獣化なんてイヤッ!1
私の家系は「体の特定の部位」を「他人に触られる」と「動物に変身」してしまう。なんでも、親が言うにはご先祖様が妖怪を退治した際に呪いを受けたとか。でも、家族のみんなはそんな大昔のことなんてすっかり忘れて、生まれ持った獣化というこの特異体質を恨むどころか楽しそうに日々活用している。それは私以外みんなの獣化部位が服の中に隠れているからだ。例えば、弟はおへそ、お母さんは背中の中央、お姉ちゃんは左脇。お父さんは獣化体質のお母さんと結婚しただけで、獣化しない普通の人。私はお父さんが羨ましい。普通がよかった。だって、私の獣化部位を触られないようにすると、たちまち病人か怪しい人になってしまう。そう、私の獣化部位は「唇」だ。お父さんは獣化するお母さんをよく受け入れたと思う。私は他人の前で獣化することが怖い。どんな偏見の目で見られることか……考えたくもない。マンガやアニメのようにそうやすやすと受け入れてもらえるほど世の中の人々は甘くないのだ。かつて魔女狩りの時代があったように。
この不幸過ぎる獣化部位のおかげで、私は毎日、緊張の連続だ。人が近寄って来る度に口を噤んで、唇を口の中に押し込まなければならない。友人達にこの行為は既にバレているが、これは癖ということにしている。獣化のことは家族以外の誰にも言っていない。親友にも、先生にも、彼氏にも……。
彼氏。そう、私にも最近ようやく彼氏ができた。今まで恋人というものに憧れてきたけど、自分の体質の事を考えると、いつもどんな反応されるのかが怖くて、好きな人ができても告白なんてできなかった。でも、最近できた彼氏――勇治は私に告白してくれた。実は高校入学してから気になっていたのだと。本当かどうかはわからない。けど、私を好きと言ってくれたことが嬉しくて、私は即OKを出した。
あれから三カ月。私と勇治はケンカすることもなく、うまく付き合っていると思う。ただ、そろそろ恋人の特権(?)らしいこともしてみたい。そう、例えばキスとか……。今までのデートの中で、何回か彼がキスをしようと私に顔を近付けてきたことがあった。でも、私は獣化するのが怖くていつも顔を背けたり、口を手で覆ったりして避けてきた。本当はしたいのに。だから、今日は思い切ってこの体質の事を打ち明けようと思う。今日なら大丈夫な気がした。だって聖なるクリスマスだから。
勇治とは夕方からデートすることになっている。クリスマス用の特設会場が設けられている、町のイルミネーションを見に行くのだ。勇治がコスプレ好きだという情報を友人達から仕入れた私は、思い切ってサンタのコスプレ衣装を買った。結構な値段だった……でも、これは彼の心を掴むためだ。
人目をできるだけ気にしないようにして、恥ずかしさを抑え、私は集合場所で先に勇治を待った。
「えーと……千寿?」
集合場所に来た勇治は戸惑い気味な笑みを浮かべていた。やってしまった!!!
「三十分待ってて」
「え?」
「私、着替えてくる」
私はもう泣きそうだった。バカだ。いきなりコスプレしてデートに来る奴なんてあるか!
「いい、いいよ、そのままで」
走り去ろうとする私の手を勇治は掴む。
「いや、イキナリ過ぎてびっくりしたけど、に、似合ってるよ」
「本……当……?」
私はまた違う意味で泣きそうになった。勇治は私の手を掴んだまま自分の近くに私を寄せ、顔を近づけ――私は思いっきりくしゃみをする振りをした。
「ぶぇっくしょん」
「…………」
「立ち止まっていたら寒いから、その……行こう」
「う、うん……」
ごめんなさい、ごめんなさい。私はひたすら心の中で謝り続けた。
特設会場はカップルと家族連れが多かった。今まで何回か友達と見に来たけど、ずっとここに来るカップルに憧れていた。今、その夢がやっと叶っている。
「キレイだね」
「うん」
夜に映える鮮やかな光。きっと夜の星々にも引けを取らないはずだ。
私の気分は最高潮になっていた。彼氏と二人で同じ世界を共有している。
私が横を向いた時、勇治と目が合った。勇治が顔を近付けてくる。私は――。
その時、パーンとタイミング良く打ち上げ花火が上がった。私はくるりと音がした方を振り返った。フィナーレだ。この花火が終わると、特設会場のイルミネーションの電気が消える。ちょっとホッとした。彼はキスを迫るけど、私はまだ打ち明ける勇気を持てていなかった。
私達はイルミネーションが消えても、他の何組かのカップル達と同じように、特設会場内のベンチに座っていた。
「ねぇ、俺のこと嫌い?」
「え? なんで?」
「だって、俺がキスしようとするの、逃げてない?」
「そ、そんなことないよ」
「それじゃあ、キスしようよ」
「……うん。いいよ」
もう断れなかった。断ったらたぶん、私の恋は終わる。
勇治は私の目をまっすぐ見ていた。私は恥ずかしくなり、目を瞑った。もう何も見えない。何も知らない。
「あ……」
彼の唇が私の唇に触れた。その瞬間、私の体が著しく変化していく。体中から白い獣毛が勢いよく伸びていく。耳が強く上方に引っ張られて伸びてゆく。手足の指が太くなり、爪が突出する。お尻の上にコブができて、丸いしっぽになる。おっぱいの下に小さなおっぱいがいくつもできてくる。鼻先が上唇とくっついて前方に少し突き出る。そして、その両側にヒゲが伸びる――この感覚は一度体験したことがある。私はウサギになろうとしているのだ。
「ぁぅ……」
我慢していても少し声が漏れてしまう。体の変化に感じてしまう。熱い。とろけてしまいそうだ。
勇治は熱烈なキスをする。顔が獣毛に覆われても気付かないくらい。私は彼に従うしかない。嬉しかった。このままウサギになんかなりたくない、なりたくない、なりたくない。獣化なんてイヤだ!
私は必死になって縮もうとする体を拒んだ。突然キスが終わり、勇治が目を開けた時に目の前にウサギがいたらどう思うだろう。怖くて怖くて仕方なかった。
しかし、私の思いが天に通じたのか、私は縮まなかった。人のままでいられた。よかった……。
長いキスが終わった後、そっと顔を離し、お互いに照れた。
その時、イルミネーション撤収用のトラックが通り、私に光を当てた。光に照らされ、闇の中に浮かび上がる私の姿を見た勇治は急に顔を強張らせた。
「お、おい……」
「え?」
勇治は震える人指し指で、私を指す。どうしたのだろうと近付くと、勇治は叫び声を上げた。
「く、来るなぁぁぁぁぁー!」
勇治はそのまま私のことを振り返ることなく、去っていった。
私は茫然とした。最初、彼がどうしたのかわからなかった。私はケータイの光を自分に当て、手鏡で自分の姿を見た。
「そっ……か……」
鏡に映った私は人ではなかった。私がウサギになりたくないという思いが、人とウサギの中間の姿をとらせたのだった。人と獣の中間……私はウサギの獣人になっていた。獣人になれるのは知っていた。でも、私は今日が初めてだった。初めて獣人になれた日、私の家では盛大にお祝いをする。私に勇気が無いせいで、体質を打ち明ける前に恋は終わってしまった。これから家に帰って、二回目のクリスマスパーティーをしてもらおう。