第52話 廊下での小競り合い
「どうして……あんな簡単な事まで……」
魔法理論の授業が終わったとき、次の授業があるものの、アデリナ様は座ったまま教科書を片付けられずに手を震わせていた。
呼吸が浅く過呼吸気味で。
近くにあったノートに、書いてあった文字は乱れている。
顔色は悪くて、どう見てもいつものアデリナ様じゃない。
「……手伝いましょうか?」
「いえ、お気遣いは……」
この様子に周囲に居た令嬢が声を掛けている。
でもアデリナ様は首を振っていた。
ボクも近くにいるから、胸が痛んでしまう。こんなにも辛そうにしているなんて。
「アデリナ様、大丈……?」
声を掛けに行こうとしたけれど、誰かがそっと肩をつかんだ。
振り返るとロランスだった。
「今はやめた方が良い。あの人、自分が崩れるところを”あなたに”見られるのが一番辛いんだよ」
「……そうなんだ」
ボクが一番見られたくないんだ。
アデリナ様は完璧でいる自分を見せたいのが、ボクなんだね……
「ゼナイド様……?」
少ししてアデリナ様が立ち上がろうとするとゼナイド様と目が合ったような気がした。
ただゼナイド様は何も言わないで、扇子を僅かに傾けて”立てるわね?”と言いたげな眼差しを送っていた。
それを見たのか、アデリナ様は背筋を伸ばして教科書を片付けて、この教室から去っていく。
「見ないでほしい時に限って……あなたがいるのね……」
ただボクの近くを通ったときに、アデリナ様が小声で呟いていた。
ボクだけに聞こえるような、”弱音”だったのかも。
だからこそ、胸がきゅっとなる感じだった。
「アデリナ様……」
どう言ったらいいのか分からないし、ボク自身の表情も暗くなっていた。
ボクはアデリナ様にとっての、何なんだろうね。
「……ポラリスさん、あなたが悪いわけじゃないよ。でも今日は、アデリナ様の心がちょっと迷子なんだと思う」
とロランスが囁いた。
ボクを気遣って言ってくれているのが分かっているけれど……
(アデリナ様、どうしてそんなに苦しそうなの?)
と胸に引っかかったまま、この教室を後にした。
「大丈夫? 気にしすぎちゃダメだよ?」
「うん……」
廊下を歩いている途中、ロランスにそう励まされていた。
こんなにロランスが励ましてくれるなんて、ボクはロランスを励ますことなんて出来ていないけれど。
「授業の後、少し距離を置いた方がいいかもしれないね」
「で、でも……!」
それでアデリナ様が余計に悩んだら、
「ポラリスさんの方が心配だよ。だから、自分の事を大切にして」
「うん……」
そのまま歩いていたんだけれども、その先でアデリナ様が何か考え事をしていた。
先に教室を出ていったのに、どうしたんだろう。
「ポラリスさん、そっとしておいてあげよう」
「分かった」
確かにロランスの言う通りかもしれない。
だからこそボクは素通りしようとした。
「……ポラリス嬢、少しよろしいかしら」
「うん……」
でもボク達を見つけたのか、アデリナ様は声を掛けてきた。
その場に立ち止まって、アデリナ様の話を聞くことにした。
「あの……今日の事は……忘れなさい」
はっきりと言い放つように、アデリナ様はボクに命じた。
突然だったけれども、何故か拒否反応は起こらなかった。
ただアデリナ様の声は震えていて、足がもつれるような感じだった。
「間違えただけですわ。気にする必要はございませんの」
「いいよ、分かった。無理しないでね」
アデリナ様がそれで落ち着くんだったらそれで良い。
これだけなのかな。
「それで良いですの」
微笑みはしないで、ボクへの会話を終わらせた。まるで成功したかのように。いや、微笑むのは上手くできていないみたい。
だからボク達は、また歩こうとしたんだけれども……
アデリナ様はロランスを見ていた。
「ロランス嬢……少し、よろしいですか?」
今度はロランス?
礼儀正しく話しかけていた、最初は。
アデリナ様ってボクとは会話するけれども、ロランスとはこんな風に話したことあんまり無かったよね。
「……あなた、彼女の隣にいすぎですわ」
そう考えていたけれども、アデリナ様は明らかに喧嘩を売るような言い方をしていた。
「どういうこと?」
ロランスの表情が険しくなる。
明らかに感情が高ぶっていた。
「ああして寄り添うのは……彼女のためにならなくてよ」
ボクのためって言っているけれど……
明らかにロランスは怒っている。
「それ、ポラリスさんのためじゃなくて、自分のためでしょ」
大きな声は出していないけれども、アデリナ様に言い返していた。
こんなロランス見たことない……
「あなたは……分かっていませんわ。彼女は繊細ですのよ」
「ポラリスさんが繊細なのは知っている。だから支えているの」
「ええ、あなたは支えるつもりで近くにいるのでしょうけれど……逆ですわ。彼女の成長を妨げていますの」
アデリナ様はロランスへ言い返せないように言葉を続けていた。
「それに……あまり距離が近いのもどうかと思いますわ。誤解を招きますもの」
「誤解って、誰の? あなた? それとも周りの誰?」
でもロランスは言い返していて、はっきりとロランスの方が筋が通っているように感じる。
「……結局、ポラリスさんじゃなくて“あなた自身のこと”でしょ?」
「……ロランス嬢、余計な励ましは、彼女を甘やかすだけですの」
「甘やかす? それでアデリナ様にとって何が不都合なの? あたしはポラリスさんが好きなの。それが悪いの?」
ロランスはもともと弱い者が理不尽に攻撃されるのを、放っておけないタイプなのは知っていたけれど。
ここまで言い合っているなんて……
「そんなわけでは……」
「落ち着きなさいな。ロランスもここは廊下ですわ、わたくしの取り巻きとしての自覚を持ちなさい」
すると、アデリナ様の声を遮るかのようにゼナイド様がやってきた。
明らかに悪化しようとしている状況を落ち着かせようとしていた。
ゼナイド様のなだめに対して、落ち着いていくロランス。
「申し訳ありません……あたし……」
いつもは冷静だし明るいロランスが、感情を出すなんて。
それほどアデリナ様に余裕がないのかな。
「アデリナ嬢もですわ。感情で自分を壊すのは愚かですわ」
「…………」
言葉を出さないままさっきの事を思い出して、落ち込むアデリナ様。
すると、ゼナイド様は扇子を音を立てて開いた。
「わたくしの取り巻きを乱すなら……覚悟は?」
厳しい目を見せながらアデリナ様を見ている。
ただゼナイド様は怒っているのではなく、ボク達を守るための”線引き”をしているように感じた。
「……わかっていますわ。ですが……わたくしは……」
弁明をしているみたいだけれども、アデリナ様はまるで言葉が見つかっていないみたいだった。
このまま時間が過ぎていくのかな。
「とりあえず、教室へ行きなさいな。授業が始まりますわ」
扇子を閉じて会話を終わらせる。
「はい……申し訳ありませんでしたわ」
アデリナ様はそのまま歩いていった。
「貴女達も行きなさいな」
「うん……ゼナイド様ありがとうございます」
ボク達もワンテンポ遅れて、歩いていく。
「あれ以上崩れたら、本当に危険ね」
ただゼナイド様は、ボクやロランスに聞こえるかどうか分からない呟きをしていた。




