第53話 走り去るアデリナ
「ロランス、大丈夫……?」
次の授業を行う教室でボクは、さっきロランスがアデリナ様と言い争った事を不安に感じていた。
怒鳴ったり大きな声を出したりはしなかったけれども、あんなに強い感情を出していたのは初めてかもしれない。
昨日もボクがアデリナ様に詰め寄られた事を言った時に、感情を出していた。
ボクのためかもしれないけれども、ボクはいつものロランスが好きだから。
「ごめんなさい……あたし、アデリナ様が不安定なのを分かっていたけれど、挑発に乗っちゃって……」
椅子に座りながらロランスは落ち込んでいて、さっきの言い争いを後悔していた。
どうしてあんなに怒ったの?
確かにアデリナ様の言い方はおかしかったけれど……
ボクにはアデリナ様は気にしすぎちゃダメって言っていたのに。
「……ロランス、どうしてそんなに怒ったの?」
その疑問を言葉にしてしまってから、自分でも驚いていた。
胸の奥に、どう説明していいのか分からないざわめきがあった。
「あたし……あたし……」
ロランスは言葉を出そうとしていたけれども、悩んでいるみたいだった。
「ううん、ロランスはボクのために怒ったんだよね?」
落ち着かせたかったから、ボクは少しだけ優しい表情をしてロランスと話していく。
そしてロランスが言いやすいように、気付いていた事を言って。
「……うん。ポラリスさんを守りたくて……」
頭を下げながらも、ロランスは頷いていた。
やっぱりそうなんだ。
喧嘩するのは悪いかもしれないけれど、ほんのちょっとだけボクは嬉しかった。
「……あたし、止めたかったんだ。本当は、もっと上手くポラリスさんを守れたはずなのに……」
ロランスはボクが思っている以上に後悔していた。
最善の方法があったんじゃないかって。
だからこそ、ボクがフォローしてあげたかった。
「大丈夫だからね」
ロランスの頭を優しく撫でて慰める。
少し気分が落ち着いていくようだった。
「ねえ、授業は受けられそう?」
「……受けられるよ。心配してくれてありがとうね」
ちょっと無理をしたような表情だけれども、ボクへ笑顔を見せていた。
大丈夫だからね、ボクはロランスが良い子だって分かっているから。もちろん、アデリナ様もいい人だから。
時間が経ったらロランスもアデリナ様も、仲直りしてくれるかな。
「この時間はアデリナ様は別の教室だからね」
「そうだよね……でもアデリナ様、大丈夫なのかな?」
「分からないかな……」
少し気分が落ち着いたのか、ロランスはアデリナ様を心配していた。
言い争っていたのに、心配するなんてね。いや、あんな状態になっていたから、心配しちゃうのかもしれない。
そんなロランスも好きだよ。
「あっ、授業が始まるよ」
教授が入ってきて、授業が始まる。
久しぶりなのか、この授業は何事も起こらないで終わっていった。
ロランスが隣に座って、ボクがちょっとだけ分からない所を教えてくれたくらいかな。
ある程度元気を取り戻していたし、微笑みも自然だった。
それが良いんだけれども……そうはいかないのかもしれない。
「ポラリスさん、一緒に帰ろっか」
「そうだね!」
ボク達は寄宿舎へ戻るために廊下を歩いていく。
その途中、アデリナ様が授業を受けていた教室を通った。
「あっ、アデリナ様……」
他の令嬢や子息が帰るために教室を出ていこうとしたけれども、アデリナ様だけは座ったままだった。
ノートを閉じる手が震えていて、どう見ても大丈夫じゃなさそう。
「……っ!」
ふと教室から一直線に、アデリナ様と目が合った。
驚いた表情をして、教科書やノートを急いで片付けていた。
そして椅子を引く音が響きながら、立ち上がっている。
「あ、アデリナ様、大丈夫……?」
「失礼しますわ……っ」
様子がおかしかったから、声を掛けようとしたけれども……
震える声でボクに言い残して、俯いたまま教室から走るように出ていった。
走り出す直前、アデリナ様の目は、水を張ったように揺れていた。
”見ないで”と言っているのに、”助けて”とも叫んでいるようだった。
「あっ……!」
ボクは追いかけようとしたけれども、誰かに袖を掴まれた。
悲しそうな表情でロランスが掴んでいた。
「今は……追いかけない方がいいよ」
ロランスの言葉は、怒りは全くなくて明らかにアデリナ様を気遣うような感じ。
ボクは何も言えずその場に立ち尽くした。
「アデリナ様らしくない……」
「さっきの授業だって、間違えていたし……」
「しかもスピーチのような事を言って、教授から心配されていたわよ」
この様子を見ていた令嬢や子息も、アデリナ様の様子に、ざわついていた。
さっきの授業での出来事も合わせて噂話をしている令嬢も。
完璧な”ヒロイン”みたいなアデリナ様だからこそ、様子が違った時に話題が大きくなりやすいのかな。
その噂話がボクの耳に刺さっていくように入ってくる。
噂話にはボクの名前は入っていなかった。
なのに、まるでボクがアデリナ様を追い詰めたみたいに聞こえて、胸の奥がじわりと痛くなった。
「アデリナ様、昨日みたいになっていないかな……」
鏡の前で弱々しくなっていたあの姿。
でも、昨日よりも弱々しいのかもしれない。
「でもポラリスさんが見に行ったら、さらに辛いことになるかも」
「ボクが……」
ロランスの話を聞いて、もどかしい感じになった。
でも辛いことになったら、ボクだって同じになるかもしれない。
「ポラリス、彼女に気を取られすぎてはなりませんわ」
丁度帰ろうとしていたゼナイド様と出会った。
胸の前で半分開いた扇子を持っている。
「ゼナイド様……」
「アデリナ嬢は、今日の自分を誰よりも許せないはずですわ」
思い浮かべるように、ゼナイド様はアデリナ様のことを話している。
そして扇子で自身の肩を叩いていた。
「とりあえず、距離を取るのが賢明ですわ。今の彼女には……刃にもなり得ますもの」
神妙な表情をして、ゼナイド様はボクに話していく。
それをボクは頷くしか出来なかった。
「……わたくしも心配ですのよ。ただ、今の彼女に手を伸ばすのはーーかえって毒ですわ」
冷静だけれども、ゼナイド様の言葉には嘘が無かった。
「ポラリスもロランスも、今日は休みなさいな。特にロランスは落ち着かせなさいな」
徐々にボク達に話していくゼナイド様の言葉が柔らかくなっていった。
ボク達を気遣うように。
「そうだよね……」
「ゼナイド様お気遣い、感謝します」
それを聞いたゼナイド様は微笑みながら、ゆっくりと扇子を閉じた。
「さあ、夕食が遅れますわよ」
ボク達は夕焼けが見える校舎を出ていって、寄宿舎に戻っていく。
寄宿舎に戻って、食堂へ向かった。
スプーンの音だけが寄宿舎の食堂に響く。
今日の煮込みが中心の夕食は、いつも通り食べることはできたけれども、アデリナ様はやってこなかった。
いつもなら賑やかなテーブルも、令嬢達は昨日よりもいるのに昨日よりも静かに感じた。
アデリナ様が来ないだけで、こんなにも空気は変わるんだ……
そう思うと、胸がきゅっと締め付けられた。




