story1「妹」
「ねっみぃ」
やっと午前の授業が終わった。夏休みが明けて二週間ぐらい経つけど、まだまだ夏休みボケが治らない。四限目もほぼ寝てたし。四限目ってなんの授業だったっけ? それすら覚えてないんだけど。
「葉介? 起きてますか~?」
俺の半分寝てる頭を、レナが下敷きでパタパタとはたく。隣の席だから、俺が爆睡してたのを知ってるんだ。
「起きてる起きてる。次は五限目だよな。確か体育か。さっさと着替えてグラウントに行かないとな~」
「あんた馬鹿? その前に昼休みでしょうが。まぁフライングしてマラソンでもしたいなら止めないけど」
止めてくれ。そこは幼馴染として。昼休みに校庭で一人マラソンなんかしたら学校中で噂になっちまう。
雫の罵倒にめげず、俺は購買に飲み物を買いに行くことにした。昼は基本的に瑠璃の弁当だから、購買名物のパン獲得戦争に参戦する必要はない。飲み物のほうは全然混まないしな。最悪、ちょっと高いけど販売機あるし。
「レナ。飲み物なにがいい? ついでに買ってきてやるぞー」
「抹茶ココア!」
「……だよな」
聞くまでもなかった。
「私は麦茶ね」
「……お前のは買うとは言ってないけど?」
「あんたに拒否権があると思ってるの?」
「……だよな」
当然。俺に拒否権などない。
しぶしぶ、俺は教室を出て購買に向かった。
レナが赤ヶ丘に通い始めて二週間。やっと取り巻きが無くなった。と言うのも、編入してしばらくはマジで大変だった。
理由は簡単。レナが可愛いから。
男子が休み時間になると近づいてきて、正直うざったい限りだった。まぁ雫の鉄壁のガードが展開されてたから、身の危険を感じて少しずつ男子の取り巻きが無くなっていったけどな。いまだに遠巻きにすっげぇ見てくるけど。相変わらず俺には嫉妬の目が向けられるし。
今ではすっかりレナはクラスに溶け込んでいる。もともと気さくなレナだからな。なにより純粋で邪気がないし、女子にも大人気だ。ゆういつの問題としていたレナの小学生並の学力も、雫と瑠璃の家庭教師によって、この二週間でだいぶ改善されてきた。下手したら俺と対して変わらないぐらいまできてるんじゃないか? それはそれで俺悲しいけど。
「……って、今日はけっこう混んでるな」
購買部に到着。パン売り場は相変わらずの戦争状態。飲み物売り場もそこそこの混雑だ。ちょっと待ったほうがよさそうだな。妥協して販売機も考えたけど、雫の分もあるし、節約だ。
「……ん?」
パン獲得戦争の後ろのほうで、人の波に弾かれながらも、何度も特攻してる兵士を発見した。特攻して、弾かれて、特攻して、弾かれての繰り返し。あれは絶対に生き残れない。見てて不憫だぞ。どうするんだろうな? と思って見てたら、深呼吸を数回。それから気合を入れる。そしてもう一回特攻。
結果は惨敗。
……そろそろ助けてやるか。
「なにやってんだよ。瑠璃」
「え? あ……お兄ちゃん……」
めっちゃ息切れてる。必死なのはわかったけど、あれじゃ戦死間違いなしだ。作戦もなにもない。ただの捨て身攻撃だぞ。命を粗末にするんじゃない。
というかそもそもの話……。
「お前、弁当あるのになんでパン獲得戦争に参戦してんだ?」
瑠璃だって弁当なんだから、パンを買うために戦争に参加する必要なんかないはずだ。まさか自分で作った弁当を家に忘れたとか、そんなドジを瑠璃がするわけないし。
「え、えっとね……」
なにか理由があるのか。瑠璃はもじもじしながら、パン売り場にある一つのパンに目を向けた。俺もその視線を追う。
「……ああ。なるほどな」
それを見て、俺はすぐに理解した。
新メニュー。激辛ドーナツ150円。瑠璃はあれを買いに来たんだ。さすが、辛いものには目がない。わざわざ値段のタグに『辛いよ!』なんて書いてあるし。辛いのなんてネーミングでわかるっての。
「正直、売れる心配はないと思うけど、この人波を超えていくのは至難の技だぞ?」
「う、うん……さっきから何回も挑戦してるんだけど……」
まぁちっこい瑠璃の体じゃ無理だろうな。雫なら人をちぎっては投げちぎっては投げで進みそうだけど。
……仕方ない。
「じゃあ可愛い妹のために、兄が一肌脱ぐか」
「え?」
俺は準備体操をして、気合を入れた。パン獲得戦争には長い間参戦してないからな。本気で行かないと戦死する。
「うぉぉぉぉっ!?」
可愛い妹のため、俺は戦場へと身を投じる!
★☆★☆★☆
「……あんた、なんでそんなにボロボロなの?」
「……名誉の負傷だ」
やっとの思いで教室に戻ってきた。し、死ぬかと思った……パン獲得戦争、あんなに激しくなっていたとは思わなかったぞ。誰もが形相でパンを奪い合ってる。あー怖かった。
「でも、瑠璃ちゃんを連れてきたのはよくやったわ」
「別にお前のために連れてきたんじゃないぞ」
「瑠璃も一緒に食べましょう~」
レナが手を引いて、瑠璃が俺たちの席へと招かれる。俺が命懸けでゲットした激辛ドーナツ片手に、少し恥ずかしそうな瑠璃。そりゃそうだ。一年生が二年生の教室で昼を食べるなんて落ち着かないだろう。
「……」
自然と俺の隣に座ってくる瑠璃。周りを物凄く気にしてる。まぁ確かにすっげぇ視線を感じるけど。さすが妹にしたい女子生徒ランキング一位。ここは一つ、威嚇しておくか。
「……なに見てんのよ?」
と、思ったら……雫が先に強力な威嚇を放った。猛獣が逃げ出すであろうその威嚇は、瑠璃のことを見てたクラスメートだけじゃなく、教室にいた全員がビクッと恐怖を感じていた。恐るべし。雫のガチ威嚇。そのうち触れないで相手を倒せそうだ。
「瑠璃のお弁当は美味しいですね~」
そんな凍りついた教室の空気を他所に、レナはマイペースにお弁当を食べ始めてた。いや、このマイペースがレナの良いところなんだけどね。俺も見習いたい。雫の威嚇をマイペースに受け流せるように。
「だろ? 我が妹ながら、良いお嫁さんになると思ってる」
「……」
あれ? なんか瑠璃がこっちを少し怖い目で見てる。褒めたのにな……あ、もしかして、この台詞、前にも言ったからか? ワンパターンはやめろ的な。
「我が妹ながら、どこにお嫁に出しても恥ずかしくないと思っている?」
「……」
駄目だ。言ってること対して変わらん。さっきよりも怖い目になった。なぜか最後疑問形になっちまったし。
「……お兄ちゃんは」
瑠璃が俺から目を逸らしながら、
「私をお嫁に出したいの?」
よくわからないことをぼそぼそと喋った。
「……ん? それってどういう意味?」
「……なんでもない」
お嫁に出したいの? そんなこと聞かれたのは初めてだな。
いやまぁ……出したいか出したくないかで言われたら、別に出したくないけど。我ながら可愛い妹を。
「ま、まさか……ずっと俺の妹として永住してくれるって言うのか?」
「馬鹿言ってないで早く食べて」
ば、馬鹿? 瑠璃に馬鹿って言われた……。
「……」
その後も、瑠璃はどこか不機嫌な感じだった。
俺、なにかした? むしろ命懸けで激辛ドーナツを奪取したんだから、不機嫌になる要素がなにもないと思うんだけど。むしろ「ありがとう、お兄ちゃん(ハート)」とか言って抱きつかれてもいいぐらいだと思うんだけど。
……まぁ、ここはご機嫌を取っておくか。
「瑠璃。相変わらず制服似合ってるぜ」
「……昨日も言ってたよね?」
「……そうだっけ?」
「……」
駄目だ。今なにを言っても、俺は墓穴を掘るだけだ。
「瑠璃ちゃんは私がもらうわ」
「……お前なに言ってんの?」
その台詞、もう聞き飽きたんだけど。お前にだけは瑠璃はやらん。
「……」
そんないつもの雫の冗談(?)だったのに。
「……私、雫さんの妹になろうかな」
そんなことを言う瑠璃。
「え?」
「えぇっ!?」
もらうって言った張本人が一番驚いてるんだけど。実際そうなったときの覚悟もないで言ってたのかよ。
「だって、そうしたらお兄ちゃんが私を……」
「ん?」
「……なんでもない」
瑠璃は俺からまた目を逸らして、激辛ドーナツを口へと運んだ。激辛なのに、顔色一つ変えずに食べてるのはさすがだ。
……どうしたんだ? 瑠璃のやつ。なんか今日は変だな。
★☆★☆★☆
「なぁレナ」
「なんですか?」
女心ってやつが俺にはわからない。だから放課後、レナに聞いてみることにした。
「瑠璃はなんで怒ってたんだ?」
「え? 瑠璃は怒ってたんですか?」
「……たぶん」
馬鹿って言われたし。普段、俺はそんなこと言われたことがないぞ。これは自惚れじゃなくて、兄として嫌われてはいないと思うんだけど。
「たまーにだけど、あいつなんかおかしいんだよ」
「おかしい? 瑠璃はお菓子ならいつも食べてますよ~」
「そんなベタな勘違いの仕方はいいから」
つっこむのも面倒だから。ボケてるわけじゃなくて天然なのはわかってるけど。ていうかいつも食べてるの? そんなに食べてもあんなちっこいままなのかよ(いろいろと)。
「レナ。おかしいって言うのは、変ってことだよ」
レナの鞄からニュっと顔を出した黒猫野郎が相変わらず生意気な口調で物申した。
「お前、顔出すなって言っただろ」
「それは学校の中での話だろ? 今は帰り道じゃないか」
猫畜生が屁理屈言うんじゃねぇよ。鞄のチャック強制的に締めるぞ。
俺は断固拒否したのに、カールは頑として「僕はレナのお目付け役だよ!」って学校に付いてきやがるんだ。だから条件として、学校にいる間は俺の許可なしに鞄から顔を出さないことにさせた。まだ見られるだけならいいけど、喋ってるのを聞かれでもしたら誤魔化しがきかなくなる。そのせいで、通学鞄と別にカール専用の鞄をレナは持ち歩いてる。全くもって、無駄な荷物だ。どこかに捨ててきてやろうか。拾わないでくださいって張り紙して。
「変って……瑠璃がですか?」
「うん」
「葉介に変って言われるなんて……よっぽど変なんですか?」
レナ。それは地味に傷つくぞ。
「なんて言うか……自分の可愛さを俺にアピールするって感じ」
「……?」
わかりづらいか。いや、俺もいまいちよくわからないんだけどさ。つーかこれだと瑠璃が自分が絶対可愛いと思ってる自信過剰の女の子みたいじゃないか。瑠璃はそんな子じゃない。
「……自分に対しての評価を俺に求めるって言うのかな? しかも、かなり本気で真面目に」
兄と妹の間なら普通なのかな? 他の兄妹なんて知らないからなんとも言えん。
「……」
レナはじっと俺の顔を見て、それからなぜかニヤニヤとした。ニヤニヤって表現はいやらしく聞こえるけど、レナのニヤニヤは純粋に可愛いだけだ。
「それはあれですねー。葉介もなかなか罪深いですね~」
「……俺が? 罪深い? なんで?」
「それは自分で考えてください~」
レナは理由がわかったような感じだけど、教えてはくれないらしい。
自分で考えて? わからないから聞いたのに。
「……私も負けていられませんね」
「なんか言った?」
「何も言ってませんよ~」
はぐらかされた。結局なにもわからないままだ。
「一つだけ。アドバイスをしてあげます!」
「アドバイス?」
「あんまり『妹』って、強調して言わないほうがいいと思いますよ~」
「……なにそれ?」
血は繋がってないけど、瑠璃は妹だぞ。なのに妹って言わないほうがいい? 訳わからないんだけど。
「もうちょっと詳しく説明してくれ――」
「見つけたぁ!」
言葉の途中で後頭部を鞄で殴られた。し、視界が揺れる……。こんな乱暴なことしやがるのは一人しかいない。
「いてぇだろ!? 雫!」
「私を差し置いて、レナと二人きりで帰るなんて良い度胸じゃないの?」
同じ家に帰るのになんで度胸とかが必要なんだよ。
「大体お前、日直だろ? 仕事終わったのかよ」
「あんな仕事神速で終わらせたわよ」
お前は一体何? 神様なの?
俺とレナを引き離して。無理やり間に入ってくる雫。レナにくっつき過ぎだ。
「途中で瑠璃ちゃんに会ったんだけどね。一緒に帰ろうって言ったら、葉介がいるなら今日はいいって言われちゃった」
「ガーン」
「効果音を口で言うなんて、なんかいろいろと哀れな人だね」
黙れ。黒猫。
いや、でも普通にショックなんだけど……いつもは一緒に帰ろうって言わなくても付いてくるのに。俺がいるならいいやって……。
「……これは私の時代が来たかしら?」
「お前にだけは瑠璃は渡さん! 瑠璃は俺のいもう――」
「葉介~。瑠璃の前でそれを言ったら駄目ですよ?」
レナに口を抑えられた。
け、けっこうきついんだけどそれ……今まで普通に言ってたことだし。
普通に……いつも。
「……」
それが駄目ってことなのか?
血は繋がってないけど、瑠璃は妹。少なくとも俺はそう思ってる。そう思うのが普通。そうやって今まで過ごしてきた。
……よくわからないな。




