控えめ令嬢の捨て身の断罪劇
「あの……」
シャルロットは手を引いて歩いていたジルベールに声をかけた。
しかし彼は止まらない、腕を組んでいるので必然的にシャルロットも止まれない。
「……あのっ、ジルベール」
反応がないので、やはりこういったにぎやかな場では自分の声は聞こえづらいのかとシャルロットは考える。
なのでできる限り声を張ってシャルロットは言った。
「ジルベール!」
呼びかけると彼は「ん?」と振り返って少し歩いてから止まる。そのタイミングでやっとシャルロットは続きを言うことができた。
「あ、の……ヒールのかかとが痛くて、歩きにくいので、ゆっく━━━━」「は? なんだって? 聞こえないな。もっとはっきり大きな声で言ってくれるか?」
しかし言葉は途中でさえぎられて、耳元で怒鳴るような声で問いかけられる。耳がキーンとして、シャルロットはどうにか声を張って返す。
それでも普通の令嬢が、通常の声音で話をしている程度の大きさだったが仕方がない。
シャルロットは昔から大きな声で話をするのは苦手なのだ、頑張るしかない。
「だ、だから、痛くて、かかとがっ……! その、ゆっく━━━━」
「だめだ。全然、なにを言っているかわからない。どうせ大したことでもないんだろ」
「いいえ……足が痛くて」
「もういい。お前の声が小さいのは今に始まったことじゃないからな。話しかけるなら、聞こえるように言えよ、な?」
「あのっ」
しかし、彼は首を振ってまったくもって聞こえないと示す。それから見切りをつけて歩き出してしまう。
たしかに聞こえる声で言えないのはシャルロットが悪いし、そういうふうにもっとシャキとしろと言われることは今まで何度もあった。
もっと彼にきちんと言えないシャルロットが悪いのだ。こんな場でももっと話ができるようにならなくてはいけない。
そう思うけれど王城で行われるこんなに大きなパーティーで声が届くように発声するなんて自分にはとても難しいことのような気がした。
考えているうちに、腕を引かれる。
足が痛いことが伝わらなかったので当たり前のことだった。
そしてかかとの靴擦れをかばうように変に歩くとヒールの重心がずれガクッと足をくじく。
無意識にジルベールに頼ろうと腕を掴むと、驚いて振り払われシャルロットはその場に派手に転倒した。
「っ、…………」
手をついて衝撃を緩和することはできたが、転んだことに周りの貴族たちは気がつき口々に言葉を紡ぐ。
「あら、かわいそうに」
「大丈夫か?」
「派手に転んだわね」
心配する声もあざ笑う声も聞こえてくるけれど、誰もシャルロットに手を貸さない。
つい恥ずかしくて俯くと、すぐそばからとても大きなため息が聞こえてきて血の気が引く。
呆れたようなため息だった。ジルベールが声を掛けてくることはなく、やっとの思いで顔をあげると彼はすでに見える位置にいない。
そして周りの貴族たちも少し距離を置いて見ているだけだ、自身の力で立ち上がろうとすると、スッと目の前に手が差し伸べられた。
「大丈夫か?」
「……は、はい」
顔を見上げつつ手を取るとそれは、ジルベールの弟でありすでに騎士の仕事についているアルフレットであった。
今日は非番なのか華やかな装いをしていたけれども腰には大きな剣を携えていた。
しかし面識はあれど、こうして声をかけてもらえるような仲では無かったはずだ。
捨て置かれたように見えたので不憫に思って手を差し伸べてくれたのだろうか。
引き上げられてときちんとお礼を言うと、彼も少し笑みを浮かべて返す。
「ありがとうございます」
「ああ、いや、俺はこれで」
「はい」
彼は特になにも言わずに、手を放してすぐに人ごみの中に去っていく。
そうして一人になると改めて自分は見離されたのだと理解できてとぼとぼと歩き出した。
……でも仕方ないのよね。
私、声が小さいし、きちんと彼に伝えられなかったから……でもジルベールは私の言葉を途中でさえぎって、聞こうともしてくれなかったじゃない……とも思ってしまう。
自分の中には仕方ないという気持ちと、彼の態度に対する批判的な気持ちの二つが存在していて、難しい。
しかし、周りの人に言えばそれはシャルロットが悪いと多くの人が言うだろうとすぐに想像がつく。
そしてやっぱり自分に落ち度があると思った。
彼の対応がどうであれ、今までもシャルロットの意見を通してくれたり話を聞いてくれたことはないけれど、元はといえばシャルロットの声が普通ならば問題は起こらなかったはずなのだ。
だったら人の批判をする前に自分が変わる努力をするべきだと思う。
そしてできないのならば呑み込むしかない。
声が小さいことは昔からなのだ。今更変えられるとは思えなかった。
そこまで考えて、彼女が声をかけてこないことが不思議で、シャルロットはあたりを見回した。
彼女というのは侍女のアニエスだ。
なにかあった時に対応ができるようにつかず離れずそばにいてくれているはずで、こういった事態が起こったらそばに来てくれるのに、どこにも見当たらない。
それが不思議でシャルロットは人が多い場所から退避するという理由も兼ねてホールから出ることにした。
そしてなんとなく探し始める場所をジルベールがはぐれた時によくいる場所に設定しゆっくりと歩き出したのだった。
その廊下の一番端にあるような利便の悪い控室にはやっぱりジルベールの使用人が立っていた。
使用人に話をしてアニエスを見かけていないか、そして彼女を探して自分は早めに屋敷に戻ることを伝えようと声をかけた。
しかし声をかけた使用人はとても気まずそうな顔をしていて、それでも中にいる彼にお伺いを立てるために部屋に入っていった。
しばらくして、ジルベールは顔を出したが、シャルロットの顔を見るなり舌打ちをして話を聞くこともなくそそくさと使用人たちと去っていく。
その態度に首をかしげていると、中からアニエスもそろりと顔を出した。
「! ……アニエス、よかったわ。ジルベールに声をかけられて、一緒にここにいたのね……」
声をかけつつ、彼女へと視線を向ける。
なんだかその様子は乱れていて、いつもきっちりしている彼女らしくない。
それになんだか少し挙動が不審で「お嬢様……」と小さくつぶやいた。
「……なんの話をしていたの」
問いかけつつも、普通ではないその様子に心配になって控室の中に入る。
中に入ってぱたりと扉を閉めると、アニエスは必死で取り繕おうとして髪を整えて、胸元を正す。
「っ、その、お側を離れて申し訳ありません。ただ、決して私からそうしたいと思ったわけではなく」
「……」
「私はただ、いえ、その以前から、目をつけられているとは考えていましたが、ええと違います。違うんです少し待ってください」
焦って、何度も髪を耳にかけて言い訳を口にする彼女が、シャルロットはとても不憫に見えてくる。
普段からこんなことをするわけではない。
こうしてあの人と一緒にいたのにはなにか事情があったのだろう。そんなことは理解している、なにも妙な疑いなど掛けていない。
それを示すために小さく微笑む。しかし彼女は瞳に涙を浮かべて、しきりに持っているハンカチで唇をぬぐっていた。
そうすると袖口がさらりと落ちて彼女の腕に強くつかまれた指の跡があることに気がついて、シャルロットは思わず聞いた。
「……なにかされたの」
「っ…………申し訳ありません。私はっ」
「謝らないで、あなたが悪いわけではないことは見ればわかるわ……アニエス、それにそんなことを望むあなたではないことも私は知っている」
「っ、……ぅ、っゔぅ、っ、お嬢様、申し訳、ありません」
彼女へのシャルロットの声はとても小さい、けれども彼女はきちんと聞き取って言葉を返してくれる。
いつもそうだ、けれども今日ばかりは正しく届いているとは思えない。
涙を必死に堪えるアニエスの背を摩って「ゆっくりでいいわ、大丈夫よ」と声をかけた。
しばらく落ち着くまでそうしていると、ゆっくりと深呼吸をした彼女はやっと顔をあげて、胸に手を置いて気持ちを落ち着ける。
それからシャルロットに視線を向けた。
「……」
「もう、落ち着いた?」
「はい。お見苦しいところをお見せしました」
「いいえ、大丈夫よ。それで……なにがあったの」
問いかけると、アニエスは眉間にしわを寄せて、表情をこわばらせる。
しかしふっと短く息を吐いて切り替えてシャルロットに言った。
「……些細なことです。本当に些細な男性の戯れで、それにお嬢様がいらしてくださったので、大事には至りませんでした」
彼女の言葉を聞いて、シャルロットは予想していたことではあったが、改めて衝撃を受ける。
そしてその大事はシャルロットがここに探しに来なかったら起きていたこと。
あの時彼はきっととても怒っていただろうから、シャルロットに直接ではなく美人で気立ての良い使用人に憂さ晴らしをしたいと考えたのかもしれない。
そんなことが頭によぎる。そして、彼はここをよく使っている。
はぐれた時にはここにいることが多いのだ。
そしてその意味をシャルロットは瞬時に察した。
「ですが、気にしなくてもいいのです。お嬢様の大切なお相手ですから、それに私は貴族ではありません。魔力がないので、なにがあっても不祥事にはならないでしょう」
「……そんなことは……」
否定しようと思う、しかし魔力のない女性が魔力豊富な男性の子供を身ごもることはない。
だから大事には至らない。その乱暴があったことをアニエスはシャルロットのことを考えると主張することもできないし、平民である彼女は主張することもできない。
取り乱すシャルロットに、アニエスは慰める様な笑みを浮かべて返した。
「お嬢様、よく聞いてください。こういうことは、よくあることなのです。立場の弱い女性がそうして迫られて……実際に乱暴をされてしまうことはあるそうです。そしてジルベール様のそういう噂を聞くことはありました」
「……」
「でも、たとえそういう方でも、高貴なご身分の方です。まっとうに結婚して公爵家の夫人となれば、お嬢様はそのような心配と無縁になります。それどころか誰も、きっとあなたの言葉を無視したりいたしません」
そっと頭を撫でられて、彼女の考えていることに心が苦しくなる。
アニエスは心からこんなシャルロットのことを立派な公爵家の夫人になれるように支えてくれようとしているのだ。
自分の声を押し殺して……いやむしろ、ジルベールはそれをわかっているからアニエスに目を付けた。
「あなたは今のままでも十分頑張っていらっしゃいます。私は大丈夫です。お嬢様」
大勢に届くような主張ができないからこそ、目をつけて自分の欲望を押し付けて、自分よりも弱い人の主張を無視して、黙殺する。
そういう狡猾さと残酷さを彼の躊躇がない手口から感じた。
彼女も……もしかしたらいるかもしれない彼女のように餌食になった女性たちもきっと、シャルロットとは違うのだ。
対抗できる立場ではなくて、どうしようもなくて声をあげても無視されただろう。
聞こえないふりをして。
声を届けられないとあきらめているシャルロットとは違うのだ。彼女たちとシャルロットは明確に違いがある。
「っ……」
「靴のサイズがあわなくなっていること、気がつかず申し訳ありません。お屋敷に戻って新しいものをあつらえましょう」
優しい声がする。こんなシャルロットを守ってくれようとする強い女性の声だ。
それなのに自分と来たら。そう思うと顔が熱くなるくらい情けなくて無力なままではいけないのだと強く思った。
シャルロットは主張を無視されたまま黙っていることはやめることにした。
ジルベールは公爵家の長男であり、弟もいるらしいが跡取りは彼で決まっている。
そんな彼の花嫁になって、伯爵令嬢であるシャルロットが公爵家の夫人になる。それはとても夢のあることだ。
それにシャルロットは声が小さいなんて言う特徴を持っていて、こんなにいい結婚はもう二度とないだろう。
ジルベールの生家であるクレージュ公爵家は多くの騎士を輩出し、王族からも覚えめでたい素晴らしい家系だ。
けれども誰かの犠牲を知らないふりをしてそんなものを手に入れたいとは思えない。
そして声を出す練習をして、風の魔法具を買った。
それから、アニエスにきちんと説明をして、彼の噂をたどって被害者を見つけた。
彼女たちは、シャルロットの予想通りの立場の低い女性たちだった。
きっと彼女たちが声をあげてももみ消されて終わりだろう。
でもだからこそシャルロットが動くべきだと、そう決意して、シャルロットは王城へと向かった。
とはいっても、風の……それも拡声器の魔法具などというものは王城のパーティーにはとても持ち込めない代物である。
買ったのはそれを参考にして、声を拡散する魔法を使うための教材のようなものだった。
シャルロットはこれでも、風の魔法を持っていて魔力量もそれなりにおおい。
そういう部分を買われて幼いころに公爵家の跡取りであるジルベールと婚約をすることになったのだ。
ただ、本来、一般貴族の扱う魔法というものは身を守るための最低限の攻撃魔法であることが多く、家庭教師もそれ以上の魔法を教える技術は持たない。
なので自分で買って自分で習得し操るしかない。
最初は魔力の調節が難しくうまくいかないと思ったけれど、それはシャルロットにとって大きな声でしゃべることよりは簡単なことだったらしく練習していけばできるようになった。
そうして、たくらみの魔法を携えて、緊張する気持ちを抑えつつもジルベールの少し後ろを歩いていく。
彼は顔が広くて、多くの人に挨拶をしたり立ち話をする。
パーティーではいつも忙しなくて、シャルロットはそこにいるだけの操り人形のようにそばに寄り添っていることが多い。
「はははっ、やっぱりジルベール殿は話がうまくていらっしゃる、これだけ話術が巧みなのは父上譲りですかな」
「いやいや私などまだまだ、それではそろそろ」
「ああっ、引き留めてしまいましたな。それではまた」
そんなふうに会話を終えて、ガヤガヤとしたパーティーのホールの中を進んでいく。
交流を一旦終えて、彼は父親であるクレージュ公爵たちの方に戻るようだ。
遠くには先日、助け起こしてくれたアルフレットの姿も見えていた。
あの日に転んで以降、ジルベールはシャルロットをエスコートしてくれることはない。
「おい、きちんとついて来ているか? この間のように醜態をさらしてもらっては困るしな。……シャルロット」
「……ええ」
ずんずんと進んでいた彼は立ち止まってシャルロットを振り返る。
その行動は優しさから来るものではなく、面倒くさいような表情をしていた。
「は? きちんと返事をしてくれ聞こえないだろ、それじゃ無視しているのと同じだ」
華やかなワルツの音色が響いている中でも、彼の棘のある言葉はよく聞こえる。
シャルロット以外の貴族たちにはあんなに朗らかに話をしていたのに、聞き取ろうとするそぶりも見せない。
その様子に立ち止まった。
和やかな雰囲気の中で、楽しげに交流をする彼らに申し訳ないという気持ちもある。
特に近くにいる人が。
「おい、行くぞ。はぁ……まったく、本当にお前は、なにか不満があるならな、聞こえる声で言え。そんな最低限のこともできずに、小さな声でぶつぶつと言って私が聞いてやるなんて━━━━」
彼は立ち止まったシャルロットに苛立って、嫌味を言いながらそばに来た。
そんな彼に向かってシャルロットは両手を口元にもってきて、掌を彼の方に向けて口の前で輪を作るように親指と人差し指で円を作った。
大きな声で遠くの人を呼んだりするときに多くの人がそうするように、シャルロットもそうして、その円の中に魔法を作る。
あとはできるだけ大きく息を吸った。
お腹の中に空気をためて、普通の声ではなく叫ぶように彼に言った。
『この声なら聞こえるでしょうっっ!!??』
ジルベールはまるで弾かれたかのように驚いて咄嗟に耳を抑えた。
そしてシャルロットも耳を抑えたくなった。なぜなら自分の声だというのに耳が痛くてキーンとして堪らなかったからである。
……こ、こんなに大きな声で練習してなかったからっ、し、知らなかったわ。
自分の声で自分の耳が痛くなるとは予想外で、涙がにじむ。それでも一度始めたのなら止まることは絶対にしたくない。
『不満に思っていることはっ、たくさあるっ!! でもそれは個人的なことっ、ではっ、無くてっ!!』
「おい、止めろ!」
「なんなの!?」
「うるさっ!!」
大きな声でいうことはすでに決まっている。
彼に対するシャルロットが声を聴いてもらえないということではない、というかそんなことを主張していたらすぐに騎士につかまってしまう。
『それは、クレージュ公爵家の跡取り息子であるジルベールっ!! あなたが!!』
簡潔にそれでいて多くの人の耳に、頭に残るように立場のない女性たちの小さな声を無視できないものにできるように。
『たくさんの貴族女性を手籠めにしてっっ浮気関係を結んでいることっ!! それは不貞行為であり、同意のない乱暴でありっ!! 最低なっ行為ですっ!! でもジルベールは罰されないっっ!!』
「やめろ、このっ」
ジルベールがシャルロットを止めるために、駆け寄る。そして拳を振り上げた。
手を振り上げたが、振り上げた手をいつの間にかそばに来ていたアルフレットが掴んで彼を羽交い絞めにした。
何故、彼が協力してくれたのかわからないし、疑問もある。けれども今はそれどころではなくシャルロットはつづけた。
『女性の尊厳をないがしろにしてもっっ、無視できることだと思ってっ!! 反省も謝罪もしない!! 私は、許せないっ!! ジルベールは挙句!! 聞こえる声で言えと私に言う、からっっ!!』
王城の兵士たちが集まってくるのが遠目で見える。
いきも切れて大きすぎる自分の声に頭がぐらぐらとして涙が出ていた。
『これなら聞こえるでしょうっっ!!?? 乱暴と浮気はどちらも神に許されない行為ですっ!!』
そして、シャルロットはそれから、ジルベールに飛びついた。
胴回りにひしとしがみつき、なんとしてでも離さない。
こうして王城でのパーティーで問題を起こすというのは刑罰に値する行為で、普通の貴族ならば絶対に避けたい事象である。
普通に捉えられるし、罪の裁定もおこなわれる。
そんな時に誰がこの原因を作ったのかということが重要になる。
そしてきっと私の主張と、証言を約束してくれた令嬢やアニエス、それから噂も相まってジルベールに過失があると傾くだろう。
それに幸いシャルロットはまだ成人前だ。
子供のやったことでは済まされないだろうけれど、今の暴露があってシャルロットに厳重な罰を下すというのは、多くの貴族に取って無視できないことのはずだ。
そして、そんな時に彼にのうのうと逃げられては困る。
彼には、きちんとこれまでの罪を見つめて罰を受けてほしい、だから今ここで、当事者として共に捕まってくれないと困るのだ。
王族に仕える騎士が次々にやってきてジルベールを取り囲む、そんな中、自分を押さえ込むアルフレットや騎士たちにジルベールは必死になって叫んだ。
「な、なんなんだよ!? なん、なんだ!! おい待て、私はなにも、しょ、証拠はあるのか!?」
「っ、っ~」
頭をベシリと叩かれるけれど離れるつもりはない。証拠なんかこれから山ほど出てくるだろう。
「今、証拠を出せずとも、この場で問題を起こしたことが罪になるはずだ」
「その通りだ、アルフレット」
「来いっ、ことの審議をはっきりさせてやる」
「まて、待ってくれっ。嵌めたのか、アルフレット!! 離せ! このっ」
シャルロットの頭上では様々な攻防が行われているらしく、それらの事情を正しく理解しているわけではない。
気になりはするけれどどうにか彼と離れないという目的だけは達成してシャルロットは無事に、ジルベールとともに騎士たちに捕らえられることに成功したのだった。
それから状況は一変した。
まず、シャルロットの行動の責任のすべては加害者であるジルベールが負うということになった。
心のケアも必要だろうということで必要最低限の調書を取られて、自宅で療養することになった。
その間に、ジルベールの罪は何度も狡猾に立場の弱いものを狙っていたということで、追放という形で放逐するのではなく貴族用の監獄に入ることになった。
そうすることで貴族社会は、こんな悪辣非道な行為は許さないと多くの人に示されたと思う。
そこまで厳重な罰が下されたのにはやはり、無視できないほどに多くの人間に事実を知らせたということが大きかったに違いないとアニエスは言った。
ただ、無茶なことはもうしないでほしいと言われたけれど、彼女もシャルロットの頑張りを認めてくれた。
そして問題のクレージュ公爵家との結婚だが、もちろんジルベールとは婚約破棄をしてそのまま縁が切れるつもりでいたが、違った。
新しく跡取りとなった、アルフレットから声がかかりシャルロットはやってきた彼と話をすることになった。
彼は難しい顔をしていて、シャルロットと向き合ってまずは頭を下げた。
「……今回の件、まずは改めて謝罪をさせてほしい。シャルロット嬢、兄が多大なる迷惑をかけ、君自身にも心に深い傷を残しただろう。申し訳なかった」
大の大人にそんなふうにされたことはなくてシャルロットは慌てて「か、顔をあげてください」とすぐに言う。
その声はいつも通り、か細くて彼とまともに話ができるかと少し不安だったが、声に反応してアルフレットはちらりとシャルロットを見る。
「……それに、私はそれほど傷ついてなんかない、です。……私はただ主張できる立場にいるそう、自覚したからそうしただけだもの」
「……」
「だから、謝罪なら他の被害者の方々にしてほしい。……それに、その話をしに来たのではないと思いますし……」
ここに来た本題があるはずだろうと促せば彼は、頭をあげてそれでも真剣な表情を崩さなかった。
「その通りだ。君の時間を望まれていない謝罪で奪うわけには行かないしこれは俺の自己満足だ。簡潔に話をさせてもらう」
「……ええ」
「今日伺ったのは。事情の説明のためだ、君のご両親には既に話を通してあるが、俺は兄の行動をずっと知っていた」
「そう、なのね」
「ああ。ただ多くの場合、被害者が声をあげなければ黙認されることが多いし、声をあげたとしてもどこかで握りつぶされる。それに当事者でない俺が正義感で動いたところでという気持ちもあった」
気がついていても、自分のことではないから気にしない、大事には至らないだろうから。
そう思う気持ちはとても自然なことだと思うし、コクリと頷く。
「けれど、偽善的で自己満足だと思われるかもしれないが、苦しんでいるのにそれを無視するのはやはり性に合わない。ただし、当事者ではない人間が実証するのは難しい、現場を押さえるぐらいのことをしなければ誰も納得しない」
「そうですね」
「そういう理由があって、仕事の合間に、その機会をうかがって君達を観察してしばらく見させてもらっていた」
「……だからあの時、手を貸してくれたの?」
パーティーで転んで一人置き去りにされた時、声をかけてくれたのは彼が見ていたからだとすると彼の言葉はつじつまが合う。
それほど仲がいいわけではないが、目の前で転んでいたら助け起こそうと手を伸ばす。
それは彼が偽善的だと思いつつも兄のことを告発しようとしていたというその言葉に違わない人間性だ。
問いかけると、アルフレットは苦笑して返す。
「つい、自分がいい格好をしたくてしてしまったことだ。本当なら、兄の方を追っていれば、その場で現場を押さえることができたのにそこもすまなかった」
「いえ……いいえ。嬉しかった、あの時は……とても」
「そう言ってもらえると助かる。それに俺は結局なにもできなかった。実際に動いて、被害者たちにとって一番いい形で告発をしたのは君だった。俺はとても情けのない男だと思う」
たしかに、実際に身を結んだのはシャルロットの行動だった。でもそうしたいと思うこと、それがなにより大切なことではないだろうか。
力のある人が、誰かの声を無視しないこと、したくないと思うこと、そうである方がきっとより多くの人が安心して暮らすことができる。
そう否定したかったけれど、彼が言いたい結論はそれではないだろう。促すように相槌を打つ。
「だから……というか、なんというか。君には兄の横暴で迷惑をかけ、俺のやりたかったことをしてもらった。そのお礼……になるかどうかはわからないが……クレージュ公爵夫人になって貰うことはできないだろうか?」
「……つまり、あなたの……」
「ああ、結婚相手になってほしい。……考えてもらえるだろうか」
首をかしげて問われた言葉に、シャルロットは驚いてしまって言葉を失う。
ジルベールが投獄されたので、必然的に跡取りはアルフレットになったし、彼の汚名をすすぐためにも彼の告発に協力的だったアルフレットを据えるのはとても理にかなっている。
しかしまさか、結婚相手だけを挿げ替えた形で公爵夫人になれる機会がこようとはまったく想像していなかった。
シャルロットは、なにもかも捨てるつもりであの時の主張に賭けたし、半分以上捨て身だった。
けれどもまた、機会が回ってきた。
しかしそんなことは、なんだかあさましいような気がする。元から自分にはその器はないのかもしれないとも思う。
未だに、声だって小さいし度胸も、知識も、素晴らしい技能もあるわけじゃない。
そんな自分は精々……とあきらめた方がいいと思う。けれど、ゆっくりと視線をずらして横をみるととても嬉しそうなアニエスが移る。
そんな彼女以外にも、シャルロットは声をあげられない人々のことを知った。
そんな人たちがないがしろにされるのを自分は許せないと知ってしまった。
そしてこれからもその思いを抱えて生きていくし、主張していく。
「……」
「答えは今すぐでなくていいんだ、ゆっくり━━━━」
「いえ、お願いします」
できるだけ声を張って、きっぱりと返す。それでも声は小さくないというだけで、でもそれがシャルロットなりの精一杯だ。
この生き方を続けて、周りもそうであってほしいと願うなら、自分がその側に回らなければならない。
責任を負って、力を持って無視されないように、そして自分も無視しないような人になりたい。
その気持ちは卑屈よりも勝って、アルフレットの視線を向ける。
彼は少し驚いたけれど、笑みを浮かべて返す。
「……いい返事をもらえて嬉しい。これからよろしく頼む」
「はい」
そんな会話を短くかわして、シャルロットは公爵夫人という立場のある人間になることに、やっと覚悟を持つことができたのだった。
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