(六) 出発
学びの過程を終えた僕に、ケイシはやっと、チームの他のメンバーを紹介してくれた。
「私はゼノン。」
「私はユールトと言います。よろしく。」
ゼノンは少しぶっきら棒だけど、二人ともいい人そうだ。
どちらも見慣れない格好をしていて、いつの時代の人だろうか、というような出で立ちだ。
異国人なのだろうか。
しかし、言葉は通じるようだ。
「ルカと言います。よろしくお願いします。」
だがよかった。
みんながみんな自己紹介をしないわけじゃないんだ。
名前がわかると安心する。
「名はそんなに重要か?」
僕の不安を感じ取ったのか、ケイシが質問をする。
「え、まあそうですね。だって名前がないとどう呼んでいいかわからないし。」
「名を呼ばなくてもわかるさ。」
「でも…」
「名前の後に来るものはなんだ? 生まれた国?家?信仰?時代? それらはその時々で変わるものだ。名はその者の存在を証明するものにはならない。」
「ではなにで証明されるのです?」
「存在の仕方だよ。君の在り方が君を証明する。」
「でも、名前がなければ何かと不便では?」
「ずいぶん名前というものに愛着があるようだね。」
これは愛着と言うのだろうか。
「君は誰だ?」
「ルカです。」
僕は反射的に答える。
「ルカという役柄の人物は既に死んだ。」
「でもほら、ルカです。」
僕は自分の体を見て確認した。
いつもの僕だ。
僕の体になじんだ服に、見慣れた腕のやけど跡、汚れたくつ。
いつも通りの僕。
「地上に降りると、どうも個を主張したがる。器に入っているとやはりそう⋯」
ケイシはゴモゴモと独り言のように呟いている。
「ルカの人生で、特に幸福を感じた出来事を思い出してみてくれ。」
「どうしてですか?」
「証明するためだよ。」
どうやって証明をするのだろう。
僕はその方法が気になり、素直に言うことを聞いた。
幸福だった頃か…
何だったろう。
鍛冶屋の仕事を一人で任された時か。
領主のカラフさんにご馳走してもらった極上の肉を口に入れた瞬間か。
懐いていた猫を自分の寝床に隠し、腕に抱いて眠った日もあったな。
猫…
そうだ。
しまい込んでいた記憶を掘り起こす。
終わらない悲しみから解放されたくて、あの時の僕は必死で忘れさった。
目を閉じ、幸せだった日の事を思い描く。
僕が六つの頃だった⋯
「目を開けろ。」
大きな声に驚きすぎて、声も出せずにケイシを見る。
「君は誰だ?」
その質問にやっとのことで口を開いた。
「なんですか。今せっかく思い出していたのに。」
ケイシは僕の言葉を無視して、もう一度同じ質問をする。
「君は誰だ?」
「ルカですよ。」
強い口調で答える。
わかりきっていることを聞くからだ。
「自分を見てみろ。」
え…
なんだ?
手が小さい?
それに、傷や火傷の跡がなく肌が固くない。
よく見ると、服や靴も違う。
いや、見覚えがある。
これは昔来ていた服だ。
僕の、あの日にも来ていた服だ。
「君は誰だ?」
「⋯僕はルカです。」
「そうだ。君は今、六才のルカだ。」
信じられない。
どうしてこんなことに?
僕は文字通り頭を抱えるように、自分の髪の毛をワサワサと掻く。
「なんですかこれは。」
「君は創造した。私たちは創造することができる。違う、世界は全て創造で出来ている。」
いや僕は創造などなにも。
しかし⋯
もう一度自分の掌を見た。
これは本当だ。
目に見えてわかる真実だ。
ならば
「僕は鳥になれますか?」
その質問に、ケイシは満面の笑みを向ける。
「なれるとも。」
そう言い終わらないうちに、ケイシの姿は眩しい光の球体となった。
そこからゆっくりと内臓や骨格、肉が付き、皮と羽毛が生えたかと思うと、大きな翼を広げて勢いよく飛び立つ。
燃えるように光る美しい鳥は、僕の周りをグルグルと飛び回り、お前も来いと誘っているようだ。
目の前で起こる奇跡に興奮し、目を閉じ自分が鳥になる様子をイメージする。
― どうだ?変わったか?
薄目を開け体を見るが、僕はルカのままだった。
しかも、死ぬ前の成長した自分に戻っている。
「君にはまだ難しいか。」
やっぱりなと言うような風で、鳥姿のケイシは呟いた。
「なぜでしょう。さっきは上手くいったのに。」
「信仰の問題だろう。」
「神を信じ切れていないと、そういう事ですよね…」
「いや、自分が鳥になれるということを、疑いなく信じ切れていないということだ。『在り方』で存在することが確立できていない。」
僕はもう一度、掌を見る。
すると、見る見るうちに傷や火傷が消え、小さな手に変わった。
「しかし君は、幸福だった時の在り方を再現できるようだ。」
僕が真にありのままで存在できるようになれば、六才の僕以外にも、なんにでもなれるんだ。
それは素晴らしい事だ。
考えるとワクワクする。
「ありのままを知るための簡単な方法を教えてやろう。現実という現象が自分になにを問うているのかを考えるんだ。名指しされたからって自分に問われているとは限らないし、他人事に見えて自分に問われていないわけではない。」
簡単な方法だって?
「僕には少し難しいです。」
「いや、シンプルだよ。私には君の考えの方が複雑さをかいていると感じる。判断をせずにシンプルに見つめるだけでいいんだ。」
わかるようで理解できない。
ここに来てからこんなことばかりだ。
当たり前をことごとく覆される。
「個でいることは、あり方を見えにくくしてしまう。他と個を区別することで安心するみたいだけど、それは安心ではない。幻想に焦点をそらしているだけに過ぎない。真の安らぎはそのように不確かなものではない。」
⋯少しだけ、わかった気がする。
この体の不確かさをたった今実感している。
自分とは何なのか。
見えている物、自分だと思っていた物は不確かだ。
意識次第で変化する。
では確かなものとはなんだ?
意識の方か?
自分という存在を、揺るぎないものとして確証出来れば⋯
うーん
わかった所で実際に出来るかどうかは別問題だ。
信じ切ることの難しさはよく知っている。
いくら外観を繕おうと、心の内はごまかせない。
信仰心が試された時はもちろん、小さな欠けを見つけたくらいでも簡単に崩れるんだ。
不確かさのない安らぎはどんなものなのだろう。
「個であろうとすることの執着を手放せば、安らぎが訪れる。」
ケイシはその安らぎを知っているんだよな。
だからこんなにも美しく存在しているのだろう。
ケイシはすでに『個』ではないんだ。
いや待て
「あなたは自分をケイシと名乗っていたじゃないですか。」
名をどうこうと僕に言っておきながら、自分だって名乗っているじゃないか。
「ああ。君が知りたいって言うから、印象に残っていた名前を教えたんだ。でもいいんだ。君が思うまま好きなように呼んでくれ。それらに固執している君を非難しているんじゃない、ルカ。それが今の君のあるがままなんだからね。」
あれ?
なにか引っかかる⋯
「僕、名前を知りたいってあなたに言いました?」
「そう思っただろ?」
「えっ?」
思ったって?
僕は言葉の意味を飲み込もうと必死に思考を回した。
「あれ?知っていただろ?」
僕は大きく首を横に振る。
「そんなに恐れることはない。君もすぐに慣れるさ。個ではなく、あり方でいるならエネルギーの流れを感じられる。誰が自分に語りかけているかはすぐにわかる。簡単にコミュニケーションが取れるんだ。」
この人は何を言っているんだ。
とんでもない事だ。
ケイシが言うことが事実なら、僕のこの思考は全部聞かれているという事だ。
「まあ、そうだね。でも問題ないだろ? 君の考えはとても新鮮で懐かしい。君の心配事は何も問題ない。私たちはチームだ。君への信頼はなにがあっても崩れることはない。」
そんな事言われたって、すぐに受け入れられるわけがない。
僕はこの間死んだばかりなんだ。
色々なことが急すぎる。
「大丈夫だよルカ。信頼が無くなることはない。君に期待することもない。君はただ、そのままの君でいればいいんだ。深くゆっくりと呼吸してご覧。」
僕は言われるまま深く息を吸った。
そして息を全て吐き切ると、ゴタゴタとしていた悩みが不思議と真っ白に透きとおった。
「そうだよ、それが安らぎだ。」
なんだろうこの感覚は。
これが安らぎ?
期待されることも見放されることもない。
ケイシは僕の目をまっすぐに見てそう言った。
その瞳は曇りというものが一切ない。
穏やかなぬくもりに満ちた光のようだ。
こんなにはっきりと言われたことはなかった。
両親もおじさんも僕を心から愛してくれていたと思う。
だけど、ここまで心が静かなのは初めてだろう。
ケイシの言葉は、僕が自分自身にもそう思っていいと、期待も失望もせずありたいままでいることを許していいと思わせた。
「その通りだ。わかってきたようだね。」
真の安らぎを感じ暖かいもので満たされると、目の前にいる美しい鳥に触れたいと思った。
鳥の頬に手を伸ばし触れると、なんとフワフワと柔らかいことか。
だがその瞬間に心地の良い感触は消え、最初に会った時の人間のような姿に戻った。
僕はそれに驚いてすぐに手を引っ込める。
ケイシは僕の行動を全く気に止めず話続ける。
「君は君がやりたいと感じることだけをする。気が変わってもそれでいい。好きな通りに出来る。だから気負うな。この瞬間に感じていない不安は存在しない。君はリリィの守り手にピッタリだ。よろしくルカ、人間過ぎる守護神。」
そうだ、僕は守護者で守り手だ。
僕が僕のままでいいなら簡単だ。
心を尽くし彼女を守る。
僕らはそのためのチームだ。
「では行こう、地上の世界へ。」
〇ルカ
♫ Aimer‐ 白色蜉蝣
※楽曲から影響を受け、登場人物の心境を書いています。
なお、歌詞の解釈については、私個人の捉え方であり、物語と曲の関係性はありません。