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最後の仕事

シーン1:不本意な護衛依頼


セリーナの「パーティーを抜ける」という言葉は、単なる脅しではなかった。翌朝、俺が目を覚ました時には、彼女はすでに、なけなしの荷物を一つの鞄にまとめ、部屋の扉に手をかけていた。その横顔は、決意に満ちていた。このまま、本当に出ていくつもりなのだ。


その光景を前に、俺の喉から、自分でも驚くほど惨めな声が漏れた。


「……待て」


プライドなど、もはやどこにも残っていなかった。SランクからBランクへの降格。地に落ちた評判。そして、無一文という現実。その全てが、俺のちっぽけな自尊心を、完全に粉砕していた。俺はただ、このパーティーが、この『竜の牙』という名前が、ここで完全に消滅してしまうことだけを恐れていた。


俺の引き留める声に、セリーナはゆっくりと振り返る。その目に宿っていたのは、軽蔑と、そして隠そうともしない憎悪の色だった。


「待って、どうするの? あなたに、私を引き留める権利なんて、もうないはずよ」


「……権利の話をしているんじゃない。現実の話だ」


俺は、謝罪の言葉を口にすることはできなかった。代わりに、俺たちの関係をつなぎとめる、最後の、そして唯一の腐った鎖を提示する。


「このまま出て行っても、お互い、明日のパンを買う金すらないだろう。……最後の仕事だ。一つだけ、日銭を稼ぐための仕事に付き合え。それで得た金を山分けして、その後は好きにすればいい」


それは、もはや仲間への言葉ではなかった。ただの、ビジネスライクな、あまりにも冷たい取引の提案だった。


セリーナは、しばらくの間、憎悪に満ちた目で俺を睨みつけていた。だが、やがて、彼女もまた、無一文という現実の前には抗えないことを悟ったのだろう。ふっ、と自嘲するような笑みを浮かべると、彼女は鞄を床に置いた。


「……いいわ。ただし、本当に、これで最後よ」


その声には、もはや何の感情もこもっていなかった。


俺たちは、三度ギルドへと足を運んだ。もはや、他の冒険者からの嘲笑の視線は、気にもならなかった。いや、気にするだけのプライドが、俺たちにはもう残っていなかったのだ。俺は、Bランクの依頼が貼り出されている掲示板へと、一直線に向かった。そこに書かれていたのは、ドラゴン退治でも、迷宮攻略でもない。「隣町までの商人護衛」。あまりにも地味で、退屈で、そして今の俺たちにとっては、この上なく屈辱的な仕事だった。


依頼主として紹介されたのは、腹の出た、いにも金に汚そうな目をした商人だった。彼は、俺たち三人の姿を、値踏みするように上から下まで眺めると、卑しい笑みを浮かべて言った。


「おお、これはこれは。君たちが、あの噂の『元』Sランク様ご一行か。いやはや、Bランクの護衛依頼に、君たちのような大物が来てくれるとは。実に頼もしい限りだ」


その言葉の端々には、隠そうともしない、あからさまな皮肉が込められていた。俺は、拳を握りしめたが、何も言い返せない。金をくれるのは、目の前のこの男なのだ。俺たちの生殺与奪は、今や、こんな三流商人の手に握られていた。


三人の間には、もはや一切の会話はなかった。依頼の打ち合わせも、必要最低限の言葉を交わすだけ。冷え切った空気の中、俺たちは商人の荷馬車の前後に付き、王都の門をくぐった。


『竜の牙』の、最後の仕事が、こうして始まった。


シーン2:三流への転落


護衛の仕事は、退屈そのものだった。荷馬車は街道をゆっくりと進み、俺たちはただ、その前後を歩くだけ。会話はない。あるのは、馬車のきしむ音と、気まずい沈黙だけだ。俺の頭の中は、こんな仕事で日銭を稼がなければならないという屈辱と、先の見えない未来への不安でいっぱいだった。だが、同時に、こんな仕事で手こずるはずがないという、根拠のない油断があったのも、また事実だった。


その油断が、命取りとなった。


街道が森に差し掛かった、まさにその時だった。道の両脇の茂みから、十数人の男たちが、錆びついた剣や斧を手に、雄叫びを上げて飛び出してきた。盗賊団だ。一人一人の装備は貧弱で、お世辞にも手練れには見えない。


だが、彼らの動きは、驚くほど統率が取れていた。半数が荷馬車を狙い、残りの半数が、俺たち三人を分断するように、巧みに立ち塞がる。強くはない。だが、明確な目的を持って、組織として動いている。


「――ちっ、雑魚が!」


俺は、これまでの鬱憤を晴らす好機とばかりに、功を焦って一番近くにいた盗賊に斬りかかった。Sランクの実力を見せつけて、一瞬で蹴散らしてくれる。そのはずだった。


だが、俺が一人で突撃したことで、俺たちの陣形は、いとも簡単に崩壊した。


「バルトロ、待ちなさい!」


背後でセリーナの焦った声が聞こえる。乱戦の中、俺とガストンが敵と密着しているせいで、彼女は得意の範囲魔法を撃つことができないのだ。アルトがいれば、こんな時、的確な指示で敵を一点に誘導し、完璧な魔法の的を作り出してくれていた。だが、今の俺たちに、そんな連携は望むべくもなかった。『竜の牙』は、もはやパーティーとして、全く機能していなかった。


その、決定的な隙を、盗賊の一人が見逃すはずもなかった。


「――そらよっ!」


甲高い声と共に、身軽な盗賊の一人が、ガストンの懐へと飛び込んできた。狙いは、これまでの戦いで無数の傷が刻まれた、彼の盾。その中央を走る、大きな亀裂。ガストンは、いつものように盾を構えてその一撃を受け止めようとする。だが、


バキッ、という乾いた破壊音と共に、ガストンの盾は、その亀裂から、まるで熟れた果物のように無残に割れた。砕けた盾の破片の向こうから伸びてきた刃が、ガストンの屈強な腕を、深く切り裂く。


「ぐ、おおおおっ……!?」


パーティーの守りの要が、ついに崩れた。ガストンは、信じられないものを見る目で、砕け散った己の盾と、血の流れる腕を交互に見つめている。その目に浮かんでいたのは、もはや戦意ではなく、ただの深い絶望だった。


防御が崩れたその一瞬の隙を、他の盗賊たちが見逃すはずもなかった。「今だ、荷を奪え!」という声と共に、数人が一斉に商人の荷馬車へと殺到する。俺もセリーナも、目の前の敵に手一杯で、それを止めることができない。


盗賊たちは、荷馬車から手頃な大きさの麻袋を二つ、三つと奪い取ると、目的を達したとばかりに、蜘蛛の子を散らすように森の奥へと消えていった。


後に残されたのは、腕を抑えてうなだれるガストンと、呆然と立ち尽くす俺とセリーナ、そして、荷馬車の陰から、怒りに顔を真っ赤にした商人が姿を現した。


「この役立たずどもが! 元Sランクが聞いて呆れるわ! ただの盗賊相手に、このザマは何だ!」


商人の罵倒が、森に響き渡る。


「契約違反だ! 荷を奪われた分の損害を差し引かせてもらう! これが、貴様ら三流への報酬だ!」


そう言って、商人が俺たちの足元に投げつけたのは、約束の半額にも満たない、はした金だった。


俺たちは、その屈辱的な報酬を、ただ黙って見つめることしかできなかった。俺たちが、もはや「三流」の冒険者に成り下がったことが、この上なく惨めな形で、決定的に証明された瞬間だった。

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