頭の上の重さ
翌日の午前。
学院中が、いつもよりもざわついていた。
というのも、来週の実技試験の形式が正式に発表されたから。
『礼法・舞踏形式 舞踏会における一連の所作を再現せよ』
教室に貼り出された通達を見て、令嬢達は一斉に息を呑んだ。
つまり、舞踏会と同じように、ドレスを着て試験を受けるということ。
「来週の実技試験、礼法・舞踏形式ですって!」
「まあ……まるで本物の舞踏会じゃない!」
「殿下も見学に来られるって噂よ!」
通達の前ではざわざわとしている。
(ぶ、舞踏形式って……要するに、またの地獄を再現するって事!?)
ボクはその紙を見て固まった。
隣でゼナイド様が小さく笑っている。
「ふふ、ようやく本番ね。貴女の”成長”を試す時が来たのよ」
「ゼ、ゼナイド様……ま、まだ成長途中なんですけれど……」
「そうね。でも、少しでも美しく見せなさい。試験は印象も採点対象なのよ。貴女はまだまだ稽古は始まったばかりなの」
ゼナイド様にそう言われた瞬間、嫌な予感がした。
「まさか……ドレスも、ですか?」
「当然ですわ。学院指定のものでは野暮ですもの。貴女が用意なさい。色も形も自由。ーーただし、”自分に似合うもの”を選ぶこと。……貴女の中の光が、一番映えるものを」
その一言が、ずしりと響いた。
似合う、か……
(どうしよう……”自分に似合うドレス”なんて、考えたこともないよ……)
あの舞踏会では、前からあったものを着ていただけ。
自分に似合っているかどうかは、分からなかった。
(簡単に見えて、難しすぎるよ……)
頭の中には、転生前の記憶が浮かんでくる。
ランドセルと運動靴。
鏡の前でパパの真似みたくネクタイを結ぶ練習をしていた、小学生の自分。
ーードレスなんて、マンガの中の存在だった。
そんな思考をしていると、後ろから声がかかる。
「ねえ、ポラリスさん。一緒に見に行かない?」
振り返ると、ロランスがいた。
昨日と同じように、少しだけ眉を下げて笑っている。
「ほら、どうせ悩むでしょ? 稽古の後、仕立屋に行こうよ」
「う、うん……行く!」
助け船がきた。
ロランスが居てくれるなら、たぶん大丈夫。
とはいっても、稽古は外せないよね、ゼナイド様の命令だから。
ドレスを選ぶのだって、命令なんだけれども。
放課後、ボクは空き教室へ向かう。ロランスも見学でついてきてくれた。
今日はここに行くように言われたのだから。
「待っていたわ」
「よ、よろしくお願いします」
行ってみると、ゼナイド様が既に稽古の準備をしていた。持っているのは、分厚い本。
それを読むんじゃないよね?
「ゼナイド様、ペタル講師は?」
「あの方はお忙しいですわ。毎日は来られないので、来られない時はわたくしが直々に教えますわよ」
「そ、そうなんだ……よろしくお願いします」
(ゼナイド様が教えるなんて……)
毎日じゃないのは安心するけれど、ゼナイド様が教えるのは逆に緊張しっぱなしだよ。
変なことにならないかって。
「さて早速……立ち方や歩き方の稽古を始めますわ」
するとゼナイド様は持っていた本を渡してきた。
分厚いからそこそこの重さがある。
「これをどうするの?」
「頭に乗せなさい、それを落とさないように」
「えっ……これを……」
重いし、こんなのすぐに落ちるって。
それでもゼナイド様に従って頭に乗せた。
「わっ!?」
「緊張の分だけ、本は重く感じるものよ」
すぐに頭がぐらぐらとして、落としてしまう。
ぜんぜん頭の上に乗せたままが出来ない。
ロランスはにっこりとしている。笑ってはいないのかな。
見守っているって信じたい。昨日は笑いっぱなしだったけれど。
「ポラリス、重心をしっかりしないと安定して乗せられないわ」
「うん……」
「姿勢が悪ければ、重心が悪くなって落ちてしまう」
ゼナイド様の指導に従って、姿勢を直していく。
少しずつぐらぐらとはしなくなって、頭の上で乗せたままになれた。
「これで第一段階は良いですわね。次は本を乗せたまま歩きなさい」
「あ、歩くの……?」
「そうですわ」
ここまでで何とかなったのに、これから歩くなんて……
絶対頭に落とすって!
「足の裏で床を感じなさい。重心は背骨の真下よ」
本を乗せたまま歩くボク。
当然と思ったけれども……
「わっ!?」
「落ち着きなさい、ポラリス。貴女の身体は嘘つけないの」
最初の三歩で落とした。すぐに頭の上に置いた本が揺れて、落ちてしまう。
バランスが上手く出来ていないのかな。
「もう一度」
それでも数歩で落としてしまったけれど、五回目でやっと十歩進むことができた。
ロランスが少し口元を隠しながら震えている。
(やっぱり笑っているじゃん!)
何度もチャレンジしているから、少しずつ進む歩数が増えていく。
やがて教室の端から端まで本を落とさずに歩くことが出来た。
「もう少し背を高く。胸を張って。……そう、いまの姿勢、悪くないわ」
珍しく、ゼナイド様の口調が柔らかだった。
横でロランスは拍手する。
「やったね、落とさなかった!」
教室の窓から差し込む光が、まるで祝福のように机を照らしていた。
その瞬間、少しだけ、自分が”令嬢の一人”になれた気がした。
「奇跡だよ……」
床の冷たさよりも、ほんの少しの達成感の方が勝っていた。
「今日の動きを忘れずにしなさい」
「はい……」
(……ドレス、どうしようかな)
頭の上にある本の重さが、そのまま悩みの重さみたいに感じられた。




