その25 『きっこさんと地縛霊、ときどき封印されし唐沼さん』
手すりにぐいと足を乗り出す。そのまま踏み越え、体を投げ出す。
真っ逆さまに落ちるはずの体は、重力に屈することなくふわりと浮いた。
そして、ゆっくりと下がっていく体は、すたりと地面に着地した。
「どうです! 似合ってますか!」
愛も変わらずハイテンション。こう見えて地縛霊。
白装束を脱ぎ捨てて、ミニスカに「生きてりゃ儲け」の文字が輝くTシャツを着こなし、最早お前誰だよ状態の悪霊、レイは得意げにピコピコサンダルを踏み鳴らした。
「へえ~、幽霊さんも着替えられるんですね」
「きっこーさん! 似合ってます!?」
「きっこーさんじゃないです! きっこさんです! そんなお醤油みたいに!」
雪江さんのお下がりのスカートと、リンさんがたまに買ってくるネタTシャツ、きっこさんのサンダルを譲り受け、ついに一張羅の白装束(折角のアイデンティティ)を脱ぎ捨てたレイ。なんだかんだで嬉しいようで、随分なはしゃぎっぷりである。
最初は悪霊扱いで散々な扱いをされた(正直散々な扱いをされるに足る行為を行っているのだが)レイだったが、持ち前の明るさ(ウザさともいうかもしれない)で、なんやかんやで怖がられることなくしあわせ荘の住人に受け入れられていたりする。というか、幽霊要素がたまに透き通ることと、ふわふわと浮遊できる程度しかないので、ただの変な妖怪程度にしか思われていない。
最早頭の三角布しかアイデンティティのなくなった悪霊は、それはそれとして、とビシリと敬礼を決めた。
「きっこさん! 今日のお手伝いはなんでありますか!」
すると、きっこさんも真似して箒を左手に任せて、右手でびしりと敬礼する。
「今日のお手伝いは、お片づけです!」
「ラジャー!」
声高に叫び、ずんずんと行進するきっこさんの後にレイが続く。
結局、206号室にタダでとり憑いたレイだったが、『自称家事手伝い』のリンさんと違い、割と真面目にお手伝いに日々励んでいる。
喧しくてウザいだけで、怠け者ではないのだ。
今日も今日とて、しあわせ荘の隅にひっそりと佇む、古びた倉庫の片付けをお手伝いすることになっている。
「高いところの片付けが大変だったんですけど、もしかしたられーちゃんなら、手が届くんじゃないかと思って」
「そりゃ私は浮いてますからね! 地面から浮かび上がってるって意味ですよ! 別に周りから浮いてるって訳じゃないですからね!」
周りからも浮いているだろう、と辛辣なツッコミをする真は今日学校に行っている。
「はい! じゃあお願いしますね!」
「何ででしょう! 何故か物足りなさを感じる! でも、まぁ、はい! レッツ、お片づけ!」
ズンズンと、しあわせ荘の敷地内の隅の隅に佇む倉庫に進むきっこさんと、後に続くレイ。
「おっかたっづけ~♪ おっかたっづけ~♪」
「君のハートもおっかたっづけ~♪」
きっこさんの適当ソングに合わせられるのはしあわせ荘でレイ一人なのだ。
いつの間にかきっこさんと一番仲良しな友達みたいになってるレイは、きっこさんに案内された倉庫を見上げる。
古びた小さな倉庫。いかにも薄っぺらそうな壁にはところどころ小さな穴があき、サビが酷く目立っている。
「はえ~、これ倉庫だったんですか! ゴミ捨て場かと思ってましたよ!」
「しあわせ荘が建つ前からあるんですよ~」
「えっ! アパートより先に建ってたんですかこの倉庫!」
意外や意外なことに、レイがボケも忘れて素で聞き返す。
「はい。この土地全体を昔は倉庫として利用してたんです。それを取り壊した時に、おじいさまが何故かこの倉庫だけ残しておくようにって。おじいさまからこの土地を譲り受けた私も、言いつけでずっとこの倉庫を残しておいてるんですよ~」
「はえ~、変なおじいさんですね~。なにか理由でも?」
きっこさんがう~んと唸って腕を組んでから首をかしげる。
「ん~~、たしか、『からぬもふじてる』が入ってるとか……」
「唐沼籘輝? 誰ですかそれ?」
あれ? ときっこさん。
「からぬまふじてる? 誰ですかそれ?」
「きっこさんのおじいさんの昔のお友達ですかね?」
適当な推測を述べたレイに対して、ああ、と頷ききっこさんはかしげた首を戻す。
「へぇ、そうなんですか~」
何故か納得したきっこさん。話が噛み合っていないのに、何故か会話が成立したような雰囲気になって、レイときっこさんはふむ、と倉庫を再び見上げる。
そして、レイが気づいた。
「え゛……それって、この中に唐沼藤輝さんが閉じ込められてるって事ですか……?」
「えっ! からぬまふじてるさんがこの中に監禁されてるんですか!?」
「こ、これは一大事ですよ! 唐沼さん、何年トイレに入ってないんですか!」
「お風呂とかどうしてるんでしょう……もしかして、入ってない?」
「お風呂に……入ってない!?」
ひええええ、と恐れ慄く二人。
違う、そうじゃない。それとそもそも前提が間違っている。
そんなツッコミをしてくれる人は今日のしあわせ荘にはいないのである。
「早くお風呂に入れてあげないと! きっこさん、鍵、鍵!」
「その前にお風呂を沸かしてこないと!」
「はっ! そうですね!」
きっこさんとレイがどたばたと駆け出す。
101号室に駆け込み、お風呂の準備を始める。
「きっこさん! そういえば唐沼さんの着るものとかありますかね!?」
「あっ! 私のサイズじゃちっちゃいかも……」
「お洋服買いに行きましょう!」
「あっ! そういえばシャンプーも切れかけかも……それも買いに行きましょう! えっと、お洋服と~、シャンプーと~、え~っと、あとごはんも一人分多く作らなきゃだから……」
「これは大きな買い物になりそうな予感!」
「お洋服も買うとなるとちょっと遠くになりますね……よし、くるまで行きましょう!」
「遠出! どうしよう、私、余所行きのお洋服とか持ってない……」
「う~ん……今日はゆきちゃん出掛けてるし……お下がりは用意できませんね。今日はそれで我慢して……今日、れーちゃんのよそ行きのお洋服も買っちゃいましょう!」
「でも、私お金持ってないです……」
「そんなの私が出しますよ!」
「きっこさん……!」
目に涙を溜めるレイ。彼女が物理的ダメージ以外で涙を流したのは初めてなのではなかろか。
「汗が目に……」
「あらら、騒いだから汗かいちゃいましたね」
前言撤回である。レイは今回も物理的ダメージで涙を流したのである。
「そうと決まれば早速行きましょう! ひゃっほう! お買い物だァっ!」
「でも、唐沼さん待たせちゃ悪いですかね……ちょっと聞いてみましょう」
きっこさんはてててと走って倉庫に向かう。
そして、倉庫に向かって大きな声で聞く。
「唐沼さーん! ちょっとお出かけしてきますけど、大丈夫ですかー!」
かまへんよー。
倉庫の中から声がした。
「唐沼さん待ってくれるそうですよー!」
「やったー! 唐沼さんありがとー! よし! そうと決まったら早速出発です!」
この後、きっこさんとレイはショッピングに出かける。
そして、存分に楽しんで帰ってきたあと、先の騒ぎで汗もかいた事もあり、レイがちゃっかり一番風呂をいただいて、今日の戦果を確認し合ってキャッキャウフフしたあとに、遊び疲れた子供のように二人は早めに就寝した。
きっこさんと地縛霊のレイさん回、もといツッコミ不在の恐怖回。
倉庫に封印されし唐沼さん(?)のこととか全部ぶん投げて終了。