story15「みんな大好き」
「急患です! どいてください!」
「出血が酷い……急いで集中治療室へ運べ!」
救急車が到着するやいなや、すぐに葉介は集中治療室へ運ばれた。
鉄骨の下敷きになって頭を強く打ち、全身も打撲や骨折……誰がどう見ても重体だった。
すぐに医師が集まり、集中治療室の中へ入って行く。緊迫した空気だ……看護婦も走って行ききしている。へたをすれば……即死でもおかしくなかったらしい。
集中治療室の前の椅子に座って泣きじゃくる瑠璃。雫は瑠璃の頭を撫でながら「大丈夫よ……」と何度も瑠璃に言葉をかける。まるで……自分にも言い聞かせるように。
「……レナ。君のせいじゃないよ」
「……」
横で泣いている瑠璃の顔を見るのが辛くて目を逸らす。
カールは慰めてくれているのだろうが……気休め程度だ。
あの時、葉介はレナを助けて鉄骨の下敷きになった。
元々怪我していた体にさらに重い怪我をさせてしまった。
葉介が鉄骨の下敷きになった時、レナは頭の中が真っ白になっていた。さっきまで笑ってくれていた葉介が血まみれで倒れている。その光景が目に焼き付いて離れない。
「レナ……さっきの電池は使えないの?」
「……無理だ。あれは小さな怪我を治すためのアイテムだ。お前も体でわかっているだろう?」
レナの代わりにサンが答える。
『元気になぁれ乾電池(単一)』は小さな怪我を治すだけで、怪我が完全に治る訳ではない。現に雫の体も怪我が治っておらず、看護婦にさっき手当を受けていた。
「……」
レナの脳裏に浮かぶ……葉介の言葉。
『これからもずっと俺たちと一緒にいてくれ!』。
でも、このままではもしかしたら葉介が――
「……嫌ぁ……」
レナは頭を抱え、激しく首を振って嫌々をした。自分の脳裏に浮かんだことをかき消すように。
「レナ? どうしたの……」
カールが傍に寄って顔をこすりつける。でも、レナは嫌々をやめない。脳裏に浮かんだ光景が消えない。
「大丈夫よ、レナ。葉介はタフだから……大丈夫……死んだりしたら……あの世まで追いかけて殴ってやるんだから……」
雫は瑠璃とレナを元気づけようとするが、声が震えている。こんな状況で気丈でいられるわけがない。
それから数時間。
特に会話も無くなり、時間だけが過ぎて行った。
全員が顔を伏せていた……が、待ち侘びた光景に全員が顔を上げる。集中治療室のランプが消えたのだ。それは手術が終わったことを意味する。
自然と全員が立ち上がり、扉の前まで移動する。やがて一人の医師が出てきて、マスクを外しながら状況を説明してくれた。
「……何とかという感じで一命は取りとめました。しかし……意識を取り戻すことはないかもしれません。脳の損傷が激しすぎてこれが限界でした。へたをすれば……このまま衰弱して命も……」
「……う……そ」
その場に崩れ落ちる瑠璃を雫が抱き止めた。だが……抱き止めた雫の腕もガタガタと震えている。相当動揺しているようだ。
「葉……介……」
ベッドに横たわる葉介を見て、レナの体は呼吸をすることを忘れているかのように固まっていた。
葉介がこのまま起きないかもしれない? 死ぬかもしれない?
自分の……せいで……。
「……レナ」
サンがレナの肩をポンと叩き、はっとして振り返った。
「願い人が願うことが出来なくなった場合……例外で他の願い人に移り変わるのは知っているな? ゼウス様に新しい願い人を決めてもらう為に。明日になったら一度神界へ戻れ。いいな?」
サンはそれだけ言うと、その場から去って行った。
葉介はもう願うことができない。それがサンの答えだった。
だが、サンの言葉はレナに届いていなかった。
「私の……せいで……私が……私が……」
「レナ! 落ち着いて……君のせいじゃないってば……」
カールの声にも反応せず、レナはひたすらに同じ言葉を繰り返していた。
「私が……私が……私が葉介を……私がぁ!」
★☆★☆★☆
数時間後、葉介は病室へと移された。
とりあえず、様子を見るしかないらしい。できる限りの最善を尽くした。医師はそう言っていた。
だが、意識が戻る可能性はほんの一握り、それどころか、このまま命を落とすかもしれない。
ずっと傍を離れず、葉介の手を握っている瑠璃。もう時間は夜も遅い。特別に病室に泊まることを許してもらったのだ。
雫はレナの傍で手を握り、落ち着くのを待っていた。
レナが一番、責任を感じているはずなのだ。一番辛いはずなのだ。
「……レナ。大丈夫?」
「……はい」
まだ呼吸が荒いが、とりあえず落ち着いたようだ。それを確認すると……雫は立ち上がり、瑠璃の肩をポンと叩いた。
「私、着替えとか持ってくるわ。瑠璃ちゃんは……葉介の傍に居てあげて」
コクンと頷いた瑠璃。雫はそれ以上声をかけず、病室から出て行った。
雫が出て行った後、レナは……あることを考えていた。
レナは葉介の願いを叶えて消えるつもりだった。その葉介がこんな状態になっている。いや……してしまった。自分が――
そんな自分に存在理由なんてあるのだろうか? と。
「……」
葉介は名前をくれた。自信を失っていたレナを救ってくれた。
それなのに……結局、何も恩返しできていない。
ずっと恩返しがしたいと思っていたのに。
「……恩返し」
その言葉を考えていて、レナは葉介の手を握っている瑠璃を見た。
今、瑠璃は本気で葉介が助かることを願っている。
今の自分に存在理由があるとすれば……。
葉介に恩返しをするなら……もう、これしかないのではないか? 頭に浮かんだ考えを肯定する。
「……」
迷ってなんかいられない。
ここで葉介を失ったら、絶対に後悔する。それは確信だった。
なら、やるしかない。
レナは立ち上がり、瑠璃の横に座った。瑠璃の肩を抱き……優しく語りかける。
「瑠璃……私の言うことを……よく聞いて下さいね?」
「……な……に?」
泣いている瑠璃の目から涙を拭ってやり、レナは瑠璃の目をじっと見た。
「葉介の無事を……心の底から願って下さい。葉介がまた……みんなの所に帰って来れるように……助かってほしいと……本気で思って下さい」
「……レナ……さん? それって……」
レナは瑠璃の口に指を当てた。それから先は言わなくていい……そういうことだろう。
瑠璃はコクンと頷くと、反対の手でレナの手をぎゅっと握った。
それを合図に……レナは目を閉じて、神力を集中させた。
「……え? レ、レナ!?」
神力を感じて、ベッドの横で寝ていたカールが目を覚ました。
目の前の光景が信じられなかった。
レナは……レナは……。
「レナ! なにやってんのさ!」
――願いを叶えようとしている。
「ごめんなさい……カール」
カールに謝りながら、レナは笑顔を浮かべた。
やがてレナの体から光が溢れ、瑠璃へと降り注がれる。光はそのまま瑠璃の中へと吸い込まれた。その瞬間……レナの体に変化が起きた。
さっき程大きな光ではないが……ぼんやりと体が光っている。いや、これは少しずつ光へ体が分解されているらしい。
少しずつ……少しずつ……レナの体は光になっていく。
「……」
視界がぼんやりとして行く中で……レナは葉介の顔を見た。
もう二度と見れない葉介の顔。心に焼き付けておこうと思った。
その心が消えてしまったら意味がないのかもしれないが。それでも、葉介の顔を最後まで見ていたかった。
「あり……がとうございました」
名前をくれてありがとう……。
生きる希望をくれてありがとう……。
思い出をありがとう……。
一緒に居ようと言ってくれて――ありがとう。
レナの体はまるで蛍の大群のような小さな光へと分裂していった。
もう、ほとんど何も見えない……何も感じない……。
今までの使い捨て神子も、こうして消えていったのだ。
だから同じ道を辿るだけ。
ただそれだけ。
「で……も……」
できれば……できれば……。
「……ごめ……ん……なさい」
葉介……。
あなたの願いを叶えて――消えたかった。
★☆★☆★☆
「ねぇ君、なにやってるの?」
もう日が暮れるって時間なのに、丘にある小川の前で座っている女の子を見つけた。見たところ、僕と同じぐらいの歳だ。だったらもう家に帰らないと、お母さんが心配するんじゃないかな。
「……え?」
女の子は驚いて振り返った。金色の髪が、夕日で赤く染まって綺麗だな。なんて思ってる場合じゃない。本当にもう暗くなる。
「もう日が暮れちゃうよ? 家に帰らなくていいの?」
「……えっと」
どこか困った様子の女の子。どうしてだろう。ただ、家に帰らなくていいのって聞いただけなのに。家に帰りたくないのかな? なにか嫌なことがあったとか。
「これ、飲む?」
「え?」
なんとなく元気づけてあげたくて、さっき買ったばかりの抹茶ココアを渡す。女の子はまた困った顔になった。
「美味しいよ。僕が一番好きな飲み物なんだ」
「……」
恐る恐る、って感じで女の子は抹茶ココアを手に取った。でも、それだけ。ただ手に持ってるだけで飲もうとはしない。どうしたのかな?
「飲まないの?」
「……これ、どうやって飲むんですか?」
え? 缶ジュースの開け方知らないの? 田舎の子なのかな……。
「ここをこうやって……」
缶を開けてあげて、また手渡すと、女の子はゆっくりと抹茶ココアを口に運んだ。その瞬間、その顔がぱぁ~っと笑顔になる。
「美味しいです!」
「でしょ?」
気に入ってくれたみたいでよかった。女の子はあっという間に抹茶ココアを飲み干した。相当美味しかったんだな。
「よいしょっと」
女の子の隣に座って、僕も小川を見る。それを横目で見ていた女の子は、おどおどと声をかけてきた。
「あの……あなたこそ、帰らなくていいんですか?」
「帰らないとお母さんに怒られちゃうね」
「な、なら……早く帰ったほうが……」
「大丈夫大丈夫。僕が怒られるより、君がそんな寂しそうな顔してるほうが百倍嫌だから。もう少し一緒にいてあげるよ」
「……」
女の子は少し顔を赤めながら、また笑顔になった。
どこか緩い笑顔。
……可愛いな。
……。
……。
ああ、そうか。
そういえばこんな出会いだった。
なんで……俺は忘れてたんだろうな。
この後、自分の名前がないって言ってたこの子にあげたんじゃないか。
俺を産んだ母さんの名前を。
レナって名前を――。
★☆★☆★☆
「……」
目が覚めると、知らない天井が目に入ってきた。どこだここ? 俺の部屋じゃないな。
「……瑠璃?」
起き上がると、ベッドの横で瑠璃が寝ていた。俺の手を握りながら。目の周りが赤い。もしかして泣いてたのか?
「……ああ、そうだったな」
だんだん記憶が蘇ってきた。
俺は鉄骨の下敷きになりそうになったレナを庇って……代わりに鉄骨の下敷きになったんだ。じゃあここは病院か。
「……全然痛くない」
鉄骨の下敷きになったって言うのに、体が全然痛まない。まだ点滴をしてるところを見ると、かなりの重体だったはずなのに。
俺の驚異の回復力?
まさか。俺にそんな人外的な回復力なんかないぞ。さすがに。
「……レナは?」
レナがいない。どこに行ったんだ?
……。
なんだろうな……すごく嫌な予感がする。
「瑠璃」
寝てる瑠璃を起こす。瑠璃なら知ってるかもしれない。
「……お兄……ちゃん……」
寝ながら俺を呼ぶとかすごく可愛いけど、今はそんな寝言を聞いてる場合じゃないんだ。起きてくれ。
ほっぺでもつねってやろうか。なんて思ってると、病室の入口でドサッと、なにかが落ちる音が聞こえた。
「……」
雫だ。手に持ってた鞄を床に落として、俺をまるで死人でも見るような目で見ている。
「おい。なんだその死人でも見るような目は――」
「葉介!?」
「ぶぐっ!?」
いきなり抱きつかれた。ていうか痛い! 力強いって! さっきまで全然体痛くなかったのに、今は全力で痛い! あ、でも胸が当たって良い気持ち……じゃなくて!
「痛いっつーの!」
「な、なんで……なんでそんなにピンピンしてるの?」
「はぁ?」
「あんた……死にかけてたのよ……」
雫が目を擦る。もしかして泣いてる?
ていうか死にかけてた? 俺が?
「お、お兄ちゃん……」
雫の声で瑠璃も起きたらしい。雫と同じ、まるで死人を見るような目で見てくる。
「おい、我が妹よ。お兄ちゃんを死人見るみたいに見るな」
「……!?」
無言で抱きついてきた。なんだ? 俺、今日モテモテだな。
でも、二人の反応を見る限り、俺は本当に死にかけてたらしい。だとしたら、俺はなんでこんなに元気なんだ? こんなの普通じゃないぞ。
普通じゃない……?
その考えの先に、俺は一つの答えを出す。
出さないほうがよかったのかもしれない答えを。
もしかして……まさか……。
「レナはどこだ!?」
「え?」
「……」
さっきの嫌な予感……あれは気のせいじゃなかった。俺がこんなに元気なのは、絶対にレナがなにかしてくれたんだ。なにか……くそっ! 考えたくない!
「そういえば……レナは?」
雫もレナがどこに行ったのか知らないのか、病室を見渡している。瑠璃はというと……俺がレナのことを口にしてから、黙ったままだ。
「瑠璃。レナがどこに行ったか知ってるのか?」
「……」
表情で俺はわかった。瑠璃はなにか知っている。
「教えてくれ、瑠璃。レナはどうしたんだ?」
「……」
「僕たちから答えるよ」
声に振り返ると……カールとサンがいた。
どこか悲しげな顔をしている一人と一匹。とくに、サンのこんな顔を見るのは初めてだ。
「……レナはどうしたんだ?」
俺の声が震えていた。答えを聞くのが怖くて。どうか違う答えが返ってきてほしいと願いながら聞く。
「消えた。お前の妹の、兄を助けたいと言う願いを叶えてな。神子の仕事を全うして消えて行った」
そんな期待も虚しく、返ってきたのは思ったとおりの、一番聞きたくなかった答え。
クラクラと頭が揺れ……ベッドに倒れる。頭を押さえ、必死に意識を保つ。
レナは俺を助ける為に消えたんだ。
俺の為に、自分の命を捨てて……。
「嘘……レナ……」
雫は目に涙を浮かべながら、崩れるようにその場に座り込んだ。瑠璃は……声もなく、泣いている。
願ったのは瑠璃だ。つまり、瑠璃は自分がレナを消してしまったと思っているんだろう。
でも違う。
瑠璃は悪くない。
悪いのは……俺だ。
俺を助けるために、レナは……。
「嘘だろ……レナ……」
これからも一緒にいようって言ったのに。
俺が自分でそう願ったのに。
なんで……こうなっちまったんだよ……。
「……レナから頼まれた物があるんだ。自分が消えた後に……君達に渡してくれってね」
「……え?」
カールがそう言うと、サンが一枚の大きな筒を取り出した。
「開けてやれ」
「……」
受け取った筒をしばらく見つめてから、蓋を開ける。中に入っていたのは……紙? 画用紙だ。卒業証書のように丸めて入れられている。
丸められた画用紙を開いた瞬間……俺は言葉を失った。
「……」
一枚の画用紙に描かれていたのは……俺、レナ、雫、瑠璃、カール、そして……サン。全員笑っている。これは……レナが描いたんだろう。相変わらず上手い。そういえば。俺たちを構図にして描くって言ってたな。あの約束を……守ったのか。
俺の目は、右下に大きく書かれている文字に向かう。力強く書かれたそれは……こう書かれている。
『みんな大好き!』
こんな物を描いてたのか……自分が死ぬってときに。
自分がここにいたって証を……残したかったのか。何かの形で。
……馬鹿だな。
こんなことしなくても、レナがここにいたことを忘れる訳がない。
忘れられる……訳がないんだ。あの緩く笑う笑顔を――。
俺は目の奥が熱くなるのを感じた。それと同時に視界がぼやけ始める。
……泣いてるのか? 俺は。
自分が消えるとわかってもレナは泣いてなかったのに……俺はこんなに簡単に泣くのか? 情けないな……。
「……あ……れ?」
画用紙の右下の部分に目を向ける。
そこだけ……水滴を垂らしたように濡れた痕がある。何カ所か……そこだけ。
使ってるのは色鉛筆だ。絵具を使ってる訳じゃないのに……水なんて使うはずがない。筒に入っていたから、描いた後に濡れるってこともありえない。
じゃあ……この濡れた痕は一体?
「あ……」
画用紙に新しく水滴が垂れた。どこから?
そんなの決まっていた。俺の涙だ。
俺の涙で、画用紙に同じ濡れた痕ができた。
ということは……つまり……元々あったこの痕は――レナの。
「……レ……ナ……」
そうか。よく考えれば当たり前だ。
自分が死ぬってときに……泣かないでいられる訳がない。
あれは……俺達の前では我慢していただけなんだ。
それで一人で泣いていたんだ。
辛かっただろうな……苦しかっただろうな……レナ。
それでも、最後までみんなで笑っていたかったんだな……。
この絵みたいな満面の笑みで……。
「レナ……」
雫が泣き崩れるように顔を手で覆った。
いつもあんな強気な雫だって……泣くことを我慢できない。
それでもレナは我慢してたんだ。
あんな小さな体で、溜め込んでたんだ。一人で。
「……レナ」
俺は絵を握りしめ、気が付いたらレナの名前を叫んでいた。
神子だから仕方ない。これが……使い捨て神子の末路。
レナは神子だから消えた。
レナがもし人間だったら。俺達と同じ人だったら――。
「レナァァァァァ!」
願うならばもう一度会いたい……。
今度は同じ人として、神子の仕事とかそんなことを考えずに……一緒に居たい。一緒に笑いたい。
『私……ずっと葉介に恩返ししたいと思ってたんです!』
俺たちが出会った神子。
共に笑い合い、ずっと一緒にいようと思っていたはずの。
使い捨て神子。
レナは……この世界から消えた。




