第21話 仕立て屋にて
「はぁ……疲れた」
稽古の後、ボクは当然だけれども疲れちゃっていた。
床に影が伸びて、夕陽がぼんやり赤く見える。
今日はペタル講師がいなくて良かったんだけれども……頭の上にまだ本の重さが残っている。今日の稽古はただ歩くだけのはずなのに、頭の中まで重くなっていた。
「大丈夫? これから買いに行くんだけれど」
「うん、なんとか……」
でもロランスと一緒に、仕立屋へ行くんだ。ドレスを選ばないと。
だからここでへばっていたらダメだよね……
ボク達は、学院を出て王都へ。
王立ルミナリエ学院のすぐ外、商業区の一角に『ラ・ヴァンデ』という仕立屋があった。
大通りからでも見えるようにガラスの内側で飾られたドレスは、宝石みたいに光って見える。ショーウィンドウの中で、ドレスがまるで”光の滝”みたいに並んでいる。
(わぁ……これ、値段見ただけで気絶しそう……)
店内に入ると、絹の匂いと香水の香りが混ざり合っていた。
上流階級の令嬢達が鏡の前で生地を当てている。
ロランスはこの雰囲気に似合っているけれど、ボクだけが明らかに場違い。
「いらっしゃいませ。ーーまあ、王子殿下の”婚約候補様”ではありませんか」
「えっ!?」
突然、店員の声が響いた。
『婚約候補様』ーーその言葉が響いた瞬間、令嬢達が一斉に動きを止め、他の客も合わせて振り返る。
糸を引くように、ざわ……と視線が集まる。
ボクは心臓が止まりそうになった。
背中が焼けるように熱い。
何でここまで知られているの!?
「ち、違います! 婚約とかじゃなくて、試験用の……!」
しどろもどろに否定していると、ロランスが苦笑しながら間に入った。
「この人、そういうの苦手なんです。だから静かに見せてもらえると助かります」
「かしこまりました」
店員が下がって、ようやく息が出来る。
(もう……ロランスが居なかったら逃げ出してたよ……)
ロランスのおかげで助かった。
下手したらとんでもない空気になっていただろうし……
気を取り直して、様々なドレスを見ていく。
(これは……いいかな?)
鏡の前。
ボクは淡いワインレッドのドレスを手にしていた。
袖口には金糸のレース、胸元には白いリボン。
どこか清楚で、でも少し大人っぽい。
「……どうかな」
鏡に映る自分に問いかける。
けれど、映っているのは”ポラリス・バルカナバード”であって、”江坂芯星”ではない。
(本当に、これがボクなの……)
鏡の前で笑おうとしたけれど、口角が上手く上がらなかった。
反射する光が、まるで知らない誰かの瞳を照らしているみたいだった。
(江坂芯星の時は、鏡の前で変顔して笑えたのに……今は、笑うのも練習しなきゃいけないなんて……)
その違和感が胸の奥に広がっていく。
鏡の向こうのボクが、まるで別人みたいに見えた。
「その色、ポラリスさんに合ってるよ」
「えっ……ほんと?」
「うん。清楚で、でもちゃんと強そう。……なんて言うのかな」
ロランスは少し考えて、柔らかく笑った。
「”あなたらしい”」
そう言われて、胸の奥がふっと温かくなる。
けれど、その”あなたらしい”が、どっちの”ボク”を指しているのか分からない。
江坂芯星としてのボクなのか、それともポラリス・バルカナバードとしてのボクなのか。
(ボクらしい、か……どっちが本当なんだろう)
鏡に映る姿は、ドレスを着た令嬢。
けれど心の中には、まだネクタイを結ぶ練習をしていた小学生の記憶が残っている。
形にならない不安と、少しの誇らしさが胸の中で混ざり合う。
(あの頃のボクが見たら、笑うのかな……”女の子の服、似合ってる”って)
笑おうとしてみた。
でも、上手く笑えなかった。
口角が震えて、鏡の中の自分が少しだけ泣きそうな顔になる。
「……ポラリスさん?」
ロランスがそっと声をかける。
ボクは慌てて首を振った。
「だ、大丈夫。ちょっと眩しかっただけ」
ロランスは何も言わず、そっとボクの背に手を置いた。
その手の温もりが、鏡の奥の涙を拭うみたいに伝わってきた。
「……でもね」
「うん?」
「殿下の前でそのドレスを着たら、誰よりも似合うと思うよ」
「……そんなことないって」
「あるよ。ポラリスさんが選んでいるんだから」
確かにそうだよね。色々と見ていった中で、これを手にしていたから。
どちらかだとしたって、それは間違っていないから。
「だよね……!」
その言葉に、思わず視線を下げる。
鏡の中の自分が、ほんの少しだけ笑った気がした。
(……あ、笑えた)
さっきまで見知らぬ令嬢にしか見えなかった、鏡の中の自分が、少しだけ”ボク”に戻った気がした。
けれどその笑顔の奥には、まだどこかに江坂芯星の影が揺れていた。




