story15「離さない」
車が走り始めてから一時間ぐらい経ったかな……。
何年も暮らしてた、お兄ちゃんとの思い出がたくさんある、あの町からもう出たんだろうな。もう二度と、戻ることがないんだろうな……。
もっと景色を目に焼き付けておくんだった。あの町でやりたいことがまだたくさんあった。そんなことばっかり考えちゃう。
「見送りもないとは、あの家の連中は白状だな」
叔父さんが、満足気な笑みで私を見てきた。抵抗しないで、私が大人しくしてることに、気分を良くしてるみたい。
白状なんかじゃない……だって、私が嘘をついただけだもん。
最後の最後で……私はお兄ちゃんの気持ちを踏み躙っちゃった。
胸が痛い。でも仕方が無かった。
これが最善で、正しい選択。
だって、私が悪いんだから。
私が願ったから……こうなったんだから。
それでお兄ちゃんたちを危険な目には合わせられない。お兄ちゃんにもしものことがあったら……レナさんのときみたいに、お兄ちゃんが死にそうになったりしたら……私は耐えられないもん。
だからこれでいいの。
これで……よかったの……。
「しかし、悪い道だな。他に道はないのか?」
「我慢してください。この山道が一番近道なんです」
ガタガタと揺れる車内。周りの景色が森だらけになってる。山道を走ってるみたい。これから空港に行くって言ってた。すぐに、外国に行くために。あんまり聞いたことのない国の名前を言ってた。企業の社長さんみたいだけど……そんなのどうでもいい。
「しかし……生命保険も無しに彰が死んだときは、無駄死しやがってと思ったもんだが……これはこれで、上等な置き土産を置いていってくれたもんだな」
私の顔を覗き込んでくる。その顔が嫌で、目を逸らす。正直、目も合わせたくない。無駄死にってなに? お父さんは……最期まで、必死に生きようとしてたのに。そんな言い方ない。お父さんはあなたのために生きてたんじゃないんだから。
お父さんは……私とお母さんのために、生きようとしてたのに。
「借金様々ってことだな。あいつに金を貸しておいてよかった」
「よく言いますよ。その借金の話だって……」
「おい。余計なこと言うな」
「す、すいません……」
……? 今、なんて言おうとしたんだろう。
まぁいいか……そんなことどうでも。
私はこれから、外国に行っちゃうんだから。どうでもいいよ。
もう……全部どうでも……。
「……」
もう、会えないんだもん。
お兄ちゃんに……。
「……あ……れ……」
頬が冷たい。泣いてるの? 私……。
なんで? なんで泣いてるの?
決まってる。悲しいから泣いてるの。
なにが悲しいの? どうして悲しいの?
お兄ちゃんに……もう会えないから……。
もう、私の名前を呼んでくれることはないから……。
「……」
違う。うぅん。それもそうだけど。
けっきょく、自分の気持ちを伝えてない。その後悔から、悲しくなってるんだ。
でも……伝えても迷惑なだけ。
私は妹だから。
今日で、妹じゃなくなるけど……遠くに行っちゃうから意味がない。私が願ったのは、こういうことじゃなかった。
私はただ……お兄ちゃんと……。
でも、間違った願いが叶ってしまって、顔も知らない人と結婚する。ずっと一緒に暮らさないといけない。
……。
……。
……。
……。
……嫌だよ。
お兄ちゃん……。
「うわぁっ!?」
突然、運転手の人が悲鳴をあげた。
なんだろう? と思って、前を見てみると、
「おい! どうした!」
「か、壁が!? 急に壁が!?」
地面から壁が生えてきて、車の進行方向を塞いでいた。
あの壁……見たことある。大きな黒い目があって、デフォルメキャラみたいな可愛い壁。あれは……確か……。
「うあぁぁぁぁっ!?」
運転手の人が急ハンドルで車を停止させた。車内は反動で、めちゃくちゃ。エアバッグが作動してる。私も少し痛かった……山道じゃなかったら、他の車を巻き込んでたかもしれない。
「おい! 一体何がどうなって――」
怒鳴りながら叔父さんが窓の外を見ると、
「……黒猫?」
白い翼の生えた、黒い猫が……パタパタと飛んでた。ジロリ、と叔父さんを見てる。
あれは……カールちゃん? お兄ちゃんは全然可愛くないって言ってた小さな目が、叔父さんから私に目線を移した。そして、
「瑠璃! 車の外に出るんだよ! 早く!」
私に向かって叫んだ。どういうこと? と思いながらも、体が瞬発的に動く。車の扉を開けて、外に飛び出した。
その直後……。
「修羅流武術――」
聞き覚えのある声がしたかと思うと、鈍い、ベコッってなにかがへこむような音がした。
「覇凰拳!」
雫さんだ。整った構えから右腕を突き出して、車を真横から正拳突き。細い腕からは想像もできないぐらいに、車に衝撃が伝わってるのが見てわかる。
「ぎゃあっ!?」
車が大きく飛んだ。三回転ぐらい転がって、やっと止まった。だ、大丈夫かな? 中の叔父さんたち。え? でも雫さん……確かに強かったけど、車を素手で飛ばせるほど力もちだったっけ?
「……き、貴様……一体なんのつもり――」
横転してる車から這い出てきた叔父さんに、いつの間にか車の上に立って刀の切っ先を向ける……サンさん。叔父さんは、真剣の迫力に、声も出ないみたい。
「動くな。動けば斬る」
みんな……どうしてここに居るの? 私、黙って出てきたのに……どうしてここがわかったの?
もしかして……。
「瑠璃!」
私の名前を呼んでくれたのは……。
もう、呼んでくれることがないと思っていた声。
……お兄ちゃん。
★☆★☆★☆
「……つーかやりすぎじゃね?」
車大破してるぞ。大破。普通に事故だぞ。警察沙汰だぞ。
いや、てかそもそもの話、レナが『ここは食い止める。だから先に行け!』で足止めしてる間に、カールが瑠璃に外に出るように言って、そこをみんなで保護って作戦じゃなかった? なんで雫、車殴ってるの? おまけに『一撃必殺グローブ』着けてるし。
「雫! お前、なんで車吹っ飛ばしてるんだよ!」
「瑠璃ちゃんに手を出した奴らに生きてる価値なし!」
自分が絶対正しい。その自信が、雫の声には満ちていた。そこまで自分の行動に自信が持てるのは、もう大したもんだよ。
『一撃必殺グローブ』は、使用者のパンチ力を極限にまで高めるアイテムだ。ただし、生き物にはその倍増効果がない。無機物だけに効果がある。それに『スキルアップル』で腕力を上げたことも合わせた一撃だった。そりゃあ、車ぐらい吹っ飛ぶよな。雫は素でも熊ぐらいならふっ飛ばすし。
「葉介! うまくいきましたか?」
「……ああ。雫の暴走以外は」
まぁ結果オーライだ。正直、俺もあの叔父には腹が立ってたから丁度いい。ざまーみろ。
なんで俺たちが追いつけたかっていうと、『あなたと行きます。どこまでも』って言う、バッジ(星型)を、レナがこっそりと瑠璃の鞄に入れておいたんだ。これは、探知と移動の神力アイテムで、対になってるバッジ(月型)があれば、もう一つのバッジの場所まで一瞬で移動できる、らしい。
ちょっと大惨事だけど、それよりも……。
「瑠璃」
「……」
瑠璃は顔を伏せたまま、黙っている。
さようなら。なんて言って出てったんだ。それは罰が悪いだろうけど、俺は構わず続ける。
「……言ったよな? もう自分が悪いなんて言うなって」
「……」
「最後の最後でまた言ってたから、叱りに来た」
「……どうして来ちゃったの?」
震える声で、涙ぐんだ目で、瑠璃は言葉を紡ぎ出す。
「どうして来たの!? せっかく……私は受け入れられたのに! 諦めかけてたのに! またお兄ちゃんの顔を見ちゃったら……私……」
「……知るか」
どうして来た? そんなの決まってる。
「俺がそうしたいから、俺はここに来た。瑠璃の意思なんて関係ない」
「……」
「そして俺の意思も、瑠璃には関係ないよな? だから、意思を一致させようぜ」
「……え?」
俺は瑠璃に手を差し出した。
「……瑠璃が今、俺の手を握ってくれるなら、もうその手を絶対に離さない」
「お兄ちゃん……」
「俺は……お前と一緒に居たい!」
妹だとか、そういうことの前に。
俺はまだこれからも、瑠璃と一緒に居たい。だから、瑠璃が手を取ってくれたら、もうその手を離さない。
遠くへなんて行かせるもんか。絶対に。
俺の気持ちは吐き出した。
あとは、瑠璃がどう答えてくれるかだ。
「……」
驚いたような表情をしてる瑠璃。そんなことを言われるなんて思ってなかったのか、戸惑いも混ざってる。涙ぐんでいた目に、さらに涙がぽろぽろと溢れて落ちていく。
「……いいの?」
弱々しく、
「私は……私が思う通りにしていいの?」
消えそうな声で、
「お兄ちゃんと……一緒に居ていいの?」
自分の気持ちを口にした瑠璃。
「当たり前だ」
俺は力強く言って、笑った。
「……うん!」
瑠璃が俺の手を取った。ぎゅっと握り締める。
よし。俺はもう……この手を離さないぞ! 絶対に!
「瑠璃ちゃあん!」
「し、雫さん……」
空気を読まず、雫が瑠璃に抱きついた。ここは俺と瑠璃だけの世界に浸らせろよ! 台無しじゃねぇかよ!
「瑠璃ちゃんは誰にも渡さない! 瑠璃ちゃんは私の物よ!」
「いや、お前のじゃねーから」
「……ふふ」
瑠璃が笑ってくれた。いつもの雰囲気に、思わず笑っちまったのかもな。
そうだ。これからだってこうやって一緒に笑っていたい。
レナのときみたいに。これからもずっと。
「葉介!」
レナが叫びながら指さした先には、黒い車が何台も、こっちに向かって走ってきていた。あ、あれ? もしかしてあれって……。
「馬鹿め。貴様ら……誰を相手にしてると思っている? ガキがはしゃぎすぎたな。もうただでは済まさんぞ!」
この野郎。仲間を呼びやがったな。ずいぶん用意周到じゃねぇかよ。車の台数を見る限り、中には数十人。やばいな……。
「……」
サンが『天使のような悪魔の翼』でふわりと飛び上がり、黒い車を遮るように立ちはだかった。
「サン!」
「行け。こいつらの相手は私がする」
格好いい台詞を言うサンだけど、さすがに数が多くないか? いくらサンでも、これだけの人数を相手にするとなると……。
「私も殺るわ」
サンの横に、雫も並んで立った。
今、殺るになってなかった? 殺るなよ? 絶対に。
「……余計なお世話だ」
「大丈夫大丈夫。私も暴れたいだけだから」
うん。そんな感じはする。お前、純粋にうずうずしてるよな? 瑠璃を連れて行こうとしたこいつらをボコボコにしたいだけだよな?
「葉介。瑠璃ちゃんは任せたわよ」
「……珍しいな。お前が素直に、瑠璃を俺に任せるなんて」
「その手、離さないんでしょ? 瑠璃ちゃんを泣かせたらぶっ飛ばすから」
声がマジです。
「レナ。二人を頼むぞ」
「はい! お任せください! 先輩!」
その場はサンと雫に任せて、俺たちは森の中へと逃げ込んだ。あの二人なら、負けることはないだろう。むしろ、相手に同情するかもしれない。
「殲滅する」
「ボッコボコにしてやるわ」
物騒なこと口にしながら、臨戦体勢だもん。あの二人。
「レナさん……ありがとう」
「私、まだまだ瑠璃に料理を教えてもらわないといけませんからね~。葉介、まだ私の料理に満足してくれませんから」
「……レナは見た目をなんとかすれば充分なんだけどな」
こんなときに、なにを呑気な話してるんだか。この後、どうなるかなんてわからないのに。
でも、とにかく今は逃げるだけだ。
そして、瑠璃の手は離さない。
絶対に……離さない!




