第31話 礼法室での仕上げ
礼法室へ行って、ゼナイド様がやってくるのを待つ。
緊張しているけれども、逃げ出したい気持ちは無かった。
むしろわくわくしているくらいに。
「待たせたわね」
「い、いえ……!」
しばらくして朝ご飯を食べ終えたゼナイド様がやってくる。
準備が出来ている様子で、ボクは背筋を伸ばして返事をした。
「顔がこわばっているわね。鏡を見てみなさい」
礼法室の鏡には、ボクが緊張している表情が映っている。
少しだけ震えもあった。
「い、いえ……大丈夫です。少し緊張しているだけで……」
「緊張は悪ではありませんのよ。大切なのは、それを”制す”こと」
ゼナイド様はゆっくりと歩み寄って、ボクの肩に手を置いた。
その指先は意外なほど温かくて、ボクの頬の緊張を解くみたいだった。
「羞恥を恐れないで、ポラリス。鏡は貴女の敵ではなく、貴女の味方よ。己を映し出すそれを、避けるのではなく見つめなさい。礼法とは、己を律する術にして、己を赦す道でもあるのだから」
ゼナイド様は難しいことを言っているけれども、ボクはすんなり受け入れていた。
「……己を赦す、ですか?」
「そう。恥じる自分を否定するな。それは”未熟”の証ではなく、”成長”の光なの。心を磨き、芯を見つけるとは、己を恥じた日々を受け入れることでもあるわ」
ゼナイド様のその言葉に、ボクは夢で見たゼナイド様の幻影を思い出す。
『芯を持ちなさい』ーーあの声が重なって聞こえた。
その時、ドアが開いて軽やかな靴音と共に一人の女性が入ってくる。
ペタル講師が、いつもの扇子を片手に現れた。
今日の彼女は珍しく真面目な表情で、冗談の一つも言わなかった。
「まぁ、立派になりましたわね。昨日までは、蕾のように揺れていたのに、今日はしっかりと風を受け止めて立っている」
「ペタル講師……」
「昨日までの貴女は花弁。けれど今は芯を持って咲いていますわ。花弁は風に散るもの。でも芯は、嵐の中でも立っていられる。その違いを、今日の舞や礼で示してご覧なさい」
ペタル講師の声は穏やかだったけれども、その眼差しは鋭く、試すようでもあった。
「ありがとうございます……必ず、恥じぬ舞をお見せします」
ボクは扇子を胸に当て、深く礼をする。
ゼナイド様は小さく頷き、扇子の先でボクの額を軽く指した。
「芯を忘れなければ、花は散っても美しいものよ。さてポラリス、貴女が用意したドレスを着付けましょうか」
するとロランスが先日頼んでいたドレスを持ってやってきた。
いつの間にか、ロランスはドレスに身を包んでいて、実技試験の準備を整えていた。
ドレスは淡いワインレッドのボクが選んだもの。
「お願いします……」
あの舞踏会でも、ちょっとはゼナイド様に手伝ってもらっていたけれど。
今回も手伝ってもらうことに。
「さて、これで良いわね」
「ありがとうございます……!」
ボクはドレス姿になっていて、鏡には美しく映っている。
これがボク……って言いたくなるくらいに。
鏡の中のボクは、昨日までの”取り巻きの一人”ではなくなっていた。
恥ずかしさも、逃げたい気持ちも、今はどこか遠い。
代わりに胸の奥で、小さな光が静かに燃えている。
夢で見たあの舞踏会の光景が、心のどこかで重なっていく。
”芯を持ちなさい”ーーゼナイド様の言葉が、再び聞こえた気がした。
「ほんのちょっとだけ、時間がありますから、ちょっとだけ復習しましょうか」
「はい……!」
ペタル講師によって最後の稽古をつけてもらう。
ゼナイド様は実技試験のためドレスに着替えるため、出ていっている。
「視線はこう……そこで扇子を開いて」
「こ、こう……?」
「ええ。表情はにこやかに」
鏡にはボクの顔が映っているけれども、そこまで紅くなっていない。
昨日に比べて、ボクの顔を見ていられた。
ロランスは少し感心した様子で、ボクを見ている。
だからこそかな。
恥ずかしく思っているのも、少し誇らしく。
「ええ。これで大丈夫ですね。お疲れ様でした」
「こちらこそありがとうございました」
という事で、ボクの稽古はこれで終わった。
もう実技試験が残っているだけ。
「さて、そろそろ実技試験の時間ですのでお行きなさい」
「ありがとうございます……!」
「ふふ、今日は扇子を落としたら減点ではなく、”風情”として見逃しますわ」
ペタル講師の軽口に、ボクは小さく笑った。
「笑顔よ、そのまま。その笑みは何よりも美しい飾りですわ」
「……はい!」
ボクは礼法室を出ていって、試験会場に向かう。
礼法室を出ると、廊下はもう人の気配が少なかった。
窓から射す光が床に斜めの線を描き、その先に試験会場の扉が見える。
遠くからは、弦の旋律の音が小さく響いていた。
息を吸い込んで、心を整える。
手の震えはもう、恐れではなかった。
一歩ごとに、靴音が胸の鼓動と重なっていく。
でもーー怖くない。
今はただ、胸の奥の”芯”を感じていた。
「準備できたのですわね」
ドレスに身を包んだゼナイド様と出会った。
「ゼナイド様……! もちろんです……!」
「さあ、行きなさいな。貴女の礼法は、もう”技”ではなく”心”でできているわ」
送り出されて、会場に。
扉の向こうに差し込む光が、まるで舞踏会のシャンデリアのように揺れていた。
ボクはその光の中へ、一歩を踏み出した。




