story5「騒がしい朝」
「……んあ?」
意識覚醒。ちらりと時計を見ると朝の八時前。
休みの日にしては早い起床だな。よく起きた、俺。
と、思ったら……俺が起きたのにはちゃんと理由があったみたいだ。
「なにやってんだ? 瑠璃」
さっきから俺の頬をムニムニと引っ張ってる、侵入者がいた。
「あ、起きた……」
「普通に起こせっていつも言ってるだろ」
「ふ、普通にやっても起きないからいろいろ考えてるんだよ」
そりゃそうだ。起きない俺が悪いのはわかってるけど、なんか必死に俺を起こそうとしてる瑠璃を見るとからかいたくなる。必死なのがすげぇ可愛いから。
「えい」
「あう……」
瑠璃の頬も引っ張り返してやる。
「柔らかい頬しやがってコラ。けしからん、もっとムニってやる」
「お、お兄ふぁん……やへて……」
言葉になってない。もう一つおまけにムニっておいた。
「……ご飯だから早く来てね」
「了解了解」
俺のムニり攻撃にちょっと不機嫌そうな瑠璃。まぁ起こしにきた側が攻撃を受けるなんて理不尽だからな。ここはちょっとご機嫌をとっておこう。
「瑠璃。今日も制服似合ってるぜ」
「……今日は休みだから制服なんて着てないけど」
墓穴を掘った。
着替えは後でいいか。とりあえず洗面所で顔を洗ってから、瑠璃の作った美味そうな朝飯の匂いがするダイニングへと向かう。
「まだ眠い……って、どわ!?」
通り道であるリビングへ入った瞬間、俺の視界が真っ暗になった。なにかが俺に覆いかぶさってる。
「これでもないし……やっぱりさっきのほうが……いやでもこっちも捨てがたいし……」
その正体は雫が投げた服。
人に服を投げつけるなよ。ぶつぶつ言っててこっちを見てもいないけど。
「お前、もう来てたのかよ。ていうかこれなんだよ?」
「服よ服! 見ればわかるでしょ! レナに着せる服を持ってきたのよ」
いや、持ってきすぎだろ。リビングが服で埋め尽くされて足の踏み場ないんだけど。
しかも……猫耳フードとか、メイド服とか、ゴスロリ服とか、明らかに雫が趣味で着せたいだけの服がある。大体なんでそんな服持ってんだよ。うぉ、チャイナ服まで……もしかしてこれ、元々は瑠璃に着せようとして買ったんじゃないだろうな?
「レナは着せ替え人形じゃねぇぞ?」
「あんたにも着せてあげようか? 葉介って女装が似合いそうな顔してるわよね」
「断る」
ていうかどういう意味だよ。
「雫~次はどれですか?」
なんかレナもノリノリだし。全く、少しは雫の邪気に気が付いて――。
「ぶっ!?」
隣の和室からリビングに入ってきたレナを見て、俺はド派手に噴き出した。
なんで……パンツ一丁なんだよ。
「レ、レナ!? 葉介がいるからそのまま入ってきたら駄目よ!」
「え? あ、葉介! おはようございます~」
「挨拶はいいから隠して隠して!? 葉介も見るな!」
「ぶががっ!?」
ドサドサと服を大量にかけられた。
くっそっ!? 惜しい! もう少しで拝めたのに! さっきも持ってた服で隠れてたからあんまり見えなかったし!
「さっさと出てけ!? 今は男子禁制よ! 見ていいのは私だけ!」
お前のほうが百倍危険だっての。普通に襲いそうだ。
ダイニングへと蹴り飛ばされて強制退去。
おかしい……ここは俺の家のはずなのに、なんで俺が退去させられるんだ?
「わにゃん!?」
あ、勢いでなんか踏んだ。ていうか悲鳴が聞こえた。
「……なんだお前か」
どうやら俺はテーブルの下で寝てたカールの尻尾を踏んだらしい。
「ひ、人の尻尾を踏んでおいて……なんだお前か、とはなんだよ!」
昨日、人の家の窓破壊しておいて、誰この人? とか言ってた猫に言われたくねぇよ。
「お兄ちゃん、カールちゃんをいじめたら駄目だよ」
「いじめてない。ペットにしつけをしてるだけだ」
「僕はペットじゃない!?」
ギャーギャー騒ぐ黒猫を無視して、瑠璃がテーブルに並べた朝飯を手に取る。焼いたトーストにハムエッグ。簡単なサラダに牛乳という定番メニューだ。朝はこれが一番いい。
「カールちゃんはなに食べる?」
瑠璃はカールを抱き上げると、椅子に座らせた。別にこんな黒猫を人間様と同じ目線に持ってこなくていいのに。大体こいつ飛べるだろう。
「朝はヨーグルトって決めてあるんだ」
「プレーン味でいい?」
「むしろプレーン以外はヨーグルトと認めないよ」
猫畜生が生意気に食べものに物申してるぞ。猫は大人しくカリカリ食べてろよ。安物を俺が買ってきてやる。
それにしても……。
「あいつらいつまでやってんだ?」
レナと雫が一向に食卓に現れる気配がない。そもそも雫は何時から来てるんだよ。もうかなりの時間やってるんじゃないのか?
「私もさっきまでやってたんだけどね……」
瑠璃は苦笑いだ。レナだけじゃなくて、瑠璃も着せ替え人形にされてたらしい。朝飯の支度があるからと途中で逃げたんだろう。やっぱり、さっきの雫の趣味全開の服は瑠璃に着せるために買ったとみてほぼ正解だな。
「嫌なら嫌って言ったほうがいいぞ」
「嫌じゃないよ? 雫さん優しいし……可愛い格好するのも楽しいし……でも、抱きつかれる勢いが強いから……」
体が持たない、ってことね。
それから優しいのは可愛い女の子だけだぞ。男には全く容赦ないから。
「ジャジャーン! 完成!」
盛大な効果音と共に、雫が勢いよく入ってきた。扉が壊れるからもっと静かに開けて下さい。馬鹿力め。
「レナ! カモン!」
「は~い」
雫の手招きで、ふわっと小さくジャンプしてレナが入ってきた。
「うおぉ……」
思わず感心の声がもれる。
清楚な雰囲気のワンピース。全体が薄い黄色で、肩と腰にはリボン。控えめの胸と細い腰が強調され、なんだか触ったら折れてしまいそうだ。ツインテールを作っていた星の髪止めは黒いリボンに新調され、それだけで雰囲気が随分変わっている。簡単に言えばめっちゃ可愛い。
「どうですか? 葉介」
「……ぎゅってしていいか?」
「え? いいですよ~」
「マジでっ!?」
「死ぬ?」
雫の殺気に当てられて、俺は黙り込んだ。今のはマジの声だった。
「……」
「……なんだよ瑠璃?」
そして瑠璃まで俺のことを見てる。不満気な顔で。
「……お兄ちゃん、私にはそんなこと言ってくれないもん」
なんだ? 嫉妬? 可愛い奴め。
「なに言ってんだ瑠璃。それはお前が妹だからで、お前がもし妹じゃなかったら俺は同じことを言う」
「……本当?」
「神に誓う」
「神の前に私に許可を取りなさい」
なんでお前に許可をもらわなきゃならんのだ。
そのあと朝飯が終わったところで、雫が突然切り出した。
「じゃあ商店街に行こうか」
「……は?」
そんな話は今までの会話の中になかったはずだ。いきなりすぎて、雫以外はみんなきょとんとしてる。
「なんでだよ? 大体まだ店やってる時間じゃないだろ」
それに昨日行ったばっかりだろ。二回も。
「レナの下着を買うの」
女子が堂々と思春期男子の前でそんな単語を使うんじゃない。
「さすがにサイズが合わないのよね。ブラはやっぱり買わないと」
「……瑠璃のは?」
「私のじゃ小さかった……」
なるほど。つまりレナは雫と瑠璃の中間にあたるスリーサイズってことか。大中小が揃っていると。選び放題じゃん(なにが?)。
「んじゃまぁ行ってらっしゃい」
「なに言ってんの? あんたも来るのよ」
なんでやねん。俺必要ないじゃん。
「女子が下着買いに行くのになんで男子が必要なんだよ?」
「荷物持ち」
気持ち良いぐらいはっきりと言いやがった。昨日も荷物持ちにされたばっかりなんだけど。当たり前と言わんばかりの言い方だった。
「お前、俺を便利な自動運転台車と勘違いしてないか?」
「うん」
即答しやがりましたよ。
「葉介は台車なんですか?」
「レナ、違うよ。こういうのはパシリって言うんだよ。人間にも格差があってね。目上の人間には逆らえないのさ」
おい言い方。踏み潰すぞ黒猫コラ。
「だ、大丈夫だよお兄ちゃん。私はお兄ちゃんを台車だなんて思ってないから」
おぉ……さすが我が妹……なんて優しい言葉だ! そうだ! こいつらに言ってやれ! 俺もちゃんと意思のある人間だということを!
「ちょっと雫さんに逆らえないお手伝いさんだよね?」
「……」
なんかあんまり変わらないぞ。確かに無機物から生物にはなったけど。
……逃げるか。
「あぁっ!? そういえば今日は学校の奴らと約束が――」
「はいはい~。じゃあ瑠璃ちゃんもそんなエプロンなんか取っちゃって、お洒落してお洒落して~」
ナイススルー。
俺に拒否権はないということですね。
仕方ない。覚悟を決めよう。
と言っても、まだ商店街の店が開くまで時間がある。ゆっくりと準備をしても余裕だろう。しばし、食後のティータイムを楽しもう。
「……ん?」
開けっ放しにされたリビングの扉の向こう、ソファーの上に置いてある物が目に入った。スケッチブックだ。あんなもん、我が家にあったっけか。
「瑠璃。画家にでも目覚めたのか? あ、それとも漫画家?」
「……?」
この人なに言ってるの? と目で言われた。
「いや、見慣れないスケッチブックが置いてあるから」
「あれはレナさんのだよ?」
「え? そうなの?」
その会話を聞いていたレナが、リビングのソファーからスケッチブックを持ってきた。
「私、絵を描くのが好きなんですよ~」
「レナ。物凄く上手いのよ。私と瑠璃ちゃんも描いてもらっちゃった」
手渡されたスケッチブックの中を見ると、確かに雫と瑠璃の絵が描かれていた。
いや……ていうかこれ……。
「……上手すぎじゃね?」
軽くプロ級だろ。素人の俺が見てもわかる。めちゃくちゃ上手い。
他のページもぺらぺらとめくってみる。神界の建物であろう建築物や、見たこともない動物(たぶん、神界の動物)。そしてレナの同じような服を着た女の子(たぶん、他の神子)。いろんな物が描かれていた。全部が有り得ないぐらい上手い。
「小さい頃からずっと絵を描いてましたからね~。絵を描いているときが一番集中できます! あ、葉介も描いてあげますね!」
スケッチブックの新しいページを開いて、鉛筆を手に取るレナ。確かに、出会ってから初めてみるかもしれない集中した顔。俺の顔を見ながら鉛筆を走らせること、ほんの二~三分。
「できました!」
「速いな。おい」
適当に描いたんじゃ……なんて思ったけど、そう思ったのがすごく失礼に感じた。スケッチブックに描かれた俺の顔は……見事な出来栄え。あの時間でこのクオリティか。マジですげぇ。
「……格好良く描きすぎじゃない? レナ」
「どういう意味だよ!?」
「本物はもっとふぬけた顔してるわ」
俺の顔はそんな顔だってのか? 泣くぞ。こら。
しかし、レナにも意外な特技があったんだな。小さい頃から描いてるって言ってたけど、相当好きじゃないとこんなに上達しないはずだ。
「今度、みんなを構図にして一枚、すごいのを描きますね! こうやって出会えた記念です!」
「葉介はいらないから、レナと私と瑠璃ちゃんだけでいいわよ」
「意義あり! 俺が願い人だ! 俺がいたからお前はレナと会えたんだ! そこを忘れるなよ!」
そんな馬鹿なやり取りの中で。
「……」
またカールが表情を曇らせてるのが気になった。昨日よりも、露骨にわかる表情だ。さすがに気のせいで片付けられない。
……なんだ?
まるで俺たちとレナが仲良くなるのが嫌みたいに見えた。