第32話 試験本番
試験会場は、学院の大広間で行われることになった。
ここでは学院としての舞踏会が行われる場所であり、今回の実技試験は舞踏会形式だから相応しい場所。
磨かれた床がシャンデリアの光を反射して、まるで金色の湖のように広がっている。
壁には王国の紋章をあしらった布が垂れ、花々の香りが淡く漂っていた。
入り口側に並べられた座席、それぞれの場所に令嬢達が座っていて、ボクが座るのは”模範組”の座席。同じ場所にはアデリナ様も座っている。白いドレスに身を包んで、美しい。
試験が始まるまで、
令嬢達とついになる場所に置かれた座席には審査にあたるハンナ教師やライプツィヒ教授などの教師陣達。そして講師陣の中央にはリュカ殿下が。白い軍装に金糸の肩章。
そして今回の実技試験を彩る、楽器を持った楽団達の姿。
眩しくて、ほんの少しだけ息が詰まる。
(ついに始まるんだ……ボクの稽古の成果が……)
でも、逃げたいとは思わなかった。
心の奥には、静かな灯があったから。
夢で見た光景と同じーーけれど、今日は怖くない。
(羞恥は鏡。鏡は礼法。礼法はボクの芯。もう、怖くない。映るなら、映せばいい)
ロランスが別の席でボクを見て小さく頷く。
ゼナイド様は同じ模範組の席に座っている。
そしてペタル講師は審査席の座って、こちらをじっと見ていた。
合図の鈴が、小さくひと鳴りする。
大広間の空気が、息をひそめた。
楽団員が弓を構え、最初の弦の震えを待っている。
心臓の鼓動さえ、音楽の前奏のように聞こえた。
「では、模範組から試験を開始します」
ボクを含めた模範組は、席を立ち、深く一礼して大広間の中央に出る。
やがて音楽が流れ、試験が始まった。
(ここからだ。ボクだったら出来る)
最初の一歩。
練習の時とは違う、音の無い柔らかな足音。
裾がわずかに揺れ、髪が頬を撫でた。
呼吸を整え、扇子を開くーー風が生まれる。
伏し目がちに、視線を流す。
その一連の動作が、まるで誰かに導かれているようだった。
リュカ殿下の視線を感じた。
恐怖ではなく、確かめるような光。
「……あの夜よりも、強く、眩しい」
その小さな呟きが音楽に溶けていく。
ボクは笑った。
鏡の中の令嬢ではなく、いまここで息をしている”ボク”として。
舞踏は続く。
回転するたびに、ワインレッドのドレスが花のように広がる。
光がその縁を縫い、扇子が小さな風を描く。
恥ずかしさはもう無い。羞恥はボクの味方になった。
(これが、ボク。江坂芯星でも、ポラリス・バルカナバードでもない。いま踊っているこのボクが、本当のボク)
最後の一拍、音楽が静かに終わる。
扇子を閉じて胸に当て、深く礼をする。
長い沈黙のあとーー拍手が響いた。
会場全体が、花が咲くようにざわめいた。
「素晴らしく、心を映した舞だった」
殿下が立ち上がって、短く告げる。
その声は穏やかで、どこか誇らしげだった。
審査席で、ペタル講師が静かに微笑む。
「見事ですわ。風に散らぬ花……」
そしてゼナイド様が近づいた。
微笑みながらボクに話しかける。
「そう。それでいいの。芯を忘れなければ、花は散っても美しいのよ」
このゼナイド様の評価に、少しだけ嬉しく感じた。
ペタル講師は静かに目を細めて、手を叩いた。
「花はようやく、自分で風を選びましたわね。もう、私の支えはいらないでしょう」
その言葉が、音楽の残響よりも温かく響いた。
ふとアデリナ様を見てみると、アデリナ様の瞳が一瞬だけ揺れた。
その金の髪が震える。
「どうして……彼女の方が、こんなにも光を帯びて見えるの……?」
アデリナ様のその呟きは、聞こえるか聞こえないかの小さなもので、音楽の余韻に溶けていった。
「では、次の組の試験を行いますので、席にお戻りください」
ボク達は元の席に戻っていく。
まだまだ試験は続いているから。
席へ戻る途中、すれ違う令嬢達が一瞬だけ目を向けてくる。
敵意でも羨望でもなく、ただ驚きと敬意の混ざったまなざしだった。
その視線を受けても、足取りは揺れなかった。
途中には、ロランスの顔が見えた。
にっこりと笑っていて、口の動きで「やったね」と言っている。
胸が熱くなる。
夢の中で見た光景が、現実と重なった気がした。
違うのは、今のボクがちゃんと笑えていること。
羞恥も、鏡も、光も、すべてが”味方”だった。
扇子を胸に抱き、静かに息を吸い込む。
シャンデリアの光が、きらめきながら頬を照らした。
胸の奥で、ひとつの花がそっと息をした。




