第68話 寄宿舎の廊下
部屋の廊下を出てみると、最初誰も見かけなかった。
だから安心していた。まだ寄宿舎の中ですれ違っちゃうと、マズいからね。
廊下を歩いていると、誰かとすれ違った。
「……え?」
小さな声が聞こえる。
まるでここにいない人が居るかのような。
「……え、今の……?」
後ろでひそひそ。
令嬢達の噂話みたく聞こえてくる。
「男の子……だよね……?」
「でも顔、女の人じゃなかった……?」
「え、どっち?」
困惑している声が聞こえる。
男女別なのに、男の子が寄宿舎の中にいるっていうのはおかしいから。
今のボクは女の子だけれども、少年服を着て歩いていたら一瞬思っちゃうよね。
「大丈夫かな……?」
(……あ、これ)
視線が集まっているのに、誰も声をかけてこない。
二度見、三度見。
歩調が一瞬、ずれる。
心臓が一拍だけ早く跳ねた。
(詮索されるより、困惑されてる……)
下級生の一人が、思わず口を押さえた。
「……でも、声は女の人だったよね?」
「きれい……」
(そこ!?)
違う、今の問題はそこじゃない。性別の話をしていたはずだよね!?
でも、少年服を着て男の子っぽく見ているところかな、それとも女の子としての顔からかな。
分からない。
でもボクは何事も無かった顔で歩き続けた。
たぶん。たぶん、できてた。
(これ……令嬢の休日ってやつで合ってる?)
背後で、小さな混乱が渦巻いていた。
ボクはそのまま寄宿舎の出口へと進んでいった。
廊下を曲がった瞬間。
「……あ」
声がした。
見られたいような、見られたくないような人物に出会った。
「やっぱり」
(あっ)
ロランスだった。
視線が、ボクの服から顔、もう一度服へ。
「今日は”そっち”なんだね」
明らかにボクだって分かっていた。
「……うん」
否定する余地、ゼロ。
ロランスは一瞬だけ考えるように目を伏せて、それから小さく笑った。
「下級生、二度見してたよ」
「見ないでほしかった……」
ロランスが全部見ていたというところに、ボクは顔を紅くしてしまう。
「無理だと思う」
(即答!?)
確かに休みだから寄宿舎にいる令嬢なんて、多いから。
他にも見られちゃうのかな……
「でもーー」
ロランスは声を落とす。
「それ、変じゃないよ」
「……え?」
「ポラリスさんが”楽な方”を選んだだけでしょ」
さらっと言われて、逆に言葉が出ない。
確かに色々な部分で”楽な方”だから。
「……そう、なのかな」
「うん。少なくとも、あたしには分かる」
そう言って、ロランスは何事も無かったみたいに歩き出した。
「ほら、行こ。今日が学院も休みだし」
(……この人、察しが良すぎない?)
ボクは一拍遅れて、その背中を追いかけた。
「……ポラリスさん」
「な、何……?」
途中でロランスは歩くのを止めた。
振り返って、今度はちゃんとボクを見る。
「一応言っておくけど」
少しだけ、声を落として。
「その服装、黙認は今日までだから」
「えっ」
「学院の外ならいいけど、寄宿舎は”役割”が一番厳しい場所だから」
ボク、この服がしっくりときていたんだけれども。
寄宿舎はやっぱりマズいんだ……
「次やるなら、帽子とか羽織とか、もう一段階”誤魔化し”を考えよ?」
(実務的!?)
とりあえず寄宿舎で女の子って、分かるようにしてって事かな。
令嬢って見えるような感じで、寄宿舎を動くっていう。
「あと」
視線が、ちらっと周囲を確認する。
「歩き方。もう少し小さく」
「……はい」
「今のため息、完全に男子」
「……それは不可抗力じゃない?」
ロランスは一瞬だけ口元を緩めた。
というか、ボクって今までも少年みたいな喋り方をしていたよね。
「まあね、でも」
最後に一言。
「自覚のないまま歩くのが、一番目立つから」
(ぐさっ)
胸に刺さるようだった。
今までは目立っていなかったのかな。
「……気をつけます」
「よろしい」
それだけ言って、また歩き出す。
「大丈夫。見ているのは下級生だけだから」
「それなら良いけれど……」
「慣れるから大丈夫からね」
(確かにね。でも、慣れたらあんまりダメだよね!?)
そんな内心ツッコミを抱えながら、ボクはロランスの横を歩いて、寄宿舎の出口へ向かった。
(……ロランスって、黙認はするけれど、放置はしないタイプだ)
ちょっと安心して、ちょっとだけ、背筋が伸びた。
怒られない自由より、見ていてくれる安心の方が、今は大きい。




