第101話 温室実習1
翌朝。
目を覚ましたとき、天気は良くて青空が見えていた。
(今日は、温室)
ベッドから出る。昨日より少し早い動きをしながら。
身体は軽かった。
制服を着て、袖を整える。
鏡を見てみた。
いつものボク。
(泥はつかないけど、水はかかるかも)
そんな事を考える。
珍しいけれど。
まあ、ずっと前の記憶で思いっきり夏休みにお出かけして、汚れまくった事もあったっけ。
それに泥だらけになった事もあるし。
ボクは部屋を出ていって廊下へ。
寄宿舎は、もう動いていた。
令嬢達が廊下を歩いている。
話し声は控えめだけど。
「おはよう」
「ごきげんよう」
すれ違った令嬢と挨拶だけ。
音楽会の話は、もう出ない。
(切り替わってる)
食堂に降りてきた。
結構、賑わっている。
令嬢達の話は、温室に関すること。
楽しみだったり、汚れないか心配していたり。
ボクはパンとスープを食べていく。
今日は少しだけ早く。
「ポラリスさん」
ロランスがやってきた。
隣の席に座った。
「おはよう」
「今日、温室だね」
「うん」
それだけ。
でも、ボクもロランスも分かっている。
(静かだけど、動く日)
食べ終わったら、食堂を出ていって学院へ。
学院へ行ってから、温室へ。
外の空気は少しだけ涼しい。
朝の匂い。
温室が見える。
硝子張り。
中が、少し白く曇っている。
「暑そうだね」
初夏だから、より暑く感じるかもしれない。
前世の夏があんなに暑かったのだから。
「でも中は、別の空気だよ」
扉を開ける。
ふわっと、湿気。
(あ、違う)
土の匂い。
葉の匂い。
水の匂い。
マリア・ソアレス先生が前に立つ。
「本日は水やりと、成長確認が中心です」
説明は短かった。
道具が配られる。
じょうろと手袋。
ボクは手袋をはめて、じょうろを手にする。
(触る日だ)
小学校の時でも、こんなのはあったっけ。
野菜を育てるってやつ。
ゴーヤとかプチトマトとか。
(うん、楽しみ)
ロランスと並ぶ。
同じ列。
「ね」
早速、話しかけてきた。
「なに?」
「昨日と、全然違うね」
「うん」
足元を見てみた。
土は少し湿っている。
じょうろを傾けると、水が出てきた。
水が落ちて、葉に当たる。
葉に当たるその音が気になった。
(音が柔らかいね)
一昨日の演奏とは違う。
小さくて、弱い音。
でも、何となく似ていた。
規則的だけど、壊れない。
(あっ)
ボクの隣にいたのは、アデリナ様だった。
ブランカ様も一緒にいる。
そしてゼナイド様は少し離れた列に。
ゼナイド様の動きは正確で、水量も無駄が無かった。
(綺麗だね)
評価じゃない。
ただ、見てしまう。
でも見られている気がして、すぐ視線を戻した。
「ポラリスさん」
ロランスの声。
「葉がちょっと丸まってる」
「本当だ」
水を少し掛ける。
土が色を変えた。
(ちゃんと応えてる)
植物は、分かりやすい。
裏切らない。
温室の中、会話は少ない。
でも、空気は重くない。
(音楽が無くても、大丈夫)
手を動かす。
水を与える。
成長を見る。
それだけ。
「きゃっ!」
「アデリナ様……!」
バランスを崩して、アデリナ様が転びそうになっていた。
ボクはとっさに支えて、じょうろも持つ。
「大丈夫?」
「ええ、ありがとうございますわ。ポラリス嬢」
触れた腕が、少しだけ強張っていた。
何とか表情を取り繕いながら、応えるアデリナ様。
どうやら汚れていないみたいだね。
「うん、良かったよ」
「助かりましたわ」
ブランカ様も微笑みを見せていた。
やがて鐘が鳴る前にソアレス先生が言った。
「本日はここまで」
じょうろを置いて、手袋を外した。
少しだけ、手が温かかった。
「ね」
はにかみながらロランスが話しかける。
「疲れてない?」
「大丈夫だよ」
「そっか」
うん、それで十分。
温室を出る。
外の空気が、ちょっとだけひんやりとした感じがする。
(戻ってきた)
でも、中に残したものもある気がした。
それが何かは、まだ分からない。




