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平穏を望む少年

「すごい場所に来ちゃったな……」


高校進学を機会に若者が集う街『渋谷』に上京して来た(みなと) 美鶴(みつる)はその桁違いの人口密度にとにかく圧倒されていた。

見渡す限り、人混み、人の群れ、人の流れ。

秒単位で行き交う人の肩が交錯し、品のない罵り合いが際限なく繰り返される。

渋谷とは正反対の田舎町で育った美鶴にとって、この猥雑とした雰囲気そのものが新鮮で、何より耐え難い。

対人恐怖症。

忘れようとしていた漢字の羅列が頭の中で再び点滅する。

――弱気になったらダメだ……もう後戻りはできないのに。

家出したのは昨日のこと。

高校進学の手続きを済ませたのを機に、思い切って親に単身で上京すると切り出したのだ。

すると、二つ返事で許可は出た。

本当にあっさりと。

意外というか、あまりの薄情さに我を忘れて、親が用意した金も受け取らずに家を出た。

手持ちの金額は毎月の小遣いと15年間のお年玉を合わせた10万2千円。

高校生が持ち歩くには高額で、一人暮らしを始めるにはあまりに心許ない。


「とりあえず、住む場所を探さなきゃ」


と美鶴が決意してから時間は流れて。

日は完全に落ち、ぽかぽかした陽気が肌寒い風に姿を変えた頃。


「たったそれだけの金で借りれる家なんて、この渋谷の隅から隅まで探したって絶対に見つかんないよ。まさか、冷やかしのつもりかい?だったら、さっさと消えておくれ。私はイタズラ小僧の相手をしていられるほど暇じゃないんだ」


「で、ですよね、やっぱり……」


これで13軒目。

あわよくば憧れの高層マンションを借りようなんて皮算用していた頃が懐かしい。

――まさか、今にも倒壊しそうな木造のボロアパートにすら手が届かないなんて……

行き場を無くした少年は、夜の街で一人途方に暮れていた。





* *





「あの、少しの間お話を伺っても良いかな?」


街灯に背中を預けていた美鶴に声をかけたのは、二十代前半と思われる痩せ型の男だった。

黒のジャケットに黒のインナー、さらには黒のブーツと全身を黒一色で統一する徹底ぶりが印象に残る。


「話ですか……ボクに?」


美鶴は自身の警戒レベルを最大まで引き上げていた。

眼前の見知らぬ男が自分に話しかけてくる理由なんて、おおよそ一つしか有り得ないからだ。

つまり、金目当て。

美鶴は後退りながら、内ポケットに手を入れて財布の感触を確かめる。

――最悪でも、実家に帰る交通費だけは死守しなきゃ……

警戒心を剥き出しにする美鶴。

しかし、当の相手は両手を軽く上げて敵意が全く無いことを示していた。


「ああ、僕は怪しい者じゃなくて、一応こういう者なんだけど……」


男が手渡してきた名刺には氏名と職業、それから胡散臭い所属先が記載されていた。

――フリーライターね。なるほど、その右手のペンと左手のメモ帳は何かの取材ってことか。

だが、そんなことよりも、名詞の中央に記された李舜生リシェンシュンという名前の方に興味を惹かれたのは事実だ。


「あの、もしかして外国の方ですか?」


「ハイ、中国からの留学生の李舜生と言います」


李舜生はぎこちない笑顔のまま右手を差し出してきた。


「えっと、ボクは湊美鶴です。一応明日から高校生なんですけど……」


留学しただけでここまで流暢に話せるものなのか、と美鶴は素朴な疑問を抱きつつ、左手で握手に応じる。

で、李舜生の用事というのは、記事に載せるためのアンケートに回答して欲しいという簡単な話だった。

もちろん、断る理由は無いのだが、一つだけ気になる点があった。

それは、アンケートの対象が渋谷の若者ということだ。

たった一日前に田舎町から上京してきた美鶴はどう考えても対象外なのだが、だからと言って断るのは、あまりに不親切な気がした。

――でもやっぱり、正直に言うべきなのかな……

そんな葛藤の中で急に押し黙ってしまった美鶴に対して、李舜生は全く見当違いの解釈をしてしまう。


「そうだ、立ち話もなんだし、どこか落ち着ける場所に移動しよう。もちろん代金は僕が負担でね」





* *





「ごめんね、僕は基本的に自炊だから、あんまり洒落たお店とかは知らないんだ」


李舜生が案内したのは全国チェーンのファミレス店だった。

夕食時を過ぎていたため大した待ち時間もなく席に着くことができた。


「さあ、遠慮せずに好きなだけ注文して」


「そ、それじゃあ、お言葉に甘えてドリンクバーを」


「……それだけでいいの?」


李舜生はテーブルに寄りかかりながら、更なる注文を待っていた。

美鶴は厚かましいとは思いつつ、メニューの中でも比較的安価なトマトサラダをオーダーに付け加える。


「へえー、美鶴君ぐらいの年齢の子は肉料理を好むって聞いてたけど……ひょっとして、菜食主義者なのかい?」


「いえ、そういうわけではなく」


その後の言葉は続かなかった。

本音、つまり、金銭面を考慮した選択だなんて面と向かって言えるはずもないからだ。

美鶴は落ち着きなく膝を揺すりながら、何もないテーブルの上で視線を泳がせる。

結局、耐え難い沈黙は李舜生が近くのウェイターを捕まえるまで続いた。


「ドリンクバーを二つとトマトサラダ、それから」


李舜生はメニュー表とにらめっこをして、そして、とんでもないことを口にした。


「この見開きのメニューを全部、以上で」


瞬間、美鶴を含む周囲の視線が釘付けになった。





* *





「流石にあれだけ食べると満腹だなぁ」


大食漢はご満悦だった。

対して、テーブルの向かいの美鶴は一向に顔色が優れない。

――トマトサラダしか食べてないはずなのに、なんで胃がもたれるんだろう……?

原因は何となく掴めている。

次々と運ばれてくる高カロリーの食材を流し込むように消化していく李舜生の胃袋。

その一連の流れ作業は、本当に見ているだけでお腹が膨れる光景だった。

――しばらくの間はファミレスに近付きたくない……


「結局、アンケートについて何も聞かれてませんけど」


「ああ、確かにそんなことも言ってたかな……でも、なんか面倒になったから忘れてくれても構わないよ」


そう言って李舜生はジャケットの内ポケットから財布を取り出し、向かいの美鶴に押し付けた。

一瞬の間が空いたのち、美鶴の素っ頓狂な声が店内に広がる。


「な、何ですか、これ?」


「今日付き合ってくれたお礼にプレゼントだよ。財布自体は安物だけど、中身はそこそこ入ってるから安心して」


李舜生は美鶴に会計を任せると、一足先に店を出た。

美鶴も彼の後を追うように、伝票を握り締めて席を離れる。


李舜生はファミレスの駐車場にて夜空を見上げていた。

吹き抜ける肌寒い風から逃れるように軽自動車の陰に隠れている。

美鶴は小走りで駆け寄るが、途中でその足を止めてしまった。

何故なら


「ねえ美鶴君、一つだけ聞いてもいいかな」


そう語りかけてきた李舜生の声が、先程までとは違う感情の起伏がないものだったからだ。

美鶴は本能的に表情を強張らせた。


「何でしょうか?」


「いや、そんなに構えなくても……ホントに簡単な質問だから」


そしてそれは、本当に拍子抜けしてしまうほど易しい問い掛けだった。


「君はこの街、渋谷が好きかい?」


――否。

美鶴の本音はそうだ。

そもそも、好きとか嫌いとかそういう感情を抱く以前に、まだ何も知らないのだ。

この街の良い一面も、その反対側も。

美鶴はそのことを素直に告げた。


「そう、それは残念。僕はこの街が大好きなんだけどね」


月明かりに照らし出された李舜生の姿は、まるで別人のようだった。

というよりも美鶴の瞳には、それが彼本来の姿であるかのように映った。

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