story10「神子だから」
「雫の奴……容赦しねぇな……」
左頬に湿布を貼りつつ、首が捻れてないか確認。変な方向向いてないよな?
帰宅直後、待ち構えていた雫にいきなり掌底を一発もらった。グルグルと俺の体は数回転して吹っ飛んで、首が飛んだかと思った。死んだかと思った。追撃を喰らいそうになったとき、すかさず予定通りレナが雫に抱きついて、俺は九死に一生を得た。さらにはメールで連絡してた通りに瑠璃も雫に抱きついて、雫の機嫌は一気に上昇。俺なんてどうでもよくなってた。それはそれで微妙な気分だけど。
まぁそれでも……夕飯は俺の奢りでピザなんて注文させられたけどな。俺に拒否権はない。夕飯中、俺はずっと雫の機嫌を損なわないように必死だったんだぞ。飲み物が無くなればすぐに補充し、ピザが空になったらすぐに片付け、後片付けも言われる前に進んで自分からやったんだ。その努力の結果、雫はご機嫌で家に帰って行った。
やっと俺は圧力から開放され、ゆっくりと風呂に入ったら……雫にもらった掌底の一撃がジンジンと痛み出してきたから、こうやって部屋に戻ってすぐに湿布を貼っていたというわけだ。
つ、疲れた……よく頑張った俺。
「はぁ……」
ベッドに寝転んでため息。疲れたため息でもあるけど、それだけじゃない。
願いごとなぁ……。
考える、なんてことは俺の脳には似合わないけど、今回ばかりはそうも言ってられない。働いてもらわないと困る。
すごい願いごと。
……マジでハードル上がっちまった。
すごい願いごとってなに? なにがどうなればすごい願いごとなんだ?
俺の人生が変わるような願いごと? 世界がひっくり返るような願いごと? いや、それはさすがに大げさか。もっと小さなことでも……でもそれじゃすごい願いごとって言えないか。
すごくて、最高の願いごと……。
考えれば考えるほど思うんだけどさ。俺は……自分のためになにかを願えそうにないんだよな。自分のための願いごとがあれば、すぐに思いついてる。思いつかないってことは……そういうことだろう。
だとしたらどうすればいいのか。
自分のために願えないなら……。
誰かのために願うとか? 俺以外の誰かのために。
でも……誰のために? その誰か、は……受け入れてくれるのか?
けっきょくまた考える。無限ループ中。思考があっちいったりこっちいったり。もう訳がわからなくなってきた。
「ヴぁぁぁぁぁぁ……」
ゾンビ声を出して思考整理。あはは。余計混乱した。
やばい。発狂しそう。
「葉介」
部屋の扉をノックする音に、俺はゾンビ声をやめて起き上がる。この声は……レナか。
「どうぞー」
返事をすると、風呂上りでパジャマ姿のレナが部屋に入ってきた。
風呂上りの女子の色っぽさってすごいよな。それに始めて気が付いたのは、中学の修学旅行で風呂上りの女子と対面したときだった。女子は髪を下ろすだけでも印象がだいぶ変わる。それはレナも同じで、いつもツインテールだから、髪を下ろした姿は新鮮だ。
「どした?」
「いえ……雫に叩かれたところは大丈夫かなと思って……」
本気で心配してるのが声でわかる。まぁ無理もない。あのときの俺、マジですっげぇ吹っ飛んだもん。傍から見たらたぶん「あ、こいつ死んだ」と思われるぞ。
「へーきへーき。こんなもん。レナとデートできたことを考えると安いもんだぜ。痛くも痒くもない」
めっちゃ痛いけど。レナとデートの代金と思えば、もう二、三発もらってもいける。
……あ、やっぱもう一発が限度かも。首が飛んじゃう。
無駄に元気なところを見せようと腕をぶんぶん振り回してみせる。レナも安心したのか、小さく笑うと、俺の部屋を見回し始めた。
あ、やべ。部屋散らかってないか? そういや、レナに部屋を見せたの初めてかも。女子に見せられないような薄い本は……大丈夫だ。見える所にはない。俺の隠し場所は絶妙だぜ。たまーに瑠璃が勝手に俺の部屋を片付けるときがあるからな。学校から帰ったら机の上に薄い本が置いてあった、なんてパターンは嫌だ。
「汚い部屋で悪いな」
「え? いえいえ! 違います。これが葉介の部屋なんだなぁと思って」
興味の目で俺の部屋を改めて見渡すレナ。
そんなに珍しいか? 別に広くもないし。一般的な高校生男子の部屋だと思うけど。変わった物もないし。まぁあえて言うなら、お年玉と貯金をはたいて買ったコンポが目立つぐらいだ(59800円)。それ以外はとくにない。
「レナも部屋に欲しい物があったら言ってくれ。親父の部屋からぱくってくるから」
空いてる部屋だったから、テレビもなにもない。レナはいつもリビングでテレビ見てるけど、部屋でも見たいなら親父の部屋からぱくる。どうせあんまり戻ってこないし。
「ふふ。大丈夫ですよ。私は置いてもらえるだけで充分です」
謙虚だな。俺的にはむしろ、願いを叶えてもらうから、できるかぎりは待遇を良くしたいんだけど。
「……」
「……」
そして、なぜか二人共沈黙。
あ、あれ? なにこの空気。レナとは普段普通に喋ってるのに、なんで沈黙してるんだ? 空気が重いんだけど。いつものテンションはどうした俺! レナもいつもの緩いテンションはどうした!
「……レ、レナ。とりあえず座るか?」
間を持たせようと、ベッドにあったクッションを差し出す。立たせてるのは悪い。座ってもらおう。
「は、はい……」
やっぱり、レナもなんかギクシャクしてる感じがする。俺、なにかやったっけ? 別にレナが気にするようなことはなにもしてないと思ったけど、俺がそう思ってるだけで実はなにかやったのかな? 夕飯のとき、雫のご機嫌を取るのに必死だったから、知らず知らずにレナになにか失礼を……。
「葉介。願いごと決まりました?」
「ぶっ!?」
「ど、どうしました?」
「い、いや……」
痛いところを突かれて、おもわず吹き出す。
考えてはいる……でも、まだ全く決まっていません。なんてはっきりと言えない。レナをがっかりさせちまう。あんなに期待してたんだから。
「……ま、まだだな。もちろん! 候補はいろいろあるぞ! でもな、俺がレナに約束したのはすごい願いごとだからな! そんな簡単には選別できないっていうか……」
「ふふ。そうですね。ゆっくり考えてくださいね」
ふ、ふぅ……焦った。催促されたのかと思った。
そうだよな。もう少しゆっくり考えてもいいよな。
だって、俺が願ったらレナが帰――。
「……」
あれ? なにを考えてるんだ俺は?
俺は……。
レナに帰ってほしくないと思ってるのか?
レナは神子。神子だから、願い人の俺が願ったら、神界に帰る。それは当たり前のことだ。だって次の願い人の所に行かなくちゃいけないんだから。
それは当たり前のこと。
それが神子の仕事。
レナと俺は、神子と願い人。ただそれだけの関係。
でも、それでも俺は……。
心のどこかで思ってる。
レナに帰らないでほしい。
……これじゃ雫と考えてること同じじゃんか。
「葉介」
「ふぁ、ふぁい?」
やべ。声裏返った。動揺しすぎだろ俺。
俺のことを呼んだのに、レナは俺の方を向いてない。反対方向を向いてる。なんだ? 目を合わせてくれないんだけど。
「あ、あの……」
そしてなぜかモジモジ。なにか言いたいことがあるけど、言えない。そんな感じだ。とりあえず、そのモジモジ顔可愛い。ぎゅってしたい……じゃなくて、理性を保て、俺。
「なんだ? なにかあるなら遠慮しないで言ってくれていいぞ」
「……」
遠慮されるってのは、なんか余所余所しく感じるからな。言いたいことがあるなら言ってほしい。
「よ、葉介! あのですね!」
「お、おう……」
鬼気迫る勢いのレナ。そんなに重要なことなのか?
なにかを言おうと決意した顔に……なったのは一瞬だけで、またすぐに俺から目を逸らした。
「な、なんでもないです」
おいおい。それは無理があるぞ。
「……本当に?」
あそこまでなにかありそうな感じだったのに、いまさらなにもないって言っても説得力が。絶対なにかあっただろ。
「ほ、本当になんでもないんです! お、お邪魔しました!」
慌てて逃げ出すように立ち上がったレナ。でも、足元を見ていなかったらしく、クッションを踏んづけてバランスを崩し、
「きゃっ!」
そのまま前のめりに転倒した。
「レナ!」
俺はすぐにフォローに入る。でも、俺も慌てて立ち上がったこともあり、できたのは、なんとかレナと床の間に体を入れることだけ。
「あだっ!」
そして一緒に転倒。でも、レナは俺の上に転んだから、痛いのは俺だけだ。セーフ。
セーフだけど……。
「……」
「……」
結果。レナが俺に覆いかぶさる形で、二人寝転んでたりする。
顔がすごく近い。レナの息遣いが一つ一つ聞こえて、俺の体は急激に熱くなる。
だってちょっと顔を動かせば、レナの唇が届く所にあるんだから。
心臓が破裂しそうなぐらいバクバク言うとはよく言ったものだ。俺は今、まさにそんな感じ。あまりに激しく動きすぎて、止まってしまうんじゃないかというぐらいだ。
風呂上りで、シャンプーの良い香りが……綺麗な髪だな。おもわず触りたくなるのを我慢する。細いレナの体は、強く抱きしめたら折れてしまいそうで、軽く手を添えるだけになっている。レナの体も熱い。風呂上りだからか、それとも……いやまぁ、風呂上りだからだろう。だって羞恥心って物があんまりないレナだから――。
「……ご、ごめんなさい!」
って、あれ?
顔を真っ赤にしたレナは、慌てて俺から離れて立ち上がった。
いつもと反応が違うぞ。そこは緩い笑顔で「転んじゃいました~」とかでいいのに。そんな素の反応されると俺までさらに恥ずかしくなる。
「し、失礼しました!」
「あ」
呼び止める間もなく、レナは部屋から出て行ってしまった。
少しの間、一人でポカンとする。レナの体から感じていた温もりがなくなったことを、寂しく思いながら。
えっと……なんだったんだ?
なんかおかしかったな。レナ。
★☆★☆★☆
「はぁ……はぁ……」
逃げるようにして自分の部屋に戻ってきたレナ。
いや、実際逃げたのだろう。
言いたいことも言えずに戻ってきたのだから。
「でも……やっぱり言えません」
胸を押さえ、自分の気持ちを押し殺すレナ。心臓のドキドキがまだ止まらない。
「だって……私は神子。葉介は人間。神子の使命は……願い人の願いを叶えること。葉介が願ったら……私は帰らなきゃいけない」
ずっと一緒にいられるわけではない。
それならば、この気持ちを伝えても迷惑にしかならない。
だから言えなかった。ただそれだけ。
それだけなのだ……。
「でも……」
やっぱり、胸が痛かった。
本当なら言ってしまいたかった。そうすれば、こんなに痛くなかったのだろう。
でも言えない。
神子だから……。
「レナ」
「きゃあ!?」
不意に声をかけられて、心臓が跳ね上がった。振り返ると、お座りの状態でレナを見上げているカールがいた。
「カ、カール。起きてたんですか?」
「僕だっていつも寝てるわけじゃないよ。君のお目付け役なんだからね」
いつも寝てる気がする。というツッコミはやめておいたレナ。実際、今日もほとんで寝ていた。だからこそ、一人で散歩に出たのだ。
「今日、どこか行ってたの?」
「あ、はい! そうなんですよ! 葉介にゆうえんちに連れていってもらって、いろんな乗り物に乗ったんですよ! 楽しかったです! また連れて行ってくれるって言ってました。楽しみですね~」
「……」
楽しそうに話すレナに対して、カールは厳しい表情を崩さない。いつもなにかと厳しいカールだが、それとは違う。レナもそれに気がついて、問いかける。
「カール? どうしたんですか?」
「レナ。君は神子だよ? 神子の使命、わかってるよね?」
「……」
現実に引き戻されたかのように、レナは肩を落とす。そして、はしゃいでいた自分を恥じる。
確かに今日は楽しかった。今まで生きてきた中で、最高と言っていいほどに。
でもそれでは駄目なのだ。楽しんでいては駄目なのだ。
自分がここにいる目的は、楽しむことではないから。
「……レナ」
さっきとは違い、どこか優しいカールの声。レナは寂しい笑みを浮かべて答えることしかできなかった。
「ごめんなさい……私、はしゃぎすぎましたね。私は葉介の願いを叶えるために来たのに……」
「……でも僕は、今回は良いと思ってるんだ」
「……え?」
「レナが楽しんでも、ね」
さっきとは真逆のことを言われて、レナは戸惑う。
良いはずがないのだ。仕事を忘れて楽しんでいることが。
なのに、なんでカールはそんなことを言うのだろうか。わからない。
「……レナ。大事な話があるんだ」
「……」
なぜだろう。聞くのが怖かった。
なんとなくわかったのだ。
その話が……自分にとって、良いことではないと。




