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それは七つばかりの頃  作者: 皇 凪 沙
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 それから毎夜、えんは閻魔堂の様子を見に行った。刑場にはおとこの首がそのまま晒されていた。日がたつにつれて(からす)に突付かれ、(むし)にたかられ、首は次第に無残な様を晒していったが、それはただの首だったから、えんはなんとも思わなかった。

 数日が過ぎて、宵の風がすっかり春風に変わり、閻魔王は約束を忘れたのかとえんが疑い出した頃、閻魔堂に明かりが点った。

 ようやくのびだした春草の匂いが、風に混じって鼻に届く。そんな穏やかな春の宵の薄闇の中に、閻魔堂の明かりが明るく光っているのを見つけて、えんは闇の中を駆け出した。

 閻魔堂のとびらの前で、それが儀式でもあるかのように、えんはそっと立ち止まり隙間から中をのぞいた。

 正面の高い壇の上には鮮やかな色に塗られた閻魔王。黒々とした鉄札(てっさつ)を手にした倶生神。左右に赤と青の獄卒鬼達。壇荼(だんだどう)幢、業の秤、浄玻璃鏡───。浄玻璃鏡がきらりと光るのを、えんは見た。


「何をしておる、入るがいい。」

 閻魔王が言った。えんは急いでとびらを開け、その隙間から堂の中へ滑り込んだ。

「遅くなってすまなかった。」

 えんは黙って首を振った。

「さて、春の宵は短かろう。さっそく、参るか。えん、怖ろしくはあるまいな。」

 問われてえんは肯いた。怖ろしいとは、少しも思わなかった。相変わらず怯えることをしないえんを見て、閻魔王はこの間と同じように笑った。

「ならば行くぞ。この青鬼赤鬼はおまえを守るために連れてゆこう。おまえには乱暴を働かぬゆえ、心配は無い。」

 怖ろしげな顔はしていたが、この獄卒鬼達のことも、えんは怖ろしいとは思わなかった。

「では倶生神。」

「はい、心得ております。」

 うむ。と閻魔王が肯いたとたん、えんはすうと何かが変わる気配を感じた。

「えん。」

 促されて、えんは堂のとびらを開けた。


 吹く風の匂いが変わっている。夏の昼下がりを思わせるねっとりとした熱風は、腐臭のような濃密な匂いを含んでいる。真夏の処刑場から吹いてくる風に、それはどこか似ていた。遠くそびえる山は形を変え、山の端にかかっていた半月は姿を消して、空は灰色の闇に覆われていた。

「ここが本来の閻魔の庁。向こうに広がるのが、地獄というものだ。」

 閻魔王の声にえんが振り返ると、見慣れた閻魔堂は姿を消し黒々とした(くろがね)の門がそびえている。えんが開けたとびらは厳めしい鉄の門の門扉になっていた。

 門の内側もまた狭い閻魔堂の中ではなく、広い空間に変わっていたが、そこにあるものは変わらない。

 正面の高い壇の上に鮮やかな衣装をまとった閻魔王。脇に控えるのは黒々とした鉄札を手にした倶生神。左右に赤と青の獄卒鬼達。壇荼幢、業の秤、浄玻璃鏡───。壇荼幢のふたつの首はえんを見下ろし、業の秤はゆらゆらと揺れ、浄玻璃鏡がなめらかに光っている。そのさまを、えんはじっと眺めた。

「ものに驚かぬ子だ。えん、見るがいい。」

 閻魔王は高い壇を降り、えんを促して門のとびらを押し開けた。

「閻魔の庁は中有(ちゅうう)と地獄の境にある。中有とはまだ何処へ行くか決まっておらぬ亡者達がさまようところだ。寿命の尽きた者達は皆ここからいずれの所へか生まれてゆく。」

「このあいだのひとも?」

「そうだ、ここから地獄へと生まれていった。えんは六道というものを知っているか。この世の中には人の世や地獄ばかりではなく、みなで六つの世界がある。ひとはみなこの六つの世界を、己のつくった善因悪因にしたがって生まれ変わり死に変わり、めぐっている。」

 えんは黙って聞いていた。そしてふと、自分もいつか地獄へ生まれることがあるのかも知れないと思った。いや、もしかしたらこれまでに、幾度か生まれたことがあるのかもしれない。人に生まれたのも、これが最初ではないのかもしれない───。

「おまえもいつか、ここからどこかへ生まれ変わっていくだろう。」

 えんの思いを読み取ったかのように、閻魔王はそういった。

「さて、えん。地獄を見に行け。閻魔の庁の向こうから左右に延びる黒鉄(くろがね)の塀の内が、一層目の等活地獄。あとの地獄は一層ずつ下に連なっている。案内は赤青の獄卒鬼が務めよう。わしは、倶生神とともに新たにやってくる亡者どもを裁かねばならぬ。十分に地獄をめぐったら、再びここへ帰ってこい。」

 後ろには、青鬼赤鬼が控えている。えんが傍へよると赤鬼がえんを抱え上げ、肩へと乗せた。

「気をつけてゆけ。」

 閻魔王の言葉にえんは肯き、鬼達は一礼して地獄の入り口へと向かっていった。


 大きなその門は、閻魔の庁と同じ黒鉄の門であったが、厳めしいというよりはおどろおどろしいような威圧感で辺りを睥睨(へいげい)していた。

 門前に立つものを威嚇するようなその門を、しかしえん達はじつにあっさりと越えていった。

 くぐったのではない。獄卒鬼達はえんを肩にのせたまま、宙を駈けているのだ。えんはしっかりと鬼の首に手を回し、落ちないようにしがみついている。それでも、宙に浮くというのは心地よかった。

 眼下には、一層目の地獄が広がっている。かすかに聞こえる亡者達の叫び声を聞きながら、えんは足元に広がる地獄を見下ろした───。

「無残な様であろう。」

 地獄を見下ろすえんに、赤鬼が言った。

 確かに無残な様ではあった。眼下に見下ろす亡者達は、互いにつかみ合い害しあっては倒れ呻いている。弱いものはたちまち倒れ、つかみ合いに勝ち残ったもの達は獄卒の手で打ち潰されている。血に濡れて重なり合う亡者達のさまは、えんに遠い昔のいくさとやらを連想させた。

 それにしても───しまいにはひとり残らず呻き倒れ伏し死んでゆくというのに、なぜ彼らは争い害しあうのか───。

「なぜといって、そうしたものがここへ堕とされるのだ。」

 えんが尋ねると、青鬼が云った。

「ここへ堕とされるのは、争いを好み力に頼り、ひとを害して優位に立とうとあがいて来た者たち。たとえ力で優位に立ったところで、いずれは力でその座を追われ、やがてはおのれの業の報いを受けてここへ至る。それでもまだ争うことの愚かさを知らず、こうして争い続けているのだ。」

「いつまで?」

「争うことの愚かさを知るまでだ。」

「いつまでも?」

「寿命は五百年と定められているが、大抵はそれほどかかるまい。五百年たっても解らぬ愚か者は、次の世に悪果を持ち越すだけのこと。」

 ふわりと涼しい風がえんのほおをなでてゆき、いつのまにやら動くものの無かった眼下で、亡者達がふたたび争いを始めている。彼らはこの荒涼とした景色の中で、幾度も幾度もこのようなことを繰り返しているのだろう。

 幼いえんが愚かと思うことを、大の大人がわからぬものかと、えんは少しこっけいにそして哀れに思った。


「えん、あちらを見てみろ。」

 二層目の地獄である。赤鬼が指差すそこには、大きな釜が据えてある。

 煮え立つ釜から上がる湯気の熱気が、えんの所にまで伝わってくる。釜の両側には太い黒鉄の柱が立ち、湯気に隠れた釜の真上には、その柱から柱へと鎖が一本張り渡してあるらしい。

 渡された鎖の右半分には、背中に何かを背負った亡者達が取り付いている。左側には亡者の姿はない。鎖の中程はもうもうと上がる湯気と煙に隠れて、えんの目には見えなかった。

「えん。あの者たちは盗人だ。おのれがこれまで盗みためてきたものを背に負って、ひとの世にあった頃の生き方そのままに、あやうい鎖の上を渡らせられている。どれほど身の軽いものでも、罪あるものはあの鎖は渡りきれぬ。みよ、誰一人として鎖を渡りきるものが無いであろう。」

 もうもうと上がる湯気の中にじっと目を凝らすと、ぐらぐらと煮えたぎる湯の中に落ちてゆく亡者達の姿が影のように見えた。耳を澄ませば泣き叫ぶ亡者達の声、亡者達を柱の上に追い上げる獄卒鬼達の怒号、落ちてゆく亡者達の悲鳴が聞こえてくる。

「落ちたらしまい?」

「むろん一度で終わりはしない。おのれの罪の重さを知るか、千年の寿命が尽きぬうちは、ああして釜の中から(すく)い上げては追い上げられる。」

 煮え立つ釜をかきまわす獄卒が、棒の先でぐったりとした亡者を掬い上げるのが見えた。

 えんは少しだけ、ぞくりとした。

 近所の悪がきどものなかで、えんは悪さなどしないほうであったが、それでも幾度か些細なものをそっとふところやたもとにしのばせた事がある。

「えん。おまえもなにか盗んだことがあるか。」

 少し不安げなえんの様子を察したのか、青鬼が問う。

 えんがあわてて首を振ると、青鬼は少し怖い顔になった。

「えん、うそをつけば罪は重くなるぞ。悪因にさらに悪因を重ねれば、悪果は大きくなるばかりだ。うそを重ねたものがどうなるか見せてやろう。」

 青鬼が促すと、赤鬼はえんを肩に乗せたまま、ぐんと下へ向かって降りていった。


 ぐんぐんと下り、何層かの地獄を通り抜けて、青鬼赤鬼はようやく止まった。

「さあ、えん。あれを見ろ。」

 青鬼が厳しい顔で指差す先を見ると、柱へくくられた亡者が舌を抜かれるところだった。

 舌を抜かれまいと引き結んだ口を鉄鉤でこじ開けられて泣き叫ぶ亡者の口の中から、黒々と光る(くろがね)鉄鉗(かなばさみ)が亡者の舌を挟み出す。おどろくほどに引き伸ばされた舌はなかなか抜けず、亡者は痛みに身をよじっていた。

「どうだ、えん。ここがうそをつく者の堕ちる地獄だ。舌を抜かれるのは痛いぞ、これでもうそをつくか。盗みをしたことがあるならあると素直にそう云って、これから後は二度とせぬことだ。盗みをしたことがあるのであろう?」

 えんはうなだれて肯いた。ぶつりとかすかに音がして、眼下から呻き声が上がった。舌を抜かれた亡者が、口から血を吐いてもがいていた。

「それ、みよ。」

 しばらくすると抜かれた舌は生えてくるようで、獄卒鬼たちがそのたびに泣き叫ぶ亡者の口をこじ開けて舌を引き出す。足元にはたちまち幾枚もの舌が抜かれて散らばった。

「見よ、えん。おのれの罪をみとめ心底悔いるまで、抜かれても抜かれても舌は生えてくる。いつまでもうそで罪を覆い隠そうという者には、八千年の寿命が用意されている。罪を犯せば悪果を生むが、罪を認めねばさらなる悪果を生む。認めぬ罪はつぐなうこともできぬであろう。」

 青鬼の言葉にえんは項垂れた。

「だが、心配は要らぬ。」

 青鬼の言葉にうなだれるえんに、赤鬼が言った。

「うそをつく者は確かにおのれの罪から目をそらそうという者が多いが、しかしあれほど叱責され、繰り返し繰り返し痛い目にあって分からぬ者はそうそうおらぬ。やがては罪を悔いることになろう。罪を悔いる心は善果を生む。罪を悔いる者はすでに善因を積み始めているのだ。だからえん、罪を悔いるならお前もまた、すでに善因を積み始めている。些細な罪なら生きているうちにひとの世でつぐなう事ができよう。」

 えんは少しほっとした。


「さて、えん。ここまで来たのなら、この間のおとこがどうしているか見に行ってみるか。」

 えんが肯くと青鬼赤鬼はまた、一層下の地獄へとすうと降りはじめた。

「今の地獄がうそを重ねるものが堕ちる大叫喚地獄、この間のおとこが堕ちた焦熱地獄はこのすぐ下にある。炎の燃え上がる熱い地獄だ、えん、落ちぬ様にしっかりとつかまっておれ。」

 赤鬼の言葉の通り、轟々(ごうごう)と炎の燃え盛る音が聞こえた。辺りはぐっと熱さが増し、火に炙られているようにさえ感じる。自分の体が焼けてしまいはせぬかと、少しばかり不安になって、えんは赤鬼にしがみつく。

「熱いか、えん。燃えはせぬから心配は要らぬ。下にいる亡者どもを見てみよ。ここにいてもこれだけ熱いが、下はこのようなものではないぞ。」

 赤鬼にしがみついたままそっと下をのぞくと、立ち昇る陽炎(かげろう)に揺らめく灼熱の大地を、わずかな涼を求めて亡者たちがふらふらとさまよい歩いている。焼けた大地は触れるたびに亡者の足を焦がし、灼けつく大気は亡者たちの咽喉や肺を容赦なく焼く。歩き、息をするさえ辛そうである。

「あれはまだ、焦熱地獄の責め苦ではない。あの亡者どもはただ地獄の中をさまよっているだけ。亡者どもを待ち受ける地獄の炎は、ほれそちらに燃え上がっている。」

 指をさされて振り返ると、炎が大きく燃え上がっている。燃え盛る炎のまわりでは、目を覆いたくなるような光景が繰り広げられていた。

「どうだ、えん。この間のおとこはおるか。」

 青鬼が問う。えんは苦しみ呻く亡者たちの中に、おとこの姿を探した。

 獄卒鬼達に捕らえられ、引き据えられた数々の亡者たち。炎の上に渡した金網に括り付けられている者。灼けた金串で一突きにされ炙り焼かれる者。焼け爛れた鉄板の上で打ち叩かれる者───。

 呻き叫ぶ亡者たちの間を丹念に探すと、おとこは金串に貫かれ、炎の中でのたうっていた。

「見つけた。」

 えんの指差すのを見て、青鬼が炎のそばへと降りていった。青鬼がおとこを炙っている獄卒鬼に二言三言声を掛けると、獄卒鬼はおとこを貫いた金串を炎の中から抜き出して地面に転がした。

「えん。来て見ろ。」

 青鬼が手招きをする。

「燃えはせぬ。我慢できるか?」

 赤鬼がえんに尋ねる。えんは、肯いた。

 じりりと熱い大気がえんを襲う。えんは口元を袖で覆った。いくらか息が楽だった。

「見てみろ、えん。」

 えんはころがっているおとこを見た。おとこの体はすでに焼け爛れ、ひとの形をしていなかった。赤く爛れたかたまりが、痛みに身をよじっていた。

「このままでは話もできまい。」

 赤鬼がそう云うと、青鬼は再び獄卒鬼に声を掛けた。

 おとこを貫いたままの金串が、獄卒鬼の手で再び炎の中に差し入れられる。おとこの体が大きくもがき、動かなくなった。黒く焦げたおとこの体は、がらがらとくずれて地面に落ちた。

 しばらく黒焦げのかたまりはそのままだった。しかしすうっと涼しい風が吹いて、えんがその心地よさに目を細めると、次の瞬間焦げたかたまりはおとこに戻っていた。

「しばし時をもらった。ひとまず怯えずともよい。」

 赤鬼が云うと、怯えていたおとこは少し落ち着きを取り戻した。

「どうだ、地獄の責め苦は。」

 青鬼が問うと、おとこは口を開いた。

「身を貫かれるはこれほどに痛いか、炎に焼かれるはこれほどに熱いものか、泣き叫んで哀願しても聞き入れられぬことがこれほど辛いのかと、おのれのしてきたことを恐ろしく思っております。これまでどんな悪行をおこなっても、少しも心が痛まなかったというのに、今はおのれの悪行を悔い嘆いているのです。」

「地獄とは、そうしたところだ。悔い嘆いたところで取り返しはつかぬ。己の行いは己に返る。犯した罪の恐ろしさに震えながら、悪行の報いを受けるのだ。」

「はい───。始めはどうしたらこの苦しみから逃れられるかともがきました。どうしても逃れられぬと知ると、あのようなことをしてこなければと後悔しました。後悔し始めると、おのれのしてきたことの恐ろしさに身が震えました。これほど恐ろしい悪行を重ねてきたからには、地獄の責め苦から抜け出すことはできぬであろうと絶望に身が千切れる思いでした。

 しかし、このところもう耐え切れぬと思う苦しみの絶頂にくると、すうとひととき苦しみのなくなる瞬間があるのです。ときには爛れ乾いた咽喉に、ひとしずくの潤いを感じることさえあるのです。それに気が付いてからは、地獄の責め苦から抜け出すことができなくとも良いと思えるようになりました。それよりも、どうすれば罪をつぐなうことができるかと考えるようになりました。それを考えれば考えるほど、おのれの罪の重さを思い知らされ、犯した罪を悔い嘆いているのです。」

 そう云って、おとこは項垂れた。

「───たすけた子だ。」

 えんがつぶやくと、赤鬼が肯いた。おとこが助けた子の感謝が、功徳として届いているのだ。

「これだけの罪を犯しながら、おまえは幸運な亡者だ。本来であれば何の救いもなく苦しみ続け、ここから逃げ出すことばかりを考えて、おのれの罪の重さを知るにも長い時がかかったかも知れぬ。しかしわずかな善根を積んだために、短い間にそこまで考えることができたのだ。どうして罪をつぐなうかは次の世のこと。よく考えて二度と謝った道を歩まぬが良い。今はただおのれの犯した罪の重さ恐ろしさを、じっくりと感じて苦しむしかない。すべてはそれからであろう。」

 赤鬼が諭すと、おとこはひとつぶ涙をこぼした。

「どうだ、えん。なにか聞いておくことはないか。」

 えんは、首を横に振った。

 おとこがどうなるのかは、分からない───それが分かった。

 胸につかえていたものが、取れた気がした。


 えんたちは、おとこのもとを後にした。

 先程の獄卒鬼が、再びおとこを灼けた金串で刺し貫き、炎の中へと差し入れた。苦しみもがく様がえんの目にも見えたが、哀れとは思わなかった。罪を知り、おのれのなすべきことを知ったおとこは哀れではない。そう思った。

「さて、えん。そろそろ閻魔王のもとに帰るか。おとこがどうなるのか、分かったであろう。」

 えんは、肯いた。


 赤鬼の肩に乗せられたまま、えんは閻魔の庁に戻った。閻魔の庁では、閻魔王がえんを待っていた。

「どうであった、えん。あのおとこがどうなるか、分かったか?」

「うん。」

 と、えんは肯いた。

 おそらくあのおとこはおのれの罪に苦しんだ後、いずれどこかへ生まれ変わっていくのだろう。

その先は、誰にも分からない───。

「えん、地獄はどのようなところであった?」

 えんはしばらく首をかしげて考えた。辛く、恐ろしいところではあるのだろう。しかしそれだけではない気がした。辛いとか、恐ろしいとか、無残であるとか、そうしたことは上っ面のことに過ぎない。獄門台に晒されたおとこの首と同じで中身はそこにはない。

「どうした、見てきたのであろう?」

 閻魔王の言葉に、えんは少し考えて、よく似たものを思いついた。

「おとうとおかあみたいだった。」

 そう云うと、閻魔王はふいをつかれたような顔をして、それから笑った。

「えん、またここへ来るがいい。そして時には頼まれごとをしてくれぬか。」

 名に負う閻魔王がえんに頼むことなどあるのかと、不思議に思いながらえんは肯いた。


 この約束が、長くえんの人生を左右することになるとは、このときのえんは思ってもいない。今は懐かしい、幼い日のことである───。


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