表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/11

悪夢の再来

シーン1:ドラゴンゾンビ討伐での弱点露呈


金は、人のプライドをいとも簡単にへし折る。あれほど「Sランクの仕事ではない」と息巻いていた俺たちが、結局、日銭を稼ぐために選んだのは、ギルドの依頼掲示板の隅に追いやられていた、薄汚れたアンデッド討伐の依頼だった。


「ちっ……腐った死体相手に、俺の剣を振るえというのか」


目的地の古い地下墳墓へ向かう道中、俺は何度もそう吐き捨てていた。セリーナも不潔な仕事への嫌悪感を隠そうともせず、ガストンはただ黙って俺たちの後ろを歩いている。だが、どんなに虚勢を張ろうと、金がなければ明日の宿代すら払えない。その現実が、俺たちの足を重く前に進ませていた。


やがてたどり着いた地下墳墓は、苔むした石と、枯れた蔦に覆われた、陰鬱な場所だった。アルトがいれば、彼は必ず入り口で何らかの浄化の儀式を行っていただろう。だが、今の俺たちにそんな知識はない。「腐った死体が放つ『腐敗毒』の本当の恐ろしさ」など、知る由もなかったのだ。俺たちは、あまりにも無防備なまま、その悪夢の入り口をくぐった。


最初のゾンビの群れと遭遇したのは、地下に降りてすぐのことだった。ゆっくりとした動き、唸り声。俺は、これまでの鬱憤を晴らすかのように、先頭の一体に斬りかかった。


「――終わりだ、雑魚が!」


俺の剣は、腐った肉をバターのように切り裂く。だが、その瞬間、ゾンビの体から、緑色がかった粘液が飛沫となって飛び散り、俺の自慢の愛剣と、磨き上げたばかりの鎧に付着した。


ジュッ、という微かな音と共に、鋼が腐食する酸っぱい臭いが鼻をつく。見れば、粘液が付着した箇所が、まるで強酸を浴びたかのように黒く変色し、僅かに泡立っていた。それだけではない。傷口からでもないのに、体の芯から力がじわじわと抜けていくような、未知の倦怠感が全身を襲う。


「な……んだ、これは……!?」


初めて味わう、未知の感覚。力が、技が、経験が、何の意味もなさないまま、ただ内側から蝕まれていく。その得体の知れない恐怖に、俺は初めて、本物の焦りを覚えていた。


さらに奥へと進むと、通路の床に、明らかに不自然な敷石が敷かれているのが見えた。古典的な、圧力式の罠だ。アルトがいれば、その構造を一瞬で見抜き、適切な道具で完璧に解除していただろう。だが、俺にあるのは、根拠のない自信だけだった。


「ふん、子供騙しの罠だ。俺が破壊してやる」


俺は、セリーナの制止も聞かず、罠の中心を力任せに剣で叩き割った。だが、それが最悪の選択だった。敷石が砕けた瞬間、床の四方から、濃密な緑色の腐敗ガスが、凄まじい勢いで噴出したのだ。


「きゃあああっ!」


セリーナの悲鳴が響く。避けようもなく、俺たちは毒の霧をまともに浴びてしまった。視界は遮られ、呼吸をするたびに、肺が焼けるような痛みが走る。セリーナの自慢だった純白のローブは、ガスの影響で見るも無残にボロボロになり、所々が焼け焦げたように溶け落ちていた。彼女は、その惨状にパニックを起こし、ただ震えることしかできなかった。


その、混乱の最中だった。ガスの向こうから現れた一体のゾンビが、よろめきながらガストンに殴りかかった。普段の彼なら、たやすく弾き返せる、何気ない一撃。だが、腐敗ガスによって極限まで劣化が進んでいた彼の盾は、そのあまりにも弱い一撃を受け、メシリ、と嫌な音を立てて、中央から大きな亀裂が入ってしまったのだ。


最大の拠り所であった鉄壁の盾を失い、ガストンは初めて、その目に明確な絶望の色を浮かべていた。それは、Sランクパーティー『竜の牙』の守りが、完全に崩壊した瞬間だった。


シーン2:プライドが恐怖に屈した、屈辱的な逃走


地下墳墓の最奥、そこは広大な空間になっていた。そして、その中央に、奴はいた。これまでに出会ったゾンビとは比較にならない、巨大な竜の骸。その眼窩からは、憎悪に満ちた青白い鬼火が揺らめき、全身からは、これまでとは比較にならないほど濃密な腐敗毒のオーラが、陽炎のように立ち上っていた。この地の主、ドラゴンゾンビ。その圧倒的な存在感を前に、俺たちは完全に気圧され、その場に縫い付けられたかのように動けなかった。


「……ひっ」


セリーナの喉から、引きつったような悲鳴が漏れる。腐敗毒でボロボロになった俺たちの体は、奴が放つ死のオーラを浴びるだけで、鉛のように重くなっていく。


だが、ここで引くわけにはいかない。Sランクリーダーとしての、最後のプライドが、俺の足を無理やり前に動かした。


「う、おおおおおっ!」


虚勢を張って、斬りかかる。だが、腐敗毒に蝕まれた体は、驚くほど鈍重だった。渾身の一撃は、ドラゴンゾンビの剥き出しの肋骨に、カキン、と虚しい音を立てて弾かれた。まともな一撃すら、与えられない。その絶望的な事実が、俺の心に冷たい楔を打ち込んだ。


――死ぬ。


初めて、その言葉が、具体的な現実として頭をよぎった。これまで、どんな強敵を前にしても感じたことのなかった、絶対的な死の予感。それは、甘美なプライドなど一瞬で吹き飛ばすほど、強烈で、原始的な恐怖だった。


「……っ!」


もう、Sランクリーダーとしての威厳も、仲間からの信頼も、どうでもよかった。ただ、生きたい。この、腐った死の匂いが充満する暗闇から、一刻も早く逃げ出したい。その本能的な欲求が、俺の全てを支配した。


俺は、屈辱と恐怖に顔を歪ませながら、震える声で、冒険者として、いや、一人の男として、最も恥ずべき言葉を絞り出した。


「――に、逃げ……撤退、するッ!」


その屈辱に満ちた言葉は、まるで号砲だった。今まで恐怖で震えることしかできなかったセリーナが、弾かれたように顔を上げる。その目には、もはや戦意などひとかけらも残っていなかった。彼女は、俺の言葉を合図に、ボロボロになったローブの裾がもつれるのも構わず、我先にと入り口に向かって駆け出した。


ガストンは、ただ呆然と、中央に亀裂の入った盾を見つめていた。だが、俺の言葉を聞くと、彼はゆっくりと、その盾から手を離した。ゴトリ、と重い音を立てて、彼の魂とも言える鉄壁の盾が、汚れた床に転がる。彼は、冒険者としての自分を、その場所に捨てたのだ。そして、ただの男として、無言でセリーナの後に続いた。


グオオオオオッ!


背後で、ドラゴンゾンビの勝利を確信したかのような咆哮が響き渡る。それが、俺の最後の理性を断ち切った。俺は、もはや仲間を顧みることなく、ただ一心不乱に、光のある地上へと向かって逃げ出した。


依頼放棄。敵前逃亡。それは、Sランクパーティー『竜の牙』のプライドが、死への恐怖の前に、完全に、そして無様に屈した瞬間だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ