控え室にて
舞踏会が終わって、令嬢達はそれぞれ退場していった。
煌びやかな大広間の喧噪が遠ざかり、ボクも静かな廊下に出たその時だった。
「ポラリス」
背筋が凍り付いた。
振り返ると、ゼナイド様がこちらを見ていた。
扇子を閉じ、カツンと床にハイヒールの先を落とす。その音がやけに響いた。
「……はい、ゼナイド様」
予想はしていたけれども、やっぱり呼び出された。
ボクはごまかし笑いを浮かべて返事をする。けれど心臓の鼓動がバクバクとうるさい。
これから先の事が分かっているから。
「さて、控え室に行きましょう」
「……うん」
微笑みながらボクを控え室へ。
控え室に入ったら、ゼナイド様はゆっくりと歩み寄ってきた。
その瞳は鋭く、でも微笑みを崩していない。
まるで『舞踏会の仮面』をまだ外していないかのように。
ゼナイド様はまるで”舞踏会という舞台の女王”のままだった。
その一歩ごとに、香水と威圧が空気を支配していく。
微笑みは優雅なのに、空気だけが凍る。
「ーー楽しかったかしら?」
「えっ……あ、その……はい。とても、あの……」
声が裏返りそうになる。必死に誤魔化そうとするけれど、ゼナイド様の微笑みは冷たい。
「私が殿下と踊れるよう、あなたも散々『絶対に踊れますよ』なんて言ってくださったわよね」
扇子の先で、軽くボクの胸を突く。
「それなのに……最後に踊ったのは”あなた”。どういうことかしら?」
(ひぃぃ……! これ絶対、逃げ場ないやつ!)
「そ、それは……ボクも驚きでして……! あの、その……殿下が突然……!」
必死に両手を振る。でもゼナイド様は一歩も引かない。
これくらいじゃ納得してくれない。
「突然? そうね、殿下は”突然”あなたを選んだのね」
ゼナイド様は笑う。でも、その声の奥には怒りが滲んでいる。
「でも、それは”理由がある”からよ。殿下があなたに何かを見たから。ーーこれまでアピールしてきた私ではなく」
じりじりと詰め寄られる。
ゼナイド様は出口側に立っていたために退路を塞がれ、ボクは壁際まで追い込まれた。
「……ねえ、ポラリス」
ゼナイド様の声が低く落ちる。
「あなたーーいったい何者?」
ゼナイド様の低い声が、耳元で囁かれる。
至近距離。睫毛まで見えるほどの距離感。綺麗なのに、そう思えない。
壁際まで追い込まれているので、逃げ場はゼロ。
(や、やばい……! 転生者だなんて、絶対に言えない……)
ごくりと喉が鳴る。
ゼナイド様の視線は鋭く、獲物を逃がさない鷹のようだった。
(やばいやばいやばい! ゼナイド様、完全に本気モードだ!)
「ボ、ボクは……ただのポラリス・バルカナバードです……!」
「”ただの”?」
ゼナイド様の目が細くなる。
「ただの取り巻きが、どうして第一王子であるリュカ殿下に選ばれるのかしら。ねえ?」
(そんなのこっちが知りたいよ! ボクって本当は、小学校に通っている男の子だったんだよ!? 言えるわけ無いよ!?)
「あの……そ、それは……えっと……殿下の……ちょっとした気まぐれで……」
「気まぐれ、ですって?」
ゼナイド様はくすっと笑った。その笑みが逆に怖い。
「もしそうなら、殿下の”気まぐれ”を利用して、あなたは一気に上へのし上がれるわね。ねえ、ポラリス?」
「い、いやいや! ボクにそんなつもりは一切……!」
両手でぶんぶん振って必死に否定する。でもゼナイド様はじっとこちらを見据え、扇子の先を顎に当てた。
心臓がドキドキして、頭が真っ白になりそう。
その時ーー
「ーーここにいたのね、ポラリス嬢」
ドアが開くと共に澄んだ声が響いた。
声の方向を見ると、深紅のドレスをまとったアデリナ様が堂々と立っていた。
深紅のドレスの裾が、燭台の光を反射して煌めいている。
まるで夜の中に燃える炎のように。
「ア、アデリナ様……!」
(ちょ、ちょっと待って!? この状況で乱入は一番まずいやつ!!)
「ふふ、あなたね。最後に殿下と踊った”幸運な取り巻き”は」
アデリナ様の笑みは一見優雅。でも目だけが笑っていない。
彼女の乱入で、ゼナイド様はボクから目線をアデリナ様へ。
「……何の御用かしら、アデリナ様。 わたくしはポラリスと”お話”していましたのよ」
ゼナイド様が扇子をパチンと鳴らし、冷ややかに応じる。
追い詰められていたけれども、解放されて少し落ち着く。修羅場なのには変わりないけれど。
「御用? 決まっているでしょう?」
アデリナは真っ直ぐにボクを見据えた。
「ーー王子の心を掴んだのが本当に彼女なのか、確かめに来たのよ」
「っ!」
(ひえぇぇ! ヒロインVS悪役令嬢の修羅場に、なんでボクが巻き込まれるの!? 小学生男子だったボクにこの緊張感は無理!!)
一旦解放されたと思ったら、今度はアデリナ様と共に詰め寄られる。
ゼナイド様は『裏切りを許さない氷の瞳』。
アデリナ様は『王子を渡さない炎の瞳』。
両側からのプレッシャーで、ボクの膝はガクガク震え始めた。
「……ポラリス」
ゼナイド様が囁く。
「私の味方でいるのよ」
「……ポラリス嬢」
アデリナ様も微笑む。
「殿下の選択を無駄にしないでね」
(どっちにも逆らえない! ボク、取り巻きポジションだから争いとか無理だし! そもそも小学生男子の心臓には荷が重すぎるって!」
と、この状況に混乱して、沈黙が重くのしかかる。
息する音さえ許されない空気。
その時、扉の蝶番がきぃ……と軋んだ。
「ーーここにいたのか」
低く落ち着いた声。
振り返ると、そこには第一王子のリュカ殿下が立っていた。
「リュ、リュカ殿下……!」
アデリナ様もゼナイド様も一瞬、動きを止めた。
殿下は二人を一瞥し、まっすぐにボクを見つめた。
「探したよ、ポラリス嬢。君の返事を聞きたくて」
「えっ、えぇぇぇ!?」
(やめてぇぇぇ! 火に油を注ぐセリフはやめてぇぇ!!)
この状況だったらなおさらだって!
案の定、二人の令嬢の表情が固まった。
アデリナ様は真っ赤になって、ゼナイド様は扇子を握りしめる。
「……殿下、そのお言葉はどういう意味でしょうか?」
絞り出すように問いかけるアデリナ様。
一番目に踊った誇りもあるからだろうね。だからお願い、アデリナ様を……
「そのままの意味だ」
でも、リュカ殿下は当然のように答えた。
「舞踏会で選んだのは、一瞬の気まぐれではない」
頼むから冗談であってよ……
それだったら丸く収まるのに……
「っ……!」
ゼナイド様の瞳が怒りで燃え、アデリナ様の瞳は涙で揺らぐ。
そしてーー二人同時に振り返り、ボクを睨んだ。
「……ポラリス」
「……ポラリス嬢」
(ひぃぃぃ!! 二人からの圧が同時に来たぁぁぁ!! 殿下、お願いだから助け船じゃなくて”鎮火”をしてぇぇぇ!!)
でも殿下は涼しい顔でボクの手を取った。
「ポラリス。君の答えを聞かせてほしい」
(答えって何!? 小学生男子に婚約の答えとか無理だからぁぁぁ!!)
「殿下……! 一体何を……!」
アデリナ様の声が震える。
「これは……どういう真似ですの?」
ゼナイド様は扇子を握りしめ、怒りを隠そうともしない。
(ひぃぃぃ……! 二人ともこっち見てる……! ボク、ただ料理を食べてただけなのに、何で公開処刑みたいな状況に!?)
「そんな……そんなはずないわ……!」
こんな光景、二人から見たら地獄でしかない。
今のボクからでも地獄だけれども。
「……ふざけないでくださいませ!」
ゼナイド様は扇子を床に叩きつけ、怒りを隠さなかった。
二人の令嬢の視線が、同時にボクへ突き刺さる。
(うわぁぁぁ!! 二人のヘイトがMAXになってるぅぅぅ! 殿下ぁぁ、お願いだから”鎮火”してよぉぉ!!)
でも、殿下は一歩も引かない。
真っ直ぐにボクを見つめ、優しく言葉を重ねた。
「君が望まぬなら強制はしない。だがーー私は君を選んだ。それだけは事実だ」
殿下の瞳が、一瞬だけ深い夜色に揺れた。
その奥に、ボクの知らない”何か”を見た気がした。
でも、この状況……
(やめてぇぇぇ! それ一番まずいパターン! ボクはただの小学生男子なんだって!)
アデリナ様の涙、ゼナイド様の怒気ーー全てがボクに集中する。
まるで舞踏会が第二幕を迎えたように、修羅場の幕が開いてしまった。
(……お願いだから、夢オチであってほしい……! 明日起きたら、いつもの教室で給食を食べているボクに戻ってて……!)




