その42 『昼の夜子さん』
ファミリーレストラン『ハーフパーク』。
割と全国に広がっているハンバーグがウリのファミレスである。
その中のひとつのテーブル席に、真は少し珍しい面子と座っていた。
「何でも注文してくれて構わないよ。今日は私の奢りだ」
両肘をつき、両手の指を絡ませ、そこに顎を置いた薔薇蔵さんがにやり、と意味深に笑った。
「じゃ、じゃあ……このハンバーグ……」
「おいおい、大きいナリで小食だな。もっとドカンとビッグハンバーグとか頼んでくれていいんだぞ、大くん」
そして意外や意外、同席するのは緊張の面持ちのダイダラボッチの大くん。
はてさてどういう経緯でこうなったのか。
つい先日、真にセクハラした薔薇蔵さんは、真に呪いをかけられた。
タンスの傍を通り過ぎる度に小指を打ち付けるという呪いである。
そろそろ小指が限界を迎える薔薇蔵さんは、真に土下座し、食事を奢るという対価を支払い呪いを解除してもらったのである。
そして、何故かその食事に大も誘った。
いや、何故か、とか理由を探る意味すら無い。
「ふふふ、中学生、いいなぁ」
下心である。
薔薇蔵さんは中学生から高校生にかけての男子に並々ならぬ興味を持っているのだ。
最近しあわせ荘に戻った事もあり、住民と仲を深めるとか都合のいいことを言って、大を誘ったのである。
「大に変な真似したら、今度はありとあらゆる角に小指をぶつける呪いをかける」
「やめて」
割と洒落にならない痛さなので薔薇蔵さんも迂闊な真似はできない。
彼女は変態だが、マゾヒストではないので、流石にあの痛みを背負ってまでセクハラはしないのである。
「でも、大。断っても良かったのに」
「い、いえ。嬉しいです」
「大くんは素直で可愛いな……よし、薔薇蔵さん、たくさん奢っちゃおう」
シャイボーイの大と薔薇蔵さんの相性は宜しくないのでは、と真は心配していたが、割と大は薔薇蔵さんとは喋れるらしい。見た目が中学生みたいだからだろうか。薔薇蔵さんもシャイでピュアな大は気に入っているらしく、あまり嫌らしい事とかしない。したらいけないタイプだと分かっているのかも知れない。
そんななんやかんやで平和な面子でメニューを眺めて、注文を決める。全員が決まったところで、薔薇蔵さんが手を大きく振った。
「おーい! 夜子-! 決まったぞ-!」
え、と真が口を開く。
「もう、名指しはやめて下さいってば!」
すすすっ、とやってきたウエイトレス。
目を細めて真はその女性を凝視する。
黒髪を後ろで束ねた色白な女性。綺麗っちゃ綺麗だが、少し地味な顔立ちの彼女。何か見覚えがあるような……というより薔薇蔵さんが呼んだ名前はしっかり真も覚えている。
「……夜子婦人?」
「あら? 遠野さん? あと、山越さん? ご機嫌よう……でなく、いらっしゃいませ、ですね。薔薇蔵と一緒なんて珍しい」
おどろおどろの夜子婦人。薔薇蔵さん同様、越戸高校七不思議の一角であり、同じく七不思議休業中であり、彼女とルームシェアをしている女性である。
黒い貴婦人ルックに、黒い日傘、色白の肌に浮かぶ不健康なクマ、夜の越戸高校を彷徨う妖怪。
……それが、今や。
ファミレスの制服に身を包み、傘なんて当然ささないし、夜の学校徘徊をやめてぐっすり眠っている為クマはすっかり取れている。
「……もう、普通の人だよな」
「え? 何がです?」
すっと顔を寄せて、ひそひそと薔薇蔵さんが囁く。
「……最近、バイトのシフト増やして充実してるらしいから、七不思議とか多分忘れてる」
「それでいいのか七不思議」
最近の夜子さんの事情を聞いた真は、頬に口づけされる前に薔薇蔵さんから距離を取る。
チッ、と舌打ちひとつ挟んで、薔薇蔵さんは夜子さんに注文する。
「包み焼きハンバーグのAセット」
「ハ、ハンバーグのセットを……」
「自分も大と同じのを」
「あと、ドリンクバーをみっつだな」
ご注文を確認させて頂きます、と夜子さんが流暢に注文を復唱する。
そして慣れた足取りで、夜子さんは下がっていった。
それを見送り、薔薇蔵さんが得意気に言う。
「結構サマになってたろう?」
「確かに……って、突然の事でスルーしかけたけど、ここって夜子さんのバイト先だったんだ」
「あれ? 言ってなかったか?」
「言われなきゃ分からないくらい普通の人になってたな」
夜子さんの方をもう一度窺う。
すっと音もなく、伸ばした背筋で滑るように移動する。
お昼時、忙しい時間帯、ひっきりなしにピンポンピンポンと呼び出しの音が鳴る。
ボタンを押した客席に、三秒待たずに夜子さんは現れる。
水のコップが空になりかけたお客の元にもすぐに静かにすっと現れ、水のおかわりを用意する。
何と見事な立ち回りか、真はその無駄なく素早い動きに驚嘆した。
「す、すごいな……まるで夜子さんが何人もいるように見え……」
三番テーブルで注文を取っている夜子さんから少し視線をずらすと、七番テーブルで水を注いでいる夜子さんがいて、更に更に視線を移すと、ハンバーグの鉄板を配膳する夜子さんが音もなく滑るように……というより地面を滑って移動している夜子さんがいる。
「何人もいる!?」
何人もいるように見えるとかじゃなく、何人もいる。
大も気付いたようで混乱して目を白黒させている。
「え? え!? ええっ!? よ、夜子さんが増え……」
「残像です」
「ファッ!?」
気付けばテーブルの横に立っている夜子さん。
ハンバーグを既に運んできている。
「早っ!」
「お待たせしました。包み焼きハンバーグのAセットです」
平然とハンバーグの鉄板を置き、ごゆっくりと頭を下げると、再び身を引く夜子さん。
大があわあわしながら薔薇蔵さんの方を見た。
「あ、あの、夜子さん、何か増えてません?」
「ん? ああ、残像じゃないかな」
「いやいや、どう見たって分身してるだろ」
適当な薔薇蔵さんの返事に真が突っ込む。
普通に夜子さんは増えている。店内に五、六人いる。
包み焼きハンバーグのホイルをナイフで切り開きつつ、薔薇蔵さんは「ああ」と頷いた。
「まぁ、夜子は基本何でもありの妖怪だから。何人か増えたりもするんじゃないかな」
やっぱり本当に増えていた。
移動も足さばきが華麗だから音が立たないとかじゃなく、本当に地面を浮遊して滑っているから音が出ていない。
普通に過ごしているかと思いきや、とんでもない。妖怪スキルフル活用である。
「だ、大丈夫なんですか……? 普通の人に見られてません……?」
「残像って言えば大体誤魔化せるって、前に言ってたな」
「誤魔化せないから」
真の冷静なツッコミ。
しかし、割とお客さんも店員さんも気にしていない様子である。
「夜子さん三番テーブルお願いします!」
「はい!」
「夜子さんハンバーグできました!」
「はいはい!」
「助けて夜子さん!」
「はいはいはい!」
むしろ大活躍である。
「にしても、意外と真面目なんだなぁ。七不思議とかふざけた事してた割には」
「何を言う真君。真面目だからこそ七不思議として活動してたんじゃないか」
え、と真。
「人を脅かすなんていうのは、妖怪の本分だぞ? むしろ、人間社会に溶け込む妖怪に比べれば、私達はかなり真面目な部類だよ」
「お前はただの下心だったろうが」
しかし、と真は考える。
瓜子さんを脅かしていたしょうも無い妖怪かと思ったが、成る程妖怪とはそういうものなのか。
そこを大目に見れば、やはり薔薇蔵さんと違い、こっちは本当に真面目な妖怪なのかも知れない。
というのも、しあわせ荘に夜子さんと薔薇蔵さんが暮らし初めて、その暮らしぶりを見ている内に、真の中で夜子さんの評価が若干上がっていた事もある。
その位に、割と誠実な見た目普通の人なのである。
「で、でも凄いですよね……」
真面目な夜子さんの働きぶりを眺めながら、ぼそりと大が呟いた。
「あんなに人に慕われて……同じ妖怪とは思えない、です……」
憧れの人を見るようなまなざしである。
人間関係に悩む彼からすると、夜子さんはかなり眩しい存在らしい(夜なのに)。
「大くんは地味目の女がタイプなのかな?」
「えっ!? い、いやいやそういうのじゃないです!」
「でも、残念。夜子にはもう良い感じの相手がいるから」
え、と大と真が声を揃える。
ほら、とにやける薔薇蔵さんは店の奥の方を指差した。
店の奥には少し仕事も落ち着いてきた様子の夜子さん。何やら店の奥で背の高い男性と話している様子。
「え。夜子さんと凄い親しげに話してるあの人は一体?」
「このファミレスのオーナー。結構気に入られてるらしい。最近食事にも誘われてたかな」
「マジでか」
「マジでマジで。もしかしたら結婚秒読みかも知れない」
「マジで!?」
真、ガチ驚きである。
何だかんだで恋愛とかそっち方面と無縁な残念な面子ばっかしのしあわせ荘。
そういった立場の人間がいるとは思いもしなかったのである。
「ただし、少し厄介な壁があったりする」
「え?」
薔薇蔵さんがちらりとひとつのテーブルに目をやる。
そこには洋風のファミレスからは少し浮いた、上品な着物姿の女性が座っていた。
女性は呼びだしボタンをタタタン、と素早く押す。
すると夜子さんは三秒と待たせずにすっと音もなく席に寄った。
「お待たせしまし……あ」
「少し遅いんじゃございませんこと? 他のお客より1.23秒ほど遅れたのは、何か意図があってのことなのかしらね、夜子さん」
いきなり凄まじい敵意を丸出しにした女性を見て、夜子さんが凍り付く。
少し震える唇をぎゅっと引き締め、夜子さんはぽつりと呟いた。
「お、お母様」
「おやめ! あたくし、あなたのお母さんじゃありません!」
バァン! とテーブルを叩いて、着物の奥様が声を荒げる。周囲の視線が一気に集まる。
ひやっと背筋を冷やす真と大に顔を寄せて、薔薇蔵さんはウッキウキで耳打ちする。
「オーナーのお母さん」
夜子さんなのに、まさか昼ドラ展開突入である。
またも続きもの。