第82話 廊下での独り言
フェリックス様の背中が廊下の隅に消えていく。
足音も軽くて、振り返りもしない。
(行った)
完全に行ったのを確認して、ボクは小さく息を吐いた。
「何で知っているんだろう」
誰に言うわけでも無いけれど。
疑問に思っちゃうのは当然かもしれない。
(確かに昨日、王都へ出たのは事実だし、少年服も事実だけどさ。年下の彼氏っていうのは、事実じゃないよね!?)
あれは、喫茶店でボクやロランスを見た人が感じていただけだよね。
ロランスも悪乗りして、年上彼女ムーブをしていたけれど。
否定したいのに、どこから否定すればいいのか分からない。
順番が多いよ。
(しかも『似合ってた』って評価、なんで全員一致なんだろう)
ロランス。
ゼナイド様。
殿下。
そして、フェリックス様。
(多数決じゃないんだから)
図書館の壁にもたれて、額に手を当てる。
でも、そうだよ。
ボクは男の子だったから、少年服が似合っているのは当然だよ。
今は令嬢の身体になっているけれど、小学生だった記憶だってあるし、元気だったときに七五三やお正月でこれっぽい服を着たよ?
そんなボクが少年服着ているのは、必然になってくるって。
もうボクは自分自身に言い聞かせた。
(帽子を用意しろって、そこも一致しているし)
ロランスが言った。
ゼナイド様も止めなかった。
フェリックス様まで言う。
(世界が”少年服のポラリス”を完成させに来てない?)
じわじわ来る現実。
受け入れても良いのかな。
いやいや、今のボクは令嬢だよ?
(でもボク、昨日そんなに”自然”だったのかな)
自然。
楽な顔。
楽な距離。
言われた言葉が、頭の中で順番に再生される。
(まあ、そうなるのかな)
それがボク、”江坂芯星”を結びつけるんだったら、間違っていないよね。
転生する前のボクが失われていないからさ。
かつての”江坂芯星”を否定したくないし、今の”ポラリス・バルカナバード”が今のボクだと思いたい。
男の子だった僕、女の子のボク。
どっちも正しいから。
だけどーー。
「……ダメだ」
ボクは小さく首を振った。
正しいけれども、これ以上はいけない。
(また着たくなる)
昨日は偶然。
今日は私服。
それでいい。
(……はず)
なのに、頭の隅で。
(次は、帽子かぁ)
そんな考えが浮かんだ時点で、負けている気がした。
ボクは江坂芯星だって思えてくるから。
今はポラリス・バルカナバードだよ。
「フェリックス様、ずるいって」
誰もいない廊下で、小さく文句を言ってから。
(とりあえず今日は、図書館で大人しくしていよ)
自分にそう言い聞かせて、ボクはもう一度、図書館の扉を押した。
(少年服じゃない日、だよ)
念押しするみたいに、心の中で付け足しながら。
ボクは図書館の中に入って、王国史とは違う本を読むことにした。
「あ、あれ?」
適当に選んだから、服の仕立てに関する本を見ていた。
そこには、見本的に少年服や紳士服などの絵が載っている。
(なんか、良さそう)
転生しないままだったら、こういったのも似合っていそう。
うん、今だったら似合っていない。
ボクはページを飛ばして、女性の服を見ていく。
(あれ? どっちも良さそう)
今見ているのはアデリナ様に似合っているドレスだけど、普通に欲しいなって思ってしまう。
男物の服で良さそうって思っていたから、こっちは似合わないが普通だよね。
どうしてこっちも欲しいって思っちゃうんだろう。
(う~ん、分かんないよ……)
そう思いながら、ボクはページを閉じた。
閉じたはずなのに、指先は一度だけ、紙の端をなぞる。
さっき見ていた、少年服の挿絵のページ。
(別に、今すぐ着るわけじゃないし)
誰に言い訳するでもなく、心の中でそう呟く。
それから、何事もなかったみたいに本を戻した。
(今日は少年服じゃない日)
もう一度、念を押す。
でも。
(”いつか”の話なら、まだ考えてもいいよね)
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。
ボクは視線を本棚から外して、静かな図書館の奥へ進んだ。




