狂気の博打
シーン1:エンシェントドラゴン討伐という狂気の計画
俺たちの最後の仕事は、俺たちがもはや三流の冒険者に成り下がったことを、無慈悲に証明して終わった。依頼主の商人から投げつけられた、はした金。それは、俺たちのプライドを完全に粉砕するには、十分すぎるほどの侮辱だった。
あれから、どれくらいの時が経ったのか。
俺たちは、これまでの安宿よりもさらに薄汚い、もはや人の住処とは呼べないような、最底辺の宿屋の一室にいた。床は常に湿り、壁からはカビの匂いが漂ってくる。そんな部屋の隅で、俺は、水で薄められた安物のエールを、ただ虚ろな目で呷っていた。焦点の合わない瞳に映るのは、染みのついた天井だけ。思考は、とうの昔に停止していた。
その、静寂を破ったのは、俺自身の乾いた笑い声だった。
「――は、ははは……あったぞ」
セリーナとガストンが、訝しげな目でこちらを見る。だが、俺は気にしない。俺は、この絶望の底で、たった一つの、あまりにも輝かしい希望の光を見つけてしまったのだから。
「なあ、知っているか? この国には、伝説がある。古の竜、『エンシェントドラゴン』。その竜を討伐した者には、失われた全ての栄光と、それ以上の富と名声が与えられる、という伝説がな」
俺は、数日前に酒場の隅で、酔っぱらいが語っていたおとぎ話を、まるで見てきたかのように語り始めた。その目は、もはや虚ろではなかった。狂気と妄信に爛々と輝き、この薄汚い部屋には、あまりにも不釣り合いな熱を帯びていた。
「栄光? 富? 名声? 全部だ。全部、取り戻せるんだよ。たった一体、竜を殺すだけでな」
そして、俺はゆっくりと立ち上がり、飲み干したエールの瓶を床に叩きつけた。ガシャン、と耳障りな音が響く。
「決めたぞ。俺たちは、エンシェントドラゴンを討伐する」
それは、起死回生の一手などではない。正気とは思えない、ただの狂気。破滅への、片道切符だった。
俺の言葉に、セリーナが弾かれたように顔を上げた。その目には、侮蔑ではなく、正気を失った者を見るかのような、純粋な恐怖の色が浮かんでいた。
「……正気なの、バルトロ? エンシェントドラゴンですって? あれはおとぎ話の中の存在よ! それに、もし実在したとしても、今の私たちに何ができるっていうの!?」
「そうだ、リーダー。それは、あまりにも無謀だ」
これまで黙っていたガストンも、静かだが、強い意志のこもった声で俺を諌めようとする。
「今の俺たちの装備と連携では、ワイバーンにすら苦戦した。エンシェントドラゴンなど、自殺しに行くようなものだ」
だが、俺の耳に、彼らの正論など届いてはいなかった。俺の頭の中は、竜を屠り、再び英雄として喝采を浴びる、甘美な妄想で満たされていたのだから。
「黙れ。お前たちには、俺の考えが理解できないのか」
俺は、心底軽蔑したような目で、かつての仲間たちを見下した。そして、彼らを縛り付けるための、最も卑劣で、最も効果的な、悪魔の言葉を紡ぎ出す。
「……まあ、いいだろう。俺に賛同できないというなら、無理強いはしない。だが、その代わり、俺はギルドに行って全てを話すつもりだ。――アルトを追放しようと最初に言い出したのは、ここにいる二人だった、と。俺は最後まで反対したのだが、と」
それは、あまりにも醜い、脅迫であり、そして真っ赤な嘘だった。
「なっ……! あなた、自分が何を言っているのか分かっているの!?」
セリーナが絶叫する。ガストンも、怒りに顔を歪ませ、巨大な拳を握りしめていた。だが、彼らは何もできない。アルトの追放に、最終的に賛同してしまったのは、紛れもない事実なのだから。
抵抗する術を失ったセリーナは、その場に崩れ落ち、嗚咽を漏らし始めた。ガストンは、壁を強く殴りつけ、その拳から血を流している。
彼らは、理解したのだ。目の前にいる男は、もはや、かつてのリーダーではない。ただの、狂気に支配された化け物なのだと。そして、自分たちは、その化け物が運転する、破滅行きの馬車から、もう降りることはできないのだと。
深い、深い絶望が、薄汚い宿屋の一室を、支配していた。
シーン2:破滅への行軍
狂気に支配された俺に率いられ、俺たちはなけなしの金で装備を整えることになった。向かった先は、王都の表通りではなく、衛兵の目も届かない、裏路地の奥深くにある、盗品まがいの武具を扱う胡散臭い店だった。鉄の錆びた匂いと、得体の知れない油の匂いが、その薄暗い店には満ちていた。
「へへ……旦那方、何かお探しで?」
店の奥から現れた、痩せた狐のような目つきの主人が、卑屈な笑みを浮かべて俺たちを迎える。俺は、その男に、エンシェントドラゴン討伐という、あまりにも不釣り合いな目的を、狂気的な高揚感と共に告げた。
「竜を狩る、最高の得物が欲しい」
主人は一瞬だけきょとんとした顔をしたが、すぐに俺の目の異常さに気づいたのだろう。彼は、にやりと口の端を歪めると、店の奥から一本の長剣を持ってきた。それは、刃こぼれし、柄にはひびの入った、誰が見ても粗悪品と分かる代物だった。
だが、俺の目には、それが伝説の聖剣にでも見えていた。
「ははは、素晴らしい! これで十分だ!」
俺は、その粗悪な剣を手に取り、異常な高揚感と共に、高らかに笑った。もはや、武器の本当の価値など、俺の目には入っていなかったのだ。竜を倒せば、こんなものは全て過去になる。そう、信じて疑わなかった。
その、あまりにも異様な光景を、セリーナはただ、能面のような無表情で眺めているだけだった。彼女の瞳は、もはや何の光も映してはいない。全てを諦め、ただこれから訪れるであろう死を、静かに待っているかのようだった。
ガストンは、店の隅に立てかけられていた、一枚の粗末な円盾を、無言で手に取った。店で一番安く、そして一番脆そうな、ただの鉄の板。かつて、仲間を守るために、王国最強と謳われた彼の鉄壁は、もはやどこにもなかった。守るべき仲間も、プライドも失った彼にとって、盾は、もはやただの鉄屑でしかなかった。
最低限の、いや、死ぬための準備としか呼べないような買い物を終え、俺たちは誰に見送られるでもなく、王都の門をくぐった。まるで、俺たちの未来を暗示するかのように、空からは、氷のように冷たい雨が、ぽつり、ぽつりと降り始めていた。
三人の間には、会話はない。互いへの不信感と、どうしようもない絶望だけが、冷たい雨と共に、俺たちの心を濡らしていく。その足取りは、栄光を目指す冒険者のものではない。ただ、死地へと向かう罪人のように、絶望的に、そしてどうしようもなく、重かった。