第63話 医務室での会話
【アデリナ視点】
ふわりと、柔らかい布の匂いがした。
あたたかい。
目を閉じたまま、しばらく意識の波を漂っていた。
「ううん……」
私はしばらく眠っていた。
天井の白がにじんで見えた。涙の跡が乾いてつっぱる。
ブランカがネーヴェラから戻ってきてくれて、心身が疲れていたのもあって、熟睡していたみたい。
安心した気持ちになったからなのかしら。
心が何故か軽く感じた。
「アデリナ、起きた?」
横を見てみるとブランカが椅子に腰掛けて、本を閉じるところだった。
見守っていたのだろうか。
微笑みながら私を見ていた。
「ブランカ……?」
声が掠れている。
泣きすぎたせいだと自分でも分かった。
「よく眠れた?」
「ええ……」
窓を見てみると、空は夕焼けに染まっていてそこそこの時間、眠っていたみたいね。
ちょっと申し訳ないわ。
「寝過ぎって事は無いから。むしろ足りなかったのよね」
ブランカの優しい言葉で、胸の奥の何かがじんわりと熱くなる。
「ご……ごめんなさい……人前で……あんな……」
恥ずかしい。
完璧でありたかったのに、あの場で涙を流してしまった。
弱いところなんて、誰にも……特に”あの子”には見せたくなかった。
でもブランカは首を振って言った。
「謝る必要は無いわ。あなたは、それだけ無理をしていたのだから。それに眠れていなかったのだってね」
「……そうかもしれないわ」
夜は寝ていたけれども、浅かったかもしれない。
色々と気にしてしまっていたから。
特にポラリス嬢に関する事を。
あの子は本当に殿下と結ばれるのかしら。
「アデリナ、ポラリス嬢の事は気にしすぎないでね」
「ええ……でも……」
私がポラリス嬢を気にしているの、分かったのね。
「あの子が敵対していないのは知っている。貴女にとってもね」
「もしかして、ポラリス嬢と話したの?」
ブランカは明らかにやりとしてきた以上の事を言っていた。
彼女の名前を口にすると、胸の奥で妙なざわめきが走る。
「そうよ。医務室へやってきたし、せっかくだから、ね」
やっぱり。
私が眠っていた間に、ブランカはポラリス嬢と話をしていたんだ。
どんな話をしていたのかしら。
でも訊くことは出来なかった。
「彼女は……あなたをとても心配していたわ」
「心配……?」
「ええ。あの子は優しい子よ。あなたを傷つけたいわけじゃない」
分かっている。
頭では分かっているのに、胸は苦しい。
「……どうしてでしょうね。ポラリス嬢を見ると、胸がざわめくのですわ。苦しくて……焦って……何をしているのか分からなくなる」
言葉にして初めて、自分でもそれが”嫉妬”だと分かった。
「殿下が……あの子と補講をして……楽しそうで……」
唇が震える。
言葉が途切れ途切れになりながら、ようやく続ける。
「私じゃなくて……どうして……」
子供みたいだ、と自分でも思う。
でも止められなかった。
「……殿下が、あの柔らかな声を自分以外にむけるなんて……耐えられない」
私はブランカに次々と言っていく。
「彼女そのものよりも、”彼女の生み出す未来”が怖くなるのですわ……」
殿下が取られ、聖女の座すらも奪われるかもしれない。そんな想像が出来てしまって。
ブランカは立ち上がって、私の紙を一度だけ撫でた。
「アデリナ。あなたはずっと”完璧であれば愛される”と思い込んできた。でもねーー心はそんなに単純じゃないのよ」
「ブランカ……」
「殿下は誰を選ぶか。それはあなたの価値とは関係が無い。あなたの価値は……あなた自身が決めるのよ」
その言葉に、胸の奥がふっと軽くなる。
「でも……私……ポラリス嬢の前で……弱いところを……」
「見られたくなかったのね?」
「……はい」
ポラリスの顔が脳裏に浮かぶ。
心配そうに見ていた瞳。
それが、今は妙に苦しかった。
ブランカは優しく微笑んだ。
「大丈夫。彼女はあなたを笑ったりしない。ただーーあなたが揺らいでいることに、戸惑っているだけ」
「……戸惑って?」
「だってあなたは、学院の誰より強くて、誰より完璧で、誰より眩しい存在だったのだから」
まるで全部理解しているかのように、ブランカは私の目元を一度だけ見て、そっと微笑んだ。
そんな風に言われると、涙がまた出そうになった。
「寄宿舎までは戻れる? 付き添ってあげるからね」
「だ、大丈夫よ……」
ブランカにそこまで迷惑をかけたくない。
部屋までは自分で戻れる、と思いたかった。
「何を言っているの。こんなに弱っているのに、一人で行かせられないわ」
「……ありがとう」
私は寄宿舎の自室まで、ブランカと一緒に歩いていた。
いつ振りかしらね、一緒に歩くのって。
彼女がずっとネーヴェラに行っていて、離ればなれになっていたから。
「アデリナ、夕ご飯は食べられる? もし何だったら、持ってくるから」
部屋に戻ると、私はベッドに腰掛ける。
「ええ……」
どうしてなのか、今は昨日よりもお腹が空いていた。
頼むのは申し訳ないけれど、素直に言っていた。
「分かったわ。だからそれまで休んでいてね」
私はベッドで横になって、ブランカが戻ってくるのを待った。
しばらくして、トレーにパンと野菜の煮込みを載せて戻ってきた。
「お待たせ。無理しなくて良いからね」
「ありがとう……」
私は少しずつ食べていく。
こんなに美味しいなんて……
少しずつだけれども、私は食べ終わってしまった。
「良いのよ。だから、今日はお休み」
「そうね。ブランカ、お休み」
食べ終わると、私はベッドに入って眠りについた。
そっとまぶたを閉じると、まだブランカがそばにいてくれる安心感が、胸に染みこんでいった。
(……ポラリス嬢)
ポラリス嬢に弱いところを見せてしまった。
彼女がどう思ったのか、それを考えるだけで胸が締めつけられる。
今度会ったとき、自分はきっとーー
もう今日のような”完璧な仮面”ではいられないだろう。
私にはもう、あの”完璧な仮面”を一日中、被り続けられるほど強くはなかった。
そしてそれが怖かった。
ーーだけど、ブランカがそばに戻ってきてくれた。
その事実だけが、揺れる私の心をそっと支えてくれている。
(明日……私は、どうすればいいのかしら)
星明かりの下で、そんな問いだけを胸に抱きながら、私は静かに眠りへ沈んでいった。




