第100話 温室の前日
午後の授業は何事もなく進んでいった。
「では明日、温室での実習がありますので」
教授からそう言われたくらい。
そうだったね。
温室実習が行われるんだった。
やがて鐘が鳴って、放課後になった。
一斉に立ち上がる気配。
でも、騒がしくはならない。
(今日は、帰るだけ)
立ち上がる。
椅子の音が軽い。
「バルカナバード嬢、最近は教室が落ち着いていますね」
「そうだね」
令嬢からそう言われた。
「レーゲンスブルク嬢も貴女の隣で、より成績を伸ばそうと真剣ですからね」
「ボクも頑張らないとってね」
「ええ。期待していますわ、婚約候補みたいですから」
棘はそんなにない。
本当に期待していると思う。
それから廊下に出る。
人はいるけれども、騒がしい感じじゃない。
笑い声も、遠い。
窓から入る光が、少し橙色。
昼と夜の間。
(もう一日、終わったんだ)
「ポラリスさん、一緒に帰ろう」
少し遅れて、ロランスがやってきた。
「そうだね」
ロランスは、少し後ろ。
ボクは少しだけスピードを落として、並んで歩く。
「ね」
「なに?」
「特に、何も無いね」
「うん」
それで終わり。それ以上、言葉はいらなかった。
でもボクはそれで良かった。
階段を降りる。
誰かが駆け下りていく音。
注意する上級生の声。
(いつもの)
中庭を通る。
風が通る。
木の葉が揺れる。
温室の前を通り過ぎる。
硝子越しに、緑が見えた。
湿った匂いが、少しだけ残っている。
(明日は、触る日)
そう、明日は温室での実習。
でも今日は、入らない。
水やりも、収穫もない。
(今日は、見送る日)
寄宿舎の方向へ。
歩く速さは、同じ。
「ね」
ロランスがまた話しかけた。
「どうしたの?」
「今日ね」
そう言いかけていたけれど。
「やっぱり、また今度でいい」
ロランスは笑っていた。
でも、その笑い方は、さっきと少し違った。
どうしたんだろう。
分からないけれど、このタイミングではその会話は進まなかった。
「夕食、どうするの?」
その代わりに夕ご飯の事。
「普通でいい」
「だよね」
それだけで決まる。
寄宿舎の扉。
開く。
中は少し涼しい。
(静かだね)
部屋へ向かう廊下。
足音が二つ。
扉の前で止まる。
「じゃ、また後で」
「うん」
別れる。
扉を閉める。
部屋に入る。
鞄を置く。
制服のまま、椅子に座る。
ただ何もしないで。
少ししてから食堂へ行って、夕ご飯を。
「ここ、いい?」
「うん」
ロランスが隣に座った。
ボクは頷くだけ。
そのままロランスも食べていく。
「ね」
食べ進めてから、ロランスが話しかけた。
「なに?」
「あたしの演奏、もしも上手くなくなって良いかな?」
そっか。
ゼナイド様が言っていた事だよね。
「大丈夫。ボクだって、得意じゃないから」
「ありがとう」
ロランスは微笑みながら、また食べていった。
ボクもそんなに会話は起こらなくて、食べ終わっちゃった。
(何も起きなかった)
でも、悪くない。
今日は、何も足さなくて良い日だった。




