赤色を青と呼ぶ世界で
手
彼にとって「手」といえば
殴るものか物を投げつけるものか
そういった痛みを伴うものでしかなった
それゆえに差し伸べられた「それ」が自分のことを助けようと
救い出そうとする「手」であることに気が付かなかったのだ
生物は学習するものだ
あなたは、例えば「像とロープ」のお話を知っているだろうか
とても端的に言えば、子供のころに足に鎖を繋げられ自由に歩き回ることができなかった像が
大人になっても鎖を外しても自由に動き回らずその場にとどまり続ける
そんな話だ
人間も生物であるためこの話が当てはまる
とても端的に言えば殴られた子供は殴ることでしか愛情を示すことができない
暴言でしか愛情を感じることができない
暴言を吐かれた子供は暴言を吐くことでしか愛情を示すこともできないし
暴言からしか愛情を受け取ることができない
私はそれはとても悲しいことだと思っていた
自分がそうなるまでは
例えば想像してほしい
この世で一番好きな人ができたとしよう
その人から毎日愛をささやかれて毎日頭をなでられて
毎日手をつないだ
でも気が付いてしまった
私は根底ではそれらをとても気持ち悪く感じているということに
性欲が絡んでいるからではない
プラトニックな愛情表現だとしても
世間一般的に愛情表現だとされるそれらを
私は愛情として受け取ることができない
痛みとして気持ち悪さとして嫌悪感としてしか受け取ることができない
よく大人になれば自己責任だといわれる
虐待されて育ったとしても人を虐待してはいけない
それは一見正論に思えるだろう
しかし当人からしたらとても不思議な体験でしかないのだ
頭理前のことを当たり前にしようとしたら世間から非難される
頭で理解していても心が拒否する
例えば
子供のころにリンゴは青色だといわれ続けた人間が大人になってリンゴを初めて見たときに赤色を青色と認識した場合
世界すべてをそのように認識していた場合
誰がその彼/彼女を責めることができよう
子供であるがゆえに
親が世界の中心だったその子供にとって赤色は青色でしかないのだ
この場合、世間は誰も彼/彼女を責めないだろう
なぜならそれは「仕方のないこと」であり「どうしようもないこと」であり「害がないこと」であるからだ
では暴力や暴言になるとどうだろう
例えその人が日常的に暴力暴言にさらされていたとしても
例え大人が誰も助けていなかったとしても
例え本人が努力しても変えることができないほど根底に沁みついてしまったとしても
世間はそれを非難する
なぜならそれは「害があること」であるだけにとどまらず「世間の多数の人が持っている一般常識から外れている」からだ
世知辛いというほかない
消して暴力や暴言をはじめとした犯罪を助長するわけではない
しかし、そうなるしかなかった幼い子供を見殺しにしておいて
誰も助ける手を差し伸べなかったのに
大人になった瞬間「じゃあ今からあなたの言動すべては自己責任です」なんて
なんて
虫のいい話だろう
私が調べた限りでは
心理学として「20年かけて染みついた価値観や常識は同じ年数またはそれ以上かけないと解くことができない」と言われている
では20年そのように育てられ一度も家を出ることも友達を作ることも青春を謳歌することもできなかった人間は
楽観的に考えて40年以上かけないと自力でどうすることもできないということだ
20歳であれば40歳にならないとどうすることもできないということだ
それはあまりにもひどいのではないだろうか
完全自己責任論
それはたぶん
殴られたこともなければ暴言を吐かれたこともない
健全で何も知らない箱入り人間が言い出したバカげた妄言なんだろうなあ




