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剥奪

シーン1:Bランクへの降格


ドラゴンゾンビから命からがら逃げ帰ったあの日から、俺たちの時間は止まっていた。宿屋の部屋に引きこもり、ただ無為に時を過ごす。会話はない。あるのは、互いへの無言の非難と、未来への漠然とした絶望だけだった。そんな生ける屍のような俺たちの元に、ギルドからの召喚状が届いたのは、逃走から三日後のことだった。ギルドマスター直々の、呼び出しだった。その羊皮紙に記された冷たい文字は、まるで断頭台への招待状のようだった。


ギルドの奥にある、滅多に通されることのないギルドマスターの執務室。そこは、壁一面に並べられた古書と、磨き上げられた黒檀の調度品が、荘厳でありながら、どこか墓標のようにも見える、冷たい空気に満ちた部屋だった。窓から差し込む光さえも、ここでは埃を照らし出すだけの、無機質なものに感じられた。


俺たち三人は、まるで罪人のように、その巨大な机の前に立たされる。ギルドマスターは、俺たちの顔を一瞥すると、怒鳴りつけるでもなく、ただ淡々と、手元の一枚の羊皮紙に目を落とした。その沈黙が、処刑前の静けさのように、俺たちの首をじわじわと締め付けていく。


「……まず、先日の『月の雫』採取依頼。君たちは、依頼品とは似ても似つかぬ猛毒の薬草を納品した。これにより、依頼主であるグランデル様の名誉と研究に、多-なる損害を与えた」


その事務的な口調が、逆に俺たちの罪を際立たせる。それは、もはや感情を挟む価値もない、ただの記録された「汚点」として扱われている証拠だった。


「次に、三日前のアンデッド討伐依頼。君たちは、依頼の対象であるドラゴンゾンビと交戦後、これを放棄。敵前逃亡した。Sランクパーティーにあるまじき、いや、冒険者としてあるまじき、恥ずべき行為だ」


一つ、また一つと、俺たちの罪状が、冷たい声で読み上げられていく。それは、もはや説教ではなかった。ただの、事実確認。そして、その後に続くであろう、判決を待つだけの時間だった。俺は、ただ拳を握りしめることしかできなかった。


やがて、ギルドマスターは羊皮紙から顔を上げ、俺たちの目を一人ずつ、射抜くように見つめた。その目には、怒りも、失望も、もはやなかった。ただ、壊れてしまった道具を見るかのような、冷え切った光があるだけだった。かつては、俺たちに期待と信頼の眼差しを向けてくれていた、その同じ目が、今は何も映してはいなかった。


「結論を言う。『竜の牙』。君たちに、もはやSランクを名乗る資格はない」


その言葉は、静かだった。だが、どんな怒声よりも、俺たちの心に深く、そして重く突き刺さった。頭の中で、何かが崩れ落ちる音がした。


「本日をもって、君たちをBランクへと降格する。決定だ」


その瞬間、俺の中で何かが切れた。


「――ふざけるなッ!」


俺は、怒りのままに机を叩きつけていた。


「Bランクだと!? 俺たちが、あの『竜の牙』が、なぜだ! これまでどれだけの功績を上げてきたと思っている! 王国を救ったあのドラゴン退治も、迷宮の主を討伐したのも、全て俺たちだぞ!」


そうだ、俺たちは英雄だったはずだ。こんな、たった数回の失敗で、全てが無に帰してたまるものか。俺の必死の反論に、しかし、ギルドマスターの表情は一切変わらなかった。


彼は、ただ静かに、そして冷たく言い放った。


「過去の栄光は、現在の失態を償ってはくれない。バルトロ君、君たちがかつて英雄であったことは、ギルドが一番よく知っている。だが、今の君たちは、ただの依頼もまともにこなせない、三流の冒険者だ。違うかね?」


その、あまりにも純粋な、そして否定しようのない正論。その言葉と、失望しきったギルドマスターの目の前に、俺は何も言い返せなかった。喉の奥からこみ上げてきたのは、怒りではなく、ただ熱い、屈辱の塊だった。


俺の隣で、セリーナが「……ぁ」と、小さく息を漏らした。見れば、彼女は顔面蒼白のまま、その場に崩れ落ちそうになるのを、かろうじて机に手をついて支えている。彼女のプライドは、この公式な処罰によって、完全に、そして修復不可能なまでに打ち砕かれたのだ。


ガストンは、ただ黙って、その宣告を聞いていた。彼の巨体は、今はただ、力なく萎んでいるように見える。その目に浮かんでいたのは、怒りでも、悲しみでもない。「当然の報いだ」とでも言うような、静かな諦めだけだった。


俺たちの唯一にして最大のアイデンティティだった、『Sランク』という黄金の肩書が、公に、そして無慈悲に剥奪された瞬間だった。


シーン2:崩壊の足音


Bランクへの降格。それは、ただの名誉の失墜ではなかった。ギルドからのペナルティ、そしてグランデル様への賠償金。それらが、俺たちのなけなしの財産から、無慈悲に差し引かれていく。ギルドを出る頃には、俺たちの共有財産が入った革袋は、絶望的なほど軽くなっていた。ついに、俺たちは無一文になったのだ。


そして、その現実は、すぐに牙を剥いてきた。


俺たちが拠点としていた高級宿屋『白亜の鷲亭』に戻ると、ロビーで支配人が、腕を組んで俺たちを待ち構えていた。かつては、俺たちに媚びへつらうような笑みを浮かべていたその男の顔には今、あからさまな軽蔑の色が浮かんでいる。


「『竜の牙』の皆様。いえ……元・Sランクの皆様でしたかな?」


その嫌味な口調に、俺は奥歯を噛み締める。支配人は、他の客たちが興味深そうにこちらを見ているのも気にせず、冷たく言い放った。


「あなた方の降格の話は、ギルドから伺っております。つきましては、これまで滞納されていた宿代を、今すぐお支払いいただきたい。それができないのであれば、今すぐ、この宿から出て行っていただきたい」


それは、あまりにも無慈悲な、公開処刑だった。プライドも、そして金も失った俺たちに、反論する術など、もはやなかった。


俺たちは、他の客の嘲笑と好奇の視線を背中に浴びながら、惨めに荷物をまとめた。そして、向かった先は、王都の裏路地にある、低ランクの冒険者が寝泊まりするような、不潔で薄暗い安宿だった。カビと埃の匂いが充満し、床は常に湿っている。そんな部屋が、地に落ちた俺たちの、新しい城だった。


その夜、夕食として出されたのは、硬くなった黒パンと、得体の知れない野菜が浮いた、ぬるいスープだけだった。その、もはや食事とすら呼べない代物を前に、ついにセリーナの我慢が限界を超えた。


カシャン、と音を立てて、彼女が匙を皿に叩きつける。


「――もう、嫌」


その声は、震えていた。


「こんなみじめな思いをするために、あなたについてきたんじゃないわ! Sランクの栄光はどこへ行ったの!? 美しいドレスも、美味しい食事も、人々の羨望の眼差しも、全部、全部!」


溜まりに溜まった不満が、堰を切ったように彼女の口から溢れ出す。その矛先は、もちろん、リーダーである俺に向けられていた。


「もう嫌……もう、たくさんよ!」


衝動的に、セリーナの口から、俺たちの関係の終わりを決定づける、雷鳴のような言葉が飛び出した。


「私は、このパーティーを抜けるわ!」


その言葉に、俺は怒りよりも先に、純粋な戸惑いを覚えていた。抜ける? この俺のパーティーを? あり得ない。そんなこと、考えたこともなかった。だが、セリーナの目は本気だった。憎悪と、そして絶望に濡れた、決別の目をしていた。


部屋の隅で、ガストンが、初めてその目に明確な動揺の色を浮かべていた。彼が、俺たちの仲間割れを見て、これほどまでに動揺した姿を、俺は初めて見た。


『竜の牙』が、内側から完全に崩壊し始める、その決定的な足音が、不潔な安宿に、確かに響いていた。

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