舞踏会の朝
舞踏会当日の朝、学院の空は雲一つ無く晴れていた。
王宮行きの馬車が次々と門を出ていく。窓越しに見えた金色の装飾が、今日という日の特別さを物語っていた。
「準備はできたかしら?」
ゼナイド様の声がして、ボクは慌てて姿勢を正す。
「は、はい! あの、リボンはこれでいいですか?」
「まあまあ。……もう少し左。貴女、鏡を見なさい。曲がっているわ」
ゼナイド様が軽くため息をつきながら、器用にボクの襟元を直してくれた。
それだけの仕草で、まるで本物の姉のように見えた。けれど、その瞳の奥には冷たい光がある。
「舞踏会は戦場よ、ポラリス。足の運びひとつ、視線ひとつで”評価”が決まる」
「わ、分かってます……」
「貴女はわたくしの取り巻き。下手な真似をして、わたくしの名に傷をつけないで」
「は、はいっ」
言われるたびに胃がきゅっと縮む。
怖い。でも、嫌いじゃない。
そんなゼナイド様に憧れながら、ボクは小さく息を吸った。
「ま、心配はしていませんわ。あなたは……妙に運だけはあるもの」
ロランスが笑いながら寄ってくる。
「ゼナイド様の言葉、つまり”失敗しなければ合格”ってことだよ。ね、ポラリス」
「そ、そうだね……まあ、とりあえず、料理をこぼさないように頑張る」
「えっ、そこ!? もっと別の目標を持とうよ!」
ロランスが肩を落とし、ゼナイド様がくすりと笑う。
そんな空気の中、学院の鐘が鳴った。出発の合図。
馬車に乗り込むと、ふわりと香水の香りが漂う。
窓の外では、学院の白い尖塔が小さくなっていく。
ゼナイド様は黙ったまま外を眺め、ロランスは緊張を紛らわせるように雑談をしていた。
「ねえ、ポラリス。王宮に行くのって初めて?」
「うん……」
「そっか。じゃあ楽しみだね」
「う~ん……分からないや」
馬車の揺れに合わせてドレスの裾がふわりと広がる。
やがて、窓の向こうに白亜の塔が見えてくる。
王宮だ。
「さあ、着いたわよ」
ゼナイド様が立ち上がる。その瞬間、車内の空気がぴんと張り詰めた。
扉が開くと、無数のシャンデリアの光が外まで漏れている。
煌めく大理石の階段、音楽のように響く人々のざわめき。
胸が高鳴る。
(……これが、王宮の舞踏会なんだ)
緊張と期待とが胸の中で渦を巻きながら、ボクは深呼吸をして足を踏み入れる。
ボクは震える手でドレスの裾を持ち上げ、一歩ずつ赤い絨毯を踏みしめていった。
この夜が、何も知らなかったボクの運命を変えるなんて、まだ想像もしていなかった。




