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日陰のキノ娘

 山道を登っていくと、空気が段々と湿り気を帯び、霧深くなってきた。

 森に漂う白い蒸気。独特な刺激臭は話に聞いていた温泉の臭いかもしれない。

 時折、温泉の臭いに混じって、眉を寄せてしまうような臭気も混じってくる。これはアレだ。間違いなく×××の臭いだ。

 鼻を摘まみながら山道を歩いていると、足元に柔らかな感触を感じた。

「うわっ!? くそっ、最低だ……。×××踏んじまった!!」

 つっかけのサンダルの裏に、こげ茶色の物体がへばりついている。

 私は顔をしかめて、サンダルを地面に擦りつけながら山道を進んでいった。


 小さな温泉と肥溜めが道の脇にあって、そのすぐ近くの朽ちた巨木のうろを、シロシベ家が住処にしている。

 話に聞いていた通り、蒸気漂う温泉と大きな肥溜めの池を見つけることができた。どうやら目的地は近いようだ。

 この辺りだろうと周囲を見回してみれば、朽ち果てた巨木がすぐに目に留まった。


 朽ちた巨木の洞というから、相当に劣悪な居住環境を想像していたのだが、実際に見つけたシロシベ家は予想以上に大きくしっかりとしたものだった。

 まず朽ちたとは言え、巨木そのものが近づいてみると馬鹿みたいに大きい。完全に枯死しているが、割と腐っている部位は少なかった。

 その巨木には幾つか窓のように小さな穴が開いており、根元の方に人が一度に三人ほどは通れそうな両開きの扉が備え付けられている。


「意外と立派じゃねーか……。てか、私が十年以上も暮らしてきたアパートなんかよりよっぽど……」

 扉の前に立ち、世の不条理を嘆いていたところ、目の前の扉が小さく音を鳴らして開く。

「……?」

 しかし、扉は完全には開かず、僅かな隙間を開けて止まった。

 そして、何故かゆっくりと閉じた。


「……おいこら! 中に誰かいるんだろ!? 客が来たってのに様子だけ見て閉めるとか、どんだけ失礼なんだよ!」

 ×××の付いたサンダルで乱暴に扉を蹴りつけ、私は大声で中にいるであろう住人に向けて怒鳴った。

「私だ、私! ほら、私だよ! わかんだろ! ここがシロシベ家ってんなら、私のこと知っている奴がいるんじゃねぇのか!?」

 まるで俺俺詐欺のような言い回しで、大声を張り上げながら扉を叩きまくる。

 すると再び扉が小さく開いた。

「お?」

 私はその隙間から中を覗き込んだが、扉の向こうは暗がりが広がっていて何も見えない。


 ――否、その隙間から、ぎらりと光る赤い点が二つ覗いていた。

 ぞわり、と妙な悪寒が私の背筋を走った。

 赤く光る二つの点、それは瞳だ。

 青い瞳の奥底から強烈な赤い光が放たれて、若干紫がかった不気味な眼。


 その瞳に射竦められて、私は思わず硬直してしまった。

 しばらく謎の瞳と見つめあっていたが、先に反応したのはあちらだった。


「……きゅ……」

「きゅ?」

 耳を澄ましていなければ聞こえないほどにか細い声が扉の奥から聞こえてくる。

 そして、扉の奥の住人は確かに私に向けてこう言った。


「……お、おかえり……。……キューちゃん……」

「……………………」


 キューちゃん、とは誰のことだろうか。

 でも今、お帰りと言った気がする。お帰りになったのはキューちゃん。

 つまり、この家に帰ってきたらしい私がキューちゃん、そういうことなのか。


 ゆっくりと扉が開いた。

 相変わらず扉の奥は薄暗かったが、中にいた住人の姿が闇の中に浮かび上がる。

「あ……」

 私は、なんとなくその人物に見覚えがあるような気がした。


 不健康そうな顔色をしていて、暗褐色の髪の毛は寝癖だらけ、頭頂部にも目立つ癖っ毛があった。

 やけに卑屈な表情で、怯えたように体が細かく震えている。

 背中の大きく開いた茶色のシャツとスカートをはいた歳若い女性。

 大胆に露出した背中には、でかでかと『蔭』という青い文字の刺青が入っていた。


「姉ちゃん……?」

 私の姉、白蕊茸子しろしべたけこにそっくりな、でもどこか根本的に違う何者かがそこにいた。

 だが、私の呟きに目の前の姉モドキはあからさまにほっとした様子で息を吐いた。

「良かった……キューちゃん……。……いつまで経っても戻らないから……心配していたの……。でも、戻ってきたら戻ってきたで、また性格変わっているし……。とうとう壊れちゃったんじゃないかと……」

「こら、誰が壊れだ」

 ひどい言われようである。

「……だけど、正気みたいで安心した……」

「私はいつでも正気だ!」


 ごく当たり前の反論をした私を見て、姉モドキはふと表情を陰らせる。気のせいか周囲の背景も一緒に暗くなった気がする。

「………キューちゃん………。……やっぱり、壊れちゃった……?」

「なんでだよ!? それ、どういう反応だよ!?」

 そんな意味不明のやり取りを何度か繰り返した後、私は事情もよくわからないままにシロシベ家の敷居を跨いだのだった。


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