五、触れ合う腕
中学三年の夏くらいにアキは学校に来なくなった。父親の事故死の話は皆が知っていたから、心配するクラスメイトもいた。見た目がきれいなアキには、悲劇的な話が似合った。そういうところにに惹かれる女子もいるらしく、「秋人君は大丈夫?」とマサは何人かに聞かれた。適当に返したが、内心ではあざけっていた。何も知らないくせに。
マサはアキに会える放課後まで、退屈で仕方なかった。
プリントを持っていくという口実もあり、マサはアキの家に通い詰めた。そこが一番落ち着く場所だった。
アキは家で能楽を創作していた。半分遊びで作ったらしいが、マサに語って聞かせてくれた。
「江戸時代の話。……片尾という田舎で娘がさらわれて、吉原に売られた。その娘には恋人がいた」
片尾とはアキの姓だ。マサは興味を惹かれた。
「吉原の 萩さしたる花入 君なければ 生きるあたはじ……歌が書かれた手紙が男のもとに届く。男は女が吉原にいると知り、助けにゆく」
アキは冗談ぽく笑う。
「その男が住んでいるところは『萩の森』という」
「本当に?」
自分の姓が使われたことで、マサはアキの世界に引きずり込まれたような気分になる。
「そうだとしたら、特別になるだろ」
アキはマサの隣に座って、ピタリと身をくっつけている。
外は夕立だった。外に出なくなったアキの肌は白い。触れ合う半袖同士の腕。すり寄るようにアキはマサの肩に頭を預けてきた。
マサはもうすでにアキを好きだと自覚していた。
卒業後、マサは工業高校に行った。アキはどこへも進学しなかった。辺境には色々な物語の断片が浮かんでいる。アキの浮世離れしていく存在もそんな物語の一つに感じられる。山を登りながら、マサはどこか別の世界に出かけているような気持ちだった。
……
テーブルのうえに湯呑みを置いたアキに、マサは聞いた。
「ビーズクッションほしいの?」
「ただ見てただけ……でもいいよね」
アキは湯呑みに口をつけた。
マサは大きなクッションに埋もれているアキを想像する。可愛い。
アキは少しだけ上目遣いにマサを伺った。
「近くにできたモールでも売っているみたい。どんな感じが実物を見てみたいな……」
「モールか……」
マサが渋い声で言うとアキは顔を曇らせた。
「やっぱりだめかな……」
あまりアキを連れて歩きたくない。田舎だと出かけるところもそこしかないから、皆がモールに行く。ちょっとした同級会みたいなことがしょっちゅうある。
気安くアキに話しかけられたくない。二人がここまで積み上げてきた日々を知らない奴らに。
マサが黙り込むと、アキは気を使うように「それより通販で新しい鍋が欲しいんだよね」と話を変えた。
ビーズクッションは全身埋もれるくらいのデカいやつです。夢がありますね。




