった。
続く歌詞にあった、『橋の欄干腰をかけ』を、実行出来ないと、少しがっかりした亜理沙の背中側から何かが接触する衝撃があった。
(あ、マズイ……)
縛束紐で実像を持っているこの体は、液体を掴む様な感覚だが、一応、触れる事が出来る。
この『液体を掴む様な感覚』と『一応、触れる事が出来る』というのが、けったいなところで、クリスみたいな特定の能力を持ち合わせていたり、訓練を受けている者は、亜理沙に触れる事が可能だが、そうでない者は滝の水や噴水の水を潜る様に、亜理沙の体を突き抜ける。
今、背後からぶつかって来た相手は、当然、後者で、自分の体を抜けて行くゾワリとした触感を感じながら、亜理沙は慌てて相手に手を伸ばして体を支えた。
「あれ?あれ??」
ぶつかって来たのは、クリスよりも更に幼いであろう、女の子だった。
後ろからぶつかった相手の前に自分が居る状況が、理解出来ないのだろう。
戸惑いの声を上げながら、激しく瞬きを繰り返している。
「大丈夫ですか?怪我とかしてません?」
亜理沙の問いかけに、女の子は頷いた。
「ごめんなさい……おいかけっこをしていて前をむいてなかったの……」
「私にも何も大事はなかったので大丈夫ですよ……でも、もう暗くなる時間だし、足下も見え辛くなってくるんで、気をつけて下さいね」
再び、女の子は頷いて、じゃあねと、別れかけ……。
「おねえちゃんは、オバケさん?」
「え?」
「……やっぱり、なんでもない」
また、走り去って行った。
(走ったら、何かにぶつかりそうだけど……大丈夫かな……?)
小さくなって行く、女の子の背中を見送りながら、亜理沙は思う。
(オバケさん……)
女の子に言われた言葉。
あの状況でそう思われるのは当然だろうし、間違ってはいない。
しかし、亜理沙にはもう一つの気になる点と合わせて、それが引っ掛かっていた。
(あの子の持ってた紐……縛束紐っぽかったような……?)
亜理沙にぶつかった時、女の子は、先端が、丸く投げ縄の様に結ばれた紐を握っていた。
そして、その紐の纏う気配は、今、亜理沙の手首に巻かれている紐と、とてもよく似ていたのだった。