その31 『おどろおどろの夜子婦人』
★注意★
このお話に出てくる妖怪や悪霊の類いは十分な訓練を受けています!
よい子は真似しちゃ駄目ですよ!
瓜子は勢いよく机から飛び出し、青白い顔の口裂け女から距離を取った。
ガタガタと震え、かちかちと歯を鳴らしながら、ぬっと顔を持ち上げた、黒い服の婦人を見上げる。
「あぁ……いい反応……ぞくぞくしますね……」
頬に手を当て、青白い頬をほんのり紅くし、婦人は裂けた口を小さくした。
「こんばんは、お嬢さん。私、『越戸高校七不思議』の『夜子婦人』と申します」
七不思議の夜子婦人は、すっと瓜子に手を伸ばした。
「大丈夫? 立てます?」
「あ……あ……」
手を差し伸べている。
瓜子は訳がわからないまま、その手を取った。
すると、優しく腰を抜かした瓜子を引き起こす夜子婦人。
立たせて、くれた?
瓜子がそう思った矢先、夜子婦人は再び口を耳元まで裂いて、歌うように言った。
「お嬢さん、お逃げなさい♪」
「……え?」
消え入りそうな声で聞き返す瓜子。
その表情にぐいと顔を寄せて、夜子婦人は目を見開いた。
「お逃げなさい。鬼ごっこです。10数えます。その間にお逃げなさい。10数え終わったら追いかけます。捕まったら罰ゲームです。今度は挨拶抜きで、たっぷり、たっぷり、こわーい悪夢を見てもらいます」
ふわりと音もなく夜子婦人は後ろに下がる。並んだ机をすり抜けて。
「よーい、スタート」
夜子婦人がパンと白い手袋に包まれた手を叩く。
逃げなきゃ。
本能で理解し、瓜子はよたよたとよろめきながら教室を飛び出した。
その反応を見て、恍惚とした表情で夜子婦人は頬に手を当てる。
「百点満点。いい子です」
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「こっちだ」
薔薇蔵さんが先に走る。
何故かトイレから出てきたアイデンティティをぶん投げたトイレの花子さんこと薔薇蔵さんは、何故か真と忠を案内しながら走っていく。
何故案内するかを尋ねれば、「やりすぎると新しいのが来なくなる」とのこと。久しぶりの来客で夜子婦人はテンションが上がっているらしい。
恐らく「やりすぎる」とのこと。だから、案内してくれるというのだ。
「ところでその『夜子婦人』っていうのも妖怪なのか?」
「ああ、妖怪だよ。隠しちゃいるが彼女の正体は『おどろおどろ』だ」
「ダンサーなのか」
「『踊ろ踊ろ』じゃない。『おとろし』とも呼ばれる、まぁ得体の知れない妖怪だよ」
「得体の知れない?」
薔薇蔵さんが左に曲がる。合わせて左に曲がる。
「文献などでは髪ぼーぼーの毛むくじゃらだったりするけど、特にどういう妖怪だとは書かれていない、正体不明の妖怪。ま、同じ七不思議である私は正体を知ってるのだが」
「勿体ぶらないで教えろ」
「気が早いね真くん」
薔薇蔵さんがフッと笑う。
「簡単に言うと彼女は『恐怖』そのものだ。『おどろおどろしい』という表現は知ってるかい? 彼女の種族名はそこから来ているとも言われている」
おどろおどろしい。気味が悪い、恐ろしい。
まんまな名前に「ああ」と納得し、真と忠は頷く。
「人を怖がらせる為だけに生まれてきた『恐怖』そのもの。それが『夜子婦人』だ」
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三階の男子トイレを目指して瓜子は走る。どこまで離れても、夜子婦人のカウントダウンは耳から離れない。
「なーな、はーち、きゅーう……じゅう」
数え終わる。同時に瓜子の顔に影がかかった。
「はい、鬼ごっこのはじまりはじまり」
月明かり差し込む窓に、黒い影が浮かび上がる。黒い日傘をさした貴婦人が、窓からぬるりと這い出してくる。声にならない悲鳴をあげて、窓から離れるように階段を登る。
踊り場に出たところで、だらん、と瓜子の顔に何かがかかった。
黒い、髪の毛。長い髪の毛。天井から、だらりとぶら下がる女が地面にべしゃりと落ちてくる。
髪の毛の隙間から、長い舌がだらりと垂れている。ねちゃりと気味の悪い粘着音を立てながら、女は地面を這ってくる。泣きながら瓜子は引き返す。
「ああ、あああああ、あああああ~っ! 楽しすぎますっ! 子供の泣き顔! 怯え顔! 最高です! ぞくぞく、ぞくぞく、ぞくぞくしますね!」
ぐるんと髪を振り乱し、立ち上がるとぬるりとした滑りは消え、優雅な貴婦人に戻る。
「しかし、一階まで降りていってしまうなんて。あっちには『ちだるま』がいるというのに。……まぁ、二人で最後に大きな悲鳴を上げさせてあげましょう」
そのまま、最高の獲物の後を追おうと、夜子婦人は歩き出す。
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本当に、出た。
七不思議。お化け。夜子婦人。
それにいま、追いかけられている。
一階、自分たちの教室、自分の机の下に隠れて、瓜子は膝を抱えて震えていた。
怖い。怖い。怖い。怖い。
「何処に隠れたんですかぁ~? 追いかけっこは得意ですけど、かくれんぼは苦手なんですよぉ~」
カツカツとヒールの音が外で鳴っている。ドアの隙間から、ドアの小窓から、黒い影が横切るのが見えた。
探している。身を小さく縮こまらせて、息を殺す。
「どこですかぁ~」という声が次第に小さくなっていく。声が遠くなるにつれて、瓜子は身体に込めた力を緩めていった。
本当に、あんなお化けがいるなんて。
しかも、あんなのが、七人もいる。
それを思い出した途端に、瓜子は離れ離れになってしまった四人の事を思い浮かべる。
遠野くんと佐々木くんも七不思議に遭ってしまっていないだろうか。
清湖さんを原石さんは止められただろうか。
みんな無事だろうか。
みんなの心配をし出すと、ふと瓜子は思い出す。
ひっそりと、懐に忍ばせていた一枚のお札。遠野真に以前貰ったお札である。
「……遠野くん」
ぎゅっと握りしめ、強く目を瞑る。
あのいつでも落ち着き払っている、彼を思い出すとほんの少しだけ勇気が湧いてくる。
「私は鬼。強い鬼。お化けなんて怖くない」
言い聞かせるように唱える。
そして、決意する。
私が、みんなを、助けなきゃ。
目をゆっくりと開く。
其処には下から覗き込む、赤い液体に塗れた男が地面に張り付いていた。
決意が揺らぐ。
七不思議の一人、『ちだるまさん』。
目をぎょろりと剥いた血塗れの男は、にたりと笑った。
瓜子は目を閉じ、今まで抑えていた悲鳴を上げた。
「嬢ちゃん、パンツ、見えとん」
「いやあああああああああああああ!」
逆にちだるまさんがびっくりする程の大きな悲鳴。
「ちょっ、嬢ちゃん……いきなし悲鳴あげんなや……これじゃワシが何かしたみたい……」
そして、次の瞬間。
「オラァッ!」
「ギャフン!?」
「真くん! サッカーボールキックはいくら妖怪でもヤバイ!」
ちだるまさんがゴロゴロ転がり壁に衝突する!
驚きびくりと顔を上げる瓜子。
「まこっちゃん! やり過ぎ! ちだるまさんが血だるまに! ……あれ、元からか?」
「うん、元々血だるまだったことにしておこう。傷害事件発生で警察沙汰になると私もヤバイ。取り敢えずアレだ。変態死すべし」
「お前、死ぬのか」
忠と見慣れぬ女が少し気まずそうに転がるちだるまさんをまじまじと見ている。
そして、彼もまた其処に立っていた。
「とんだ悪霊揃いだな……此処は」
パキン、と指を鳴らし、低い声で遠野真は言う。
彼がちだるまさんを蹴飛ばしたのだ。
助けに、来てくれた?
無事だったという安堵、助けに来てくれたという安堵。
その瞬間に、ダムが決壊するかのように、抑えていた涙が爆発した。
「わああああああん!」
大泣き。しかし、安堵はそう長くは訪れない。
「見ぃつけた」
真達が入ってきたドアから嬉々とした表情の全身黒づくめの女が姿を現す。
大泣きし始めた瓜子が思わず口を塞ぐ。
私のせいだ。
大きな声を出して、とうとう夜子婦人に見つかったのだ。
どうしよう。遠野くんと佐々木くんも巻き込んじゃった。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
そんな自責の念は、一瞬で消え失せた。
真がまるで怯えた様子を見せない。
それどころか、何故か背中がより大きく見える。
「あれ? 怖くないんですか? 夜子婦人ですよ? ばああっ!」
耳まで裂けた口を広げて、べろべろと長い舌を振り乱す夜子婦人。
しかし、真は動じる事なく問い返した。
「夜子婦人?」
「そう、夜子婦人ですよ」
ゴキンと首を鳴らし、真はふうと溜め息をついた。
「この子泣かせたの、其処の血みどろの不審者とあんたですか?」
「はい! ……って、あれ? ちだるまさん、いつもより血の量多くありません?」
「……あ。やばっ。夜子、逃げた方がいいかもしれない」
「え? 薔薇蔵? どうしてトイレじゃなくて此処に? あれ? ちだるまさん寝てます? 風邪引きますよ?」
すっとぼけた事を言いながら、状況が把握できない様子の夜子婦人。
そんな彼女は目の前に立つ少年の方を向くと凍り付いた。
「迷惑だなぁ……よし」
其処には鬼が居た。
瓜子さんではない。真である。
「一括除霊だ」
越戸の夜に、鬼が一匹やってきた。
次回、反撃開始!
なんやかんやで謎の多い主人公、遠野真の秘密が明らかになったりの七不思議編。
一発退場のちだるまさんは生きてますが(悪霊だけど)、よい子も悪い子もサッカーボールキックは真似しちゃ駄目です。