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宿屋の一室。


寝台に腰掛けたクリスが、手にしていた無花果(イチジク)を亜理沙に放る。

クリスの近くをふわふわと漂う亜理沙は、それを、なんとかかんとか受け止めて、またクリスに投げ返した。


「……で、ここまでの話は理解できた?」


「どうにかこうにか、かろうじ……てッ!」


返事を言い終わる前に、また、無花果が飛んできた。

その若さでクリスの教育はスパルタだ。



少しだけ前の事。

宿に着いて部屋を取ると、クリスは、疲れたとの事で、色々と話をするのは明日にしようと言って眠りに就いた。

亜理沙自身はこの体だからなのか、眠らなくてもよさそうではあったが、手持ちぶさたで試しに寝てみたら、意外といけた。


しかし、安易に眠りについたのがいけなかったらしい。


『アリサさんッッッ!!!!!』


悲鳴の様なクリスの呼び声に覚醒した時、亜理沙は、頭のてっぺんを除いてほとんどが宿の床に埋まっていた。

視界は蜘蛛の巣に囲まれていたし、その間から覗くネズミさんご夫婦と『こんにちは』したし、更にズルリと落下した先で階下のカップルが……この辺りにしておこう。


ともかく、慌てて、めり込んでいた床から這い上がった亜理沙を迎えたのは、クリスから浴びせられる「バカじゃないの」の大嵐だった。

クリスは14歳……人生の半分もまだ生きていない少年に、一生分に近い「バカじゃないの」を言わせてしまった様で、罪悪感は半端ない。


原因は、亜理沙が『何も意識せずに眠りに就いた事』だった。


クリスが言うには、人間の体は主に、肉体、アストラル体、エーテル体で構成されている。

読んで字のごとく、肉を持った体である肉体。

感情、精神の体であるアストラル体。

魂、霊的な体であるエーテル体。


その中で、霊的な体であるエーテル体は、霊体故に形の変化が自在である代わりに、自分そのものであるという存在も希薄になりやすいという。

なので、意識して存在を留めておかないと、魂は、上だったり下だったり、横だったりと、とにかく、ふらふらと流されて行ったり、他の物体と同化してしまったりする事があるらしい。

自分を見失う。というやつだ。


『という事は、私は寝てはいけなかった……?』


『それもあるけど、無意識で意識出来る様になれば問題ないよ』


『ナニソレ、禅問答(ぜんもんどう)??』


『ぜん……もん……どう……?』


今度はクリスの方が訝しげな顔をした。

どうやらこちらの世界に禅問答は存在しないらしい。


それはさておき。

クリス曰く、無意識で意識出来る様になる……というのは、息をするのと同じこと。

(今の亜理沙には呼吸は一切必要ないのだが、それを言うと話の腰を折るし、たぶんクリスは尋常じゃなく呆れた目でこちらを見てくるだろう事は出会ってからこれまでで亜理沙も理解していたので黙っていた。

宿屋の部屋で逃げ場が無いのに呆れなければならないクリスを気遣っての行動でもある。

言われて己がアホだと自覚しつつある亜理沙の、精一杯の気遣いであった)


息をする時、人は生命を維持する事を常に意識している訳ではない。

意識せずに行っている呼吸が、命を維持する結果に繋がっている。


それと同じ様に、意識せずに霊体としての存在を維持出来れば、気を抜いても、流されたり形状崩壊せずに亜理沙は亜理沙を維持出来る……という事だった。


『具体的に、どうすれば……?』


と、問えば、いきなりナニカを投げつけられる。


『それ、オレの朝御飯になるから絶対落とすな』


慌てて受け止めた、それが、この、無花果だった。



この世界に『ニホン』という国は存在しておらず、亜理沙は恐らく異なる時空に存在する異世界から、こちらへ迷い込んでしまったのだろうということ。

クリスが見付けた時、亜理沙は今のエーテル体の状態で、周辺に肉体らしきものは無く、クリスとしても亜理沙が生きているのか死んでいるのか、肉体が、こちら側にあるのか、それとも亜理沙の元いた世界にあるのか、判らないということ。

クリスは、一応、死霊遣い(ネクロマンサー)という職業で生計を立てており、霊関係の情報は入って来るからちょっとは役に立てるかも知れないということ。


それらをクリスが話し、亜理沙が受け答えする合間に、無花果は容赦なく亜理沙とクリスの間を行き来する。


こちらからは触れられるけど、あちらからは触れられないこの体は、油断するとこちらからも物体を通過させてしまうので、そのための特訓として、クリスは『無意識を意識』させようとしているらしいが、さながら千本ノックの様相を呈して来ている。

これが野球の硬球で、亜理沙に肉体が存在していたならば、どこかのゲームのおしおきばりに蜂の巣を覚悟するところだったかも知れない。

まだ夜も明けきらないのに、既に亜理沙は息も絶え絶えである……そもそも、息をしていないので問題はなかった。


夜が明けきらないと言えば、クリスである。


睡眠に入りきる前に亜理沙が起こしてしまう形になり、結局、休まずに予定を繰り上げて、亜理沙に色々と解説してくれているが、体の疲れとかは大丈夫なのだろうか……?


「今のままのアリサさんから目を離したら、またどこに流されるか分からなくて、おちおち寝てられない」


面目次第も無かった。


亜理沙としては、この事が原因でクリスの成長が止まったりしない事を祈るばかりである。

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