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キノコトリップ

 その日、私はいつになく上機嫌だった。

 ふわふわとした心持ちで部屋の天井を眺めながら、くつくつと小さな含み笑いを漏らす。

 おかしい、何もかもがおかしくて堪らない。何がそんなにおかしいのかと言われても、とにかくおかしいのだ。


 私が気分よく自室で寝転がっていると、階下からどたばたと階段を駆け上がってくる音が聞こえる。

 音の主は私に断りもなく部屋の戸を開けると、大きな声で怒鳴り散らした。


絹子きぬこ! あんた何やっているの!? 臭うわよ! 絹子――あんた、いったい!?」

 悲鳴のような怒鳴り声が部屋の中に響く。


 ――ああ、うるさい。いつも部屋の戸を開けるときはノックしろと言っているのに。

 そういえば、わざわざ部屋に取り付けた鍵を閉めるのを忘れていた。これは失敗だ。せっかく気持ちよく夢現の世界を漂っていたのに、うるさい奴に踏み込まれて台無しである。それもこれも――。


「うるっへぇ! ババア! 勝手に入ってくんじゃねぇよー!」

 ちょっと呂律が回らなかった。とにかく悪いのは私じゃない。勝手に部屋に入り込んで、勝手に喚き散らしているこいつが悪い。

「何しているの!? 部屋の中で……うっ。臭い……あんたまさか漏らしているの? このにおい、×××でしょ!?」

 私の威嚇に怯むどころか、ますますいきり立って叫ぶヒステリー女。×××の臭いとか馬鹿か、ここ私の部屋だぞ。そんなわけ――。


「あれ? そうか、×××ね……」

 私はこの臭気に慣れきっていたので、異常なことに気が付かなかっただけだ。確かにこの部屋には、×××の臭いの元となるものが存在している。

「まさかっ……あんたまさかまた……!?」

 うるさいヒステリー女は勝手に部屋へ上がり込んできただけでは飽き足らず、押入れの襖を開いて中を覗く。


「おっいぃ!! ふざけんなよ、糞ババア! 勝手に人の部屋の押入れ開けてんじゃねぇよ!!」

 私は無作法を働くババアを止めようと立ち上がるが、足がふらついて思うように歩けない。そのまま盛大に背中からひっくり返って仰向けに倒れてしまう。

 ちくしょう。体が思うように動かない。まるで夢の中にいるみたいだ。手足が重くて、でも倒れた衝撃による痛みはなくて。なんだかとっても気持ちがいい。

「あれ? なにこれ、超気持ちよくね?」


 押入れの中には私が丹精込めて作ったハーブの鉢植え。観葉植物を育てる生育促進用のランプに照らされた葉っぱが青々と茂っている。

 そしてその隣には、動物の糞を培地にして生えた、琥珀色の傘が可愛いマッシュルームが群生していた。


 いつだって私をハイにしてくれる、売り捌けば金にもなる。

 私の可愛いマッシュルーム。

 自慢の純金イヤリングもブレスレットも、高級ブランドのバッグも衣装も、全部この子が私に与えてくれた。


「絹子ぉっ!! あんたって子は!! なんて馬鹿なことをしたんだい!!」

 怒り狂ったババアが私の胸倉を掴み上げて、頬を思い切り引っ叩く。

 なにしやがんだ糞ババア! と言う間もなく、往復ビンタが私の両頬を打ち据えた。あれ、おかしいな、むかつくんだけど気持ちいい、なんだろこの感覚。

 引っ叩かれてへらへらと笑う私に、糞ババアはいっそうヒステリックに叫び声を上げた。


「あんたもうお終いだよ!? 保護観察中にこんなことしでかして!! 聞いているのかい!?」

 聞いてない。なに言ってんの馬鹿らしい。何したって私の勝手じゃない。

 焦点の定まらない視線を部屋の入り口に向けると、戸の脇で糞ババアの陰からこっそり部屋の中を窺っていた根暗女の姿が見える。年中、ぼさぼさの髪に寝癖のついた私の姉だ。

 取るに足らない引き篭もりの姉。時々、私が気前よくお小遣いをやると、卑屈な笑みを浮かべて受け取ってはネット通販でくだらないものを買い漁っている。


 私から金を受け取っていた引け目があるのか、それとも事がばれて、おこぼれに与れなくなることを心配しているのか。どちらにせよくだらない。

 くだらない、くだらない。何もかもくだらない。真面目に学校へ通って、勉強して、卒業して、また進学して、勉強して、私はいったい何を目指すの?


 何も目指すものなんてない。とりあえず楽して食っていけるのが一番だ。日々が快楽に満ちていればなおさらいい。

 だから、私はハーブを育てた。マッシュルームを栽培した。

 それがどんな結末を招くか、よく考えないで実行した。


 その結末が今、私の現状を作り出していた。


 天にも昇る心地とはこのことか。

 糞ババアに引っ叩かれて気持ちよくなり、腰の力が抜けて股の間から生暖かい液体が漏れ出した。

 至福の感覚だ。

 ああ、極楽極楽。

 極楽極楽……。


 極……。


 でもどうしてか急に、ぐるんと視界が一転して気持ちが悪くなってきた。

 吐き気と目眩と頭痛と酩酊感が一度に襲ってきて、私は耐え難い苦痛に苛まれた。

 気絶しそうなほど苦しくて、でも苦痛によって覚醒し、決して気絶することもできず悶え苦しむ。


 こんなのは違う。求めていたものと違う。

 苦しい、苦しい。地獄だ、地獄の苦痛。


 浅はかな行為で人生を棒に振り、自分さえも見失って、最後は苦しんで終わりなのか。


 私の人生、なんだったんだろうか。

 他の人と違うことをやって、楽してお金儲けして、快楽に身を委ねて。

 結局、どうにもならないほどに落ちぶれて、堕ちて、苦しみに喘いでいる。

 くだらない人生だった。本当に。


 こんなことなら人間なんかに生まれてこなければ良かった。


 そう、もしも今の私が死んで、何か別の存在に生まれ変われるなら。

 私は……私は……。



 朦朧とする意識の中、私の視界にマッシュルームが飛び込んできた。

 だから正気をなくした私はこんなことを思ったのかもしれない。


 もしも生まれ変わるなら、私はキノコに生まれ変わりたい。


 狂気だったけど、本気で私は思ったのだ。

 その時は本当に、そう思ったのだ。


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