その40 『秘密の薔薇蔵』
お昼頃のしあわせ荘。
104号室から学ラン姿の少年がひょっこりと姿を現した。
驚き思わず水まきホースを落とす真。
黒髪を斜めに流し、片目を隠す少年は、フッ、と気障ったらしく笑って髪を斜めに払った。
「どうしたんだい真君。狐につままれたような顔をして」
「え。その声、薔薇蔵?」
「おや? ああ、失敬。この格好じゃ、分からなかったか」
種族は『トイレの花子さん』。越戸高校七不思議の一角にして、越戸高校の男子トイレに息を潜めていた変態。彼女の名前は花鳥嵐薔薇蔵。花子さんなのに名前は薔薇蔵という色々とおかしな妖怪である。
最近、七不思議を一時休業して、元々借りていたしあわせ荘の一室に戻ってきている。
「その格好何だよ」
「ん? 仕事着だが。私は店でじゃなく家で着替える派でね。どうだい、中々に決まってるだろう?」
学ラン姿はまるで男子中学生である。
切れ長の目にしゅっと整った鼻筋、起伏の少ないスリムな身体と、よくよく見れば美少年とも思えてくる。
しかし、薔薇蔵さんは自身も認める女性である。
真はじろりと睨んだ。
「いかがわしい事考えてないだろうな?」
「おいおい、よしてくれ」
Oh、と額に手を当て三度首を横に振る薔薇蔵さん。
「別にコスプレをして学校に潜り込もうなんて考えてないさ。いくら私でも分別くらいある」
「ないから高校の男子トイレに潜んでたんだろうが」
言う事もそうだが、いちいち動作が苛立たしい。
本人はこう言っているが、どうにも信用ならない。
薔薇蔵さんの真の中での評価は、現在登場人物の中でも最底辺なのだ。
「おいおい、そんな疑わしい目で見てくれるなよ。本当にいかがわしい事もやましい事もないよ。……でも、まぁそこまで疑っているのなら、やっちゃうかい?」
「やっちゃう? 何を?」
フッ、と薔薇蔵さんが笑った。
「私の職場見学だよ。所謂社会科見学ってやつだ」
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夏期休業が始まり数日が経ち、絡まれる事もなく暇を持て余していた真は、危険人物の監視半分、興味半分で、薔薇蔵さんに誘われるがままに彼女の職場を訪れていた。
「カフェ……ブリーズボーイズ?」
『Cafe breeze boys』と書かれた小洒落たカフェの前で真は立ち尽くしていた。
店の前には十一時の開店前にも関わらず、何人かの客が既に待っている。
「私が店に入るのは開店前だから。少し待って貰うよ。店が開いたら入ってくれ」
真も列に入りつつ、ふと思い出したように隣に立つ金髪美人に問い掛けた。
「そういえば、何故真白さんが一緒に居るんです」
「わしも薔薇蔵の仕事に興味があっての。やつの事はよく知らんでな」
「本当は?」
「飯が食いたい」
「ですよね」
気付いたらついてきていた腹ペコ狐の真白さん。
彼女はタダ飯にありつけるのなら何処にでも姿を現すのである。
でも、女性客の多い列、真白さんが一緒に来てくれたのは真にとっては思わぬ助けだった。
真だけで並んだら割と浮いてしまう。一応、女性の真白さんが一緒に居ることで、多少なりともその違和感は緩和された。
……と、思いきや。近くから聞こえるヒソヒソ声。
「何あの人コスプレ……?」
「でも、すっごい綺麗じゃない……?」
否。真白さんがいても浮いていた。
ちょっぴり恥ずかしい思いをしつつ、いよいよ十一時。
店の扉を開いて、扉に掛かったプレートを店主らしき女性が「OPEN」に変えた。
「お待たせ致しました。『Cafe breeze boys』、開店致します」
一気に客が雪崩れ込む。それに巻き込まれるようにして、真と真白さんも入店した。
中は普通の喫茶店。明るく少し大人びた空間だが、特に変わった所はない。
壁の高い部分には、店長の女性の写真と名前、それに並ぶ形で店員の写真と名前がずらりと並んでいた。その中の一人に薔薇蔵さんの顔写真も含まれていた。
「へぇ。ちゃんとまともな所で働いてるんだな。もっといかがわしい店で働いてるのかと思った」
「おい、真。この『めにう』、写真が少なくてどれを頼んで良いのか分からんぞ」
既にメニューに釘付けの真白さん。
やはり薔薇蔵さんの事はどうでもいい様子である。
真も薔薇蔵さんが変な事をやっていなければどうでもいいので、一緒にメニューを覗き込んだ。
「何が食べたいんですか」
「そうじゃの。肉が食べたい、そんな気分じゃ」
「うーん、適当にサンドイッチとか無難じゃないですか」
「じゃあ、このローストビーフサンドというのを……」
「高いから駄目です。ハムサンドまでです」
「えー。けち臭いのう」
「なら奢りません」
「ハムサンドにする」
結局奢って貰う気だったらしい。駄目な大人である。
手慣れた感じで真白さんを制すると、丁度店員が寄ってきた。
「お兄さん、お姉さん、ご注文はお決まりですか?」
ん? と真。
声がやたら低い位置から聞こえたかと思ったので、下の方を向くと、座る真よりも低い位置に顔があった。
子供である。
あれ? どうして子供が? 遊んでいるのか?
そう思って少年をまじまじと見つめると、胸元には名札があり、『豆彦』と書かれている。
店員の顔写真を見上げれば、しっかり豆彦の顔もある。そしてよくよく写真を見れば、幼顔の店員ばかりである。
困惑する真の様子に気付いたように、豆彦がああ、とぽんと手を叩いて「ご心配なく」とにこりと笑った。
「僕ら、こう見えて全員成人しております。ほら」
豆彦が懐から免許証を取り出した。
マジで成人している。豆彦は24歳である。
「ですので、このお店は合法です。ご安心下さい」
きゃぴっ、と笑う豆彦。
合法とか言われるとめっちゃ怪しい。その笑顔も胡散臭さ倍増である。
「……あの、薔薇蔵は」
「薔薇蔵さんのお知り合いですか? ああ、そう言えば知り合いの子が見に来てると薔薇蔵さんが仰ってましたね。申し訳ありませんが、薔薇蔵さんは当店の『ナンバーワン』でして……すぐにご対応できないかと」
ナンバーワンとかまたいかがわしい言葉が出てくる。
否、ナンバーワンは別にいかがわしい言葉ではない。
それがいかがわしく聞こえるのは、心が荒んでいるからである。
とか、真が自分に言い聞かせる。
此処は普通の喫茶店。別にいかがわしい事などないのである。
「な、ならいいんですけど。今どこに……?」
「あちらに」
豆彦が指差す報告を向く。
するとそこには……
「お姉様。口にクリームがついてるよ」
パンケーキを注文したらしい女性の元に、学ラン姿の薔薇蔵さんがついている。
顔を寄せて、ハスキーボイスで薔薇蔵さんが囁いている。
「いい大人が恥ずかしい。仕方ないな、もう……ほら。拭いてあげるから、顔を寄せてごらん」
薔薇蔵さんが顔を寄せたお姉様の口をナプキンで拭いている。
ざわざわっ、と店内の客がざわめいた。
口を拭いて貰っている女性の表情は恍惚としている。
「薔薇蔵くん……」
「おっと、お触り厳禁。僕らは健全な関係なんだから。イケないお姉様だ」
薔薇蔵さんは手を伸ばそうとした女性の手をくいと下げて、自分の人差し指にちゅっと口づけした。
そしてその人差し指をとんと女性の額に置き、フッと笑った。
「これでお預け。Bye、お姉様。他のお姉様にも呼ばれてるから」
そうして、他の客の元にも向かい、似たような普段と変わらないナチュラルスタイルで接客を熟していく薔薇蔵さん。
その様をまじまじと見ていて、真は気付いた。
「ここ、いかがわしいお店だ!」
いかがわしいお店だった。
今回も続きもの。
薔薇蔵さんのお仕事(合法)見学。