第17話 夕暮れに溶ける詩
王立ルミナリエ学院では、”貴族の教養”として詩作や朗読の授業ーー文芸学がある。
テーマは『春の光』。
けれど教室の空気はどちらかというと、光よりも冷たい。
令嬢達が順に立ち上がり、花の名や月の滴を詠んでいく。
どれも繊細で、美しくてーーどこか同じに聞こえる。
(みんな似たような言葉、使ってるなぁ)
ボクの番になった。
立ち上がって、用紙を握る手がちょっと震える。
「『街の屋根を越えてくる朝の匂い』」
そこまで言ったところで、微妙な沈黙が落ちた。
ちら、と周囲を見れば、数人の令嬢が顔を見合わせている。
教授が軽く咳払いをして言った。
「語彙は面白いが、異国風すぎるね。少し”現実的”すぎるかな」
「す、すみません……」
言われたから気づいた。
パンの焼ける匂いとか、石畳の光とか……
それ、たぶん江坂芯星としての記憶なんだと思う。
(やっちゃった……また”庶民的”って思われたかも)
令嬢達の笑い声がほんのり聞こえて、背中が熱くなった。
それでも、笑うしかなかった。
笑っていないと、ここでは呼吸ができない気がして。
文芸学の授業が終わった後、外に出ると陽が傾きかけていた。
石畳がオレンジ色に染まっていて、風が少し冷たい。
正直、もうへとへと。あの空気に耐えるのは体力を奪う。
王国史よりも令嬢が多いあの授業、詩よりも毒の方が多かった気がする。ゼナイド様も別の場所に座っていたから。
ロランスも他の令嬢の空気を飲まれて、離れていたし。
へとへとになりながら、寄宿舎に帰ろうとした時ーー
「ポラリスさん、こっち」
振り返ると、ロランスが手を振っていた。
相変わらず表情は落ち着いているけれど、少しだけ眉が下がっている。
たぶん、気づいているんだ。ボクが疲れているって。
「授業、どうだった?」
「難しかった……先生から、詩の内容が『語彙は面白いが、異国風すぎる』って言われたんだよね。前からそうだけれども……」
もしかしたら江坂芯星としての知識とかが出ちゃっているのかな。
「ふふ、ポラリスさんらしいね」
二人で学院の裏庭の小径を歩いていく。
夕暮れの光が木々の間からこぼれて、石壁に淡い模様を描いている。
こういう静かな時間が、一番落ち着く。
「ねえ、最近……ポラリスさんへの噂を聞くんだ」
ロランスが小さく言った。
「殿下とボクの事?」
「……うん」
やっぱり。
学院ではずっと、ひそひそ話が絶えない。
ボクが殿下と結婚するかもしれないとか、殿下が気まぐれで選んだとか。
面白がるように話す人もいれば、嫉妬で噛みつく人も居る。
舞踏会で殿下と踊ってから、ボクは完全な噂の人物となっていた。
「気にしてないよ、そんなの」
笑ってみせたけれど、たぶん顔が引きつっている。
ロランスはそんなボクを横目に見て、少しだけ苦笑いをした。
「無理しなくて良いから。肩、ずっと上がってるよ。気にしてない人の歩き方じゃないもん」
「……え、そんなに分かる?」
「分かるよ。あたし、ずっと一緒にいるんだから」
その言葉に、胸の奥が少し温かくなった。
ロランスって、不器用だけど優しい。
ゼナイド様の取り巻きの一人だけど、あの人とは違う優しさを持っている。
「でも、ポラリスさんは強いと思う」
「え?」
「普通、あんな視線を浴び続けたら潰れちゃうよ。なのに笑って授業を受けて、ちゃんと答えてたじゃん」
確かに笑っていたけれども、引きつっていたと思う。
「いや……笑うしかないんだよ。怖くて」
「……うん、分かる」
ロランスは足を止めて、石畳の上に伸びる影を見つめた。
風が吹いて、彼女の淡い栗色の髪がふわりと揺れる。
「でもね、ポラリスさん。あたし、ちょっと嬉しかったんだ」
「嬉しい?」
「ポラリスさんが殿下と踊った時、”ああ、この子が目立つ時が来たんだ”って思った」
意外な言葉だった。
てっきり怒っていると思っていたから。
「ありがとう……」
「まあ、ゼナイド様が聞いたら怒るだろうけどね」
「うわ、それは勘弁して……!」
二人で小さく笑い合う。
その瞬間だけは、ほんの少しだけかつての”普通の放課後”に戻れた気がした。
寄宿舎の灯りが見え始めた頃、ロランスが言った。
「そういえば、ポラリスさん。明日、扇子の稽古があるでしょ? 見学しててあげようか?」
「えっ、いいの?」
「うん。あの講師、ちょっと癖があるから」
「……癖?」
ロランスが気になることを言った。
「実際に見た方が早いよ」
意味深にロランスは微笑んで、廊下の曲がり角で手を振った。
「また明日ね」
「うん、ありがとう」
その背中を見送りながら、ボクは胸の奥で小さく呟いた。
西の空がゆっくりと紫に染まっていく。
ロランスと別れて寄宿舎へ戻った。
扉を開けると、食堂からスープの匂いが漂ってきた。
「はぁ……美味しい」
寄宿舎の夕ご飯。
今日はポトフと黒パン、焼きリンゴ。
ボクは周囲が空いている状況だったとしても、そのまま食べていた。
というか、食べることが出来ていた。
昨日は食欲が落ちていたのに、今日はそのまま食欲があった。
もしかすると、ほんの少しだけ慣れたのかもしれない。
「柔らかくて、味が染みている……」
ポトフに入っている牛肉を食べながら思った。
この素朴さが良いんだよね。
周囲に誰も居ないし、ひそひそと噂をしていったって、この瞬間だけは気にならなかった。ロランスが居なくたって……
「今日の料理はどう?」
と思っていたら、ロランスがやってきた。
食べ終わっている様子で、気になったのかもしれない。
「お肉がいつもより食べやすいよ。ありがとう」
「ふふ、良かった」
(ロランスが居てくれるなら、少しは頑張れるかも……でも、”稽古”ってどんな稽古なんだろう)
夜になった空は、星が輝いている。
明日はまた新しい一日ーーそして、きっと、波乱の一日になる。




