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三、横顔


 出会ってしばらくして、アキの家の事情を知ってから、マサは泊まりにも行くようになっていった。



「あんたまた行くの?」

 時折マサは母親に小言を言われていた。

「あの家ちょっと複雑なんでしょう。ほどほどにしなさいよ」

そう言いつつ、五人兄妹のちょうど真ん中にあたるマサには、さほど干渉しなかった。家業である農業を継いた兄達二人は頼られ、幼い弟妹は可愛がられていた。けれど、思春期を迎えたマサの行動をそれ以上、他の家族達も逐一止めることはなかった。


 田舎では、噂話が泳ぎ周っていく。

 マサの母も知っていたように、アキの家の事情はすぐ辺りの噂になっていた。


「母親が隣町のスナックで働いていて、父親は働いていないらしい」

 噂には嘘のヒレが付くこともあるが、アキの家に通うようになって、どうやらそれは本当らしいと分かった。



 山奥の家はもとは空き家だったのを買い取ったものらしい。学校帰りに、きつい坂道を自転車で立ち漕ぎしながら二人で帰った。自転車は荒れた庭に無造作に停めた。畑もあったが当時は手入れされていなかった。


 二人が家に着く頃には、父親は既に酒を飲んでいて、マサを見ても無視だった。無精髭に、ボサボサの白髪交じりの髪。小柄なアキとは似ない、背の高い、熊のように大柄な男。


 酔いが回ると、居間からアキを大声で呼んだ。心配なので、マサはいつも付いていった。父親は風呂にもあまり入らないらしく、近づくと獣じみた体臭がした。


据わった目で「酒を買ってこい」と言う。


「子どもには売らないって、この前言われたんだ」

アキが困ったように答えると、父親は壁を強く叩いた。古い家はその振動で揺れんばかりに軋んだ。


 マサがいなければその拳はアキに向けられる。


 前に、アキが学校を休んだ時、心配で家に行った。顔が腫れていた。


「警察に行った方が良い」

 マサが傷を冷やしてやりながら言うと、アキは泣いて嫌がった。

「母さんはもうずっと前から帰ってきてなくて……だから、あの人もいなくなったら、おれ生きていけない」

そして、マサに囁いた。

「誰にも言わないで」

「……っ」

 顔を腫らした痛々しい姿なのだが、どこか甘やかな響きに、マサは背筋を羽でくすぐられた様な気持ちがした。アキを守りたい。


 マサはなるべく自分が泊まりに来れば良いと思うようになった。



……



 マッサージクリームやタオルを片付けて居間に戻ると、アキは膝の上にクッションを乗せて、テレビを見ていた。


 いつも見ているニュースの時間になっていた。経済、国際事情。世間から隔離されたようなこの場所からすると、流れてくるすべてが遠いことのような気がする。


 マサはアキの横顔を眺める。なだらかな顎先のラインから、首筋にかけて、何往復も視線を走らせる。完璧な造形だと思う。夏の間は畑仕事で日焼けをする事もあった。赤くなって痛がっていたので、高い日焼け止めのクリームを買ってやった。今はまた白くなってきている。少し鼻先を近づけると、ボディクリームの甘い香りがする。市販のクリームだが、アキから香ってくると、どこか着物に焚きつけた香にくすぐられているような気持ちになる。


 この美しい生き物がどうやって生まれたのか、マサは関心がある。アキに聞いても、大したことはないと言う。家族よりも男を優先する母親と、飲んだくれの父。ずっと三人で暮らしてきた、と。

 でも、そうではないだろうとマサは思っている。美しすぎる桜の木の下に、何か不穏なものを感じる人がいるように、アキにはきっと運命的な秘密があるのだろうと感じている。その秘密をマサはあれこれ想像する。その一つのピースは、あの父親が物語っていた中にあった。



 あの日、あいつはまた酔って、酒を持ってこいと騒いだ。アキが首を振ると、父親は卓の上に肘を置いて、暗い目をした。

『おれに早く死ねと思ってんだろ』

アキは強く首を振った。

『その嘘くせぇ顔があいつそっくりだな』

アキは青ざめた顔で『やめて』と珍しく反論した。マサの手を引いて、部屋を出ようとする。父親は酒瓶を手で払った。割れそうな音が出る。

『拾ってやったってのにその態度か!』

 アキは大きな音が苦手だ。びくり、と身を固くした。その震える肩にマサは手を置きつつ、父親の話をじっと聞いた。

『くそ、なぁおまえ。ゴミみてえな人間になって、あいつの家に泥塗ってやれよ』

 父親は空の酒瓶から最後の一雫までを吸い取るように、直接口をつけた。そして、また酒瓶を投げ出して、皮肉げに笑う。

『隠してやがるが、お前の親は人殺しなんだからな!揃いも揃って人間の屑だ』


 後にアキはその話を否定した。

『多分、モーソーってやつだと思う。父さんがあんなになってから母さんも帰ってこなくなったけど……小さい頃は、海とか連れて行ってもらってたし、優しい時もあったんだよ』

 酒が全部だめにした、とアキは少しだけ鼻をすすりながら言った。


 けれどもマサは、父親の言ったことが真実なのではないかと思っている。それほどに、アキと父親は全く似ておらず、少しも重なる部分がない。母親は本当の親なのかもしれないが、少なくともアキにあの男の血が流れているとは思えなかった。


 目の前のアキの美しい横顔を見る。見れば見るほどに、その秘密を証明しているようだった。あの父親の言っていたことは不穏だが、アキの背負う運命としてはあってもおかしくないとは思う。

 


 そんな事を考えていたら、流れてきたテレビのニュースに気を引き戻された。事故のニュースだった。マサはアキから視線を外し、もたれていたソファーから少しだけ身を起こした。軽傷者が出たらしい。幸い大ごとにはならなかったものの、テレビ画面に映った事故を起こした乗用車は、フロント部分が大破していた。 


「っ……」

 アキはそれを見て、明らかに息を詰めた。クッションを強く抱きしめる。微かに肩が震えていた。


 外では吹雪になってきており、壁や窓ががたがたと音を立てていた。マサはアキの膝のうえにそっと手を置いた。



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