(五) 帰還
「やあ、おかえりなさい。十九年間、ご苦労様でした。」
教会の扉をくぐったのと同時にねぎらいの声をかけられ、僕をたたえる拍手の音がまわりに木霊する。
当たりを見渡すと真っ白の空間に突然十字架が現れ、光が差し込むステンドグラスが周りを囲んでいく。
たちまちに美しい世界は完成され、僕は圧倒された。
視線を落とすと、白い布をまとった細く背の高い男がこちらを見ている。
「あの…」
「君が行きたがっていたから。」
「え?」
「大聖堂に行きたがっていただろう? 確かにこれは美しい。」
その人は周りをゆっくりと眺めながら一回転した。
その姿に思わず見とれてしまう。
「君はもう肉体を持つ人間としてあの星には生まれない。」
「え?」
彼の言葉に背筋が凍る。
「僕は死んだんですよね?」
「そうだね。」
「では僕は…」
息をこらして返ってくる言葉を期待した。
「ここは君を裁く場ではないよ。」
なんだ。
「そうですか。」
ひとまず安堵し胸をなでおろす。
「君はこれからは光者として生きる。神の仲間入りだね。」
「光?神?いや、神になんてなれるわけがない。僕なんてイエス様にも到底及ばない。」
この人は何を言っているんだ。
的外れが過ぎる。
「当たり前だよ。君はイエスではないし、魂も離れてる。だけど、もし神の名が重荷であれば守護者なら?」
「守護?」
「名前は重要じゃない。君は魂の守り手となり、縁ある人の傍に付くことになる。」
僕はおかしくなったのだろうか。
もしや死んだのではなく、また夢を見ているのか?
「わかっているはず。守り手の務めは、導き、守り、必要であれば叱り、縁人の課題を達成に向かわす補助的役割。私たちは同じ縁人に付くことになる。だけどメインは君だ。」
僕は目を覚まそうと、力いっぱい頭を振り、何度か瞼をパチパチと開閉してみる。
「縁人とは、私たち守護者が付く対象の魂のことだよ。彼女はすでに、次の人生に行く準備が出来ている。だけど、君は多くのものに縛られ過ぎているみたいだ。まずは君の学びが先だから…百年。君のいた星から見たらそのくらいはかかるだろうか。」
それでも、目を覚ますことはできない。
本当に死んだのか?
僕は反応することさえできなくなり、ぼんやりと空間を見つめた。
彼はその様子に不思議そうな顔をして、共感の感じられない口調で慰めの言葉を僕にくれた。
「大丈夫だよ。百年って言っても、ここに時間はないからね。すぐだよ。」
驚きの発言に顔を上げ彼を見つめる。
「ないって、どうゆうことですか?」
やっと反応した僕を見て、喜びを表し答えた。
「そのまま、ないってこと。だけど、時間がある星から見た時には、流れを時として計ることができる。ここでの百年は、あえて言うとしたら『あっという間』なんだ。」
彼はさえたことを言った風な顔をして、こちらの反応を待っていたが、その期待に応えてやれるほどの余裕は今の僕にはない。
だが、それに気を悪くする様子もなく続けた。
「まあ、君次第でそれ以上かかるかもしれないけど、大差はない。完璧を目指す必要もない。君はこれから縁人の魂の成長を見守ることで、自らの魂を磨いていくんだ。『親』のような気持ちで挑めばいい。」
「親になったこともないのに?」
いけない、また彼のペースに流されてしまった。
「初めはみんなそうだよ。自信がなくても親になる。自信は自覚しないままでもいい。そのために私たちがいるんだ。」
「私たち?」
「そう、私たちはチームだよ。私と縁人、君のほかにもう二人守護者がいる。みんなで一人の魂の人生を共に生きるんだ。」
いや待て、それより疑問が立て込んでいるんだよ。
どこから取り掛かればいい。
「僕がもう生まれないってどうゆうことですか?だって人は死んだらそれで」
「天国へ行ける?」
「…いえ、僕は」
さっき人を殺した。
罪人だ。
こんな僕が許されるわけがない。
もちろん行くのは地獄だろう。
「地獄へは行かないよ。」
「本当ですか?」
僕は地獄へ行かない?
「君の言う天国や地獄なんて名前の場所はない。そして、人はまた生まれることができる。何度だってできる。それが望みなら。」
安堵したのもつかの間、またわけのわからない事を話しはじめた。
「君は生まれることが望みじゃないだろう? だって君は今、私とここにいる。」
「ここはどこですか?」
「君はこれから準備をするんだ。」
またその話か。
僕は混乱したままなんだよ。
「君は百六十三回の人生を生きている。ルカとして生きたのはそのうちの一つだ。」
ん?百六十....
「私たちは皆、神であり、子であり、神へ戻る道を再現する者だ。それは道を歩むということ。その歩みの中に輪廻転生という過程がある。君がさっきまでしていたことだ。」
とうとう限界だ、もうやめてくれ。
「君は愛する人はいるか?」
まるで支離滅裂。
なぜ突然そんな話になる。
「愛する人はいるのか?」
だけどこれには答えられそうだ。
「父、母におじさん。他には、」
「そうか、君の愛はどのようなものだ。」
どのようなものとは?
イエスは愛について⋯
「君はさっき、誰も味わうべきではないという経験をしたね。」
「見ていたんですか?」
なんでこの人は、思い出したくないことを思い出させる。
愛する人⋯
そうか。
「僕は、大事な人の代わりになると即答できない。愛とは、変わってやると迷わずに言えるということですか?」
「どうだろうね。」
なんだよそれ。
僕のは愛とは呼ばないと言いたいのか。
「大丈夫、君は愛を知っている。君の深い場所に眠っている。そしてこれから君は、再び愛を感じることになるだろう。これは君の学びだ。君が学ぶ愛とはどのようなものなのか確信する時が来る。その時に答え合わせをするといい。では守護者として、私たちと人生を共に生きよう。」
この人の言っていることは、ほぼ理解できていない。
けど、僕は死んだ。
僕にはなにもない。
天国もないのなら、次の行先の当てもない。
この話が嘘でも夢でも、僕には判断できない。
それなら
「よくわからないけど⋯取りあえずわかりました。」
「よかった。ならまず、私たちの生きる世界を束ねる存在に挨拶に行こうか。わからないことは、なんでも私に聞いてくれていい。」
「なら、守護者のほかの二人っていうのはどこにいるんですか? あと、縁人は⋯」
「ここにはいない。」
彼の答えは僕の欲しかったものとは違った。
ここにいないのは僕にだってわかる。
なんでも聞いていいと言う割に、この人は大した答えをくれないらしい。
自分の名前だって名乗ろうとしない。
「私はケイシ。君はルーカス。ルカだね。」
「え、はい。」
「私の答えは君の知りたいものとは違うかもしれないが、いずれ理解する。チームの他の二人は、二人と数えるのも君の理解に合わせたものであることをわかってほしい。」
「あの、ケイシさん。」
「そうだね、君があの星で生きて経験した概念というものは不十分なんだ。ズレが多くある。そのズレは表現し、見せただけでは理解できない。知っているのと、感じるのは別物だから。各々が各々のやり方で感じて落とし込み、理解していく。君がここで準備できるのは『知ること』だよ。ズレを知り、真理を知り、正しさがないということを知るんだ。そうすれば『感じる』という次のステージのスタートラインに立てる。だけど本当は既に知っているんだ。だから『思い出す』ことをすればいい。」
ケイシは僕に笑顔を向ける。
「やるかやらないかは君が決めていい、ルカ。今言ったこと全て、やらなくてもいい。だけど、君はやることを選ぶ。それを選ぶことを君の魂が知っている。君自身がそれを求めているから。決めるのは君だ。」
ケイシはそう言った後、彼の目の前の空間に手を添えた。
「もう着いたけど、どうする?やめるかい?」
ケイシの手の先には扉があった。
この扉を抜けるともう戻れないのか?
決断が鈍りそうだ。
混乱して頭が回らない。
こんな状態でそんな重大そうな物事を判断するのはどうなんだ。
「あの、わからないよ。その判断はまだ僕にはできない。」
「『僕には』じゃない。君しかいない。それに判断する必要はないよ。君自身に聞くだけだ。ほら、ルカはなんて言っている? やるか、やらないか?」
そう尋ねながら、ケイシは空いているもう片方の手を僕の肩に乗せた。
その手は綿毛のように軽く、かがり火の温もりのように安心する。
体中の力みが一気に緩むのがわかる。
「やる。」
力が抜けた僕の口から、すんなりとでる返事にかぶせて、ケイシは元気に言った。
「なら、お言葉を聞こう。」
僕の足はフワリと動いて、扉の中に吸い寄せられていく。
そしてまた心地のいい明かりが視界を占めた。
「ルーカス、あなたの縁人を心をつくし愛しなさい。」
穏やかな光に包まれた人は、会うなり間髪入れず話しを始めた。
どうやらここでは自己紹介をしないのが通例らしい。
だがなぜか聞かなくても、目の前の人が誰なのか僕には分かった。
懐かしいその声は話し続ける。
「心をつくすという意味を知りなさい。心は肉体から離れても変わらず全ての者が持っています。魂と心は常に共にあります。心は心によって成長します。あなたにとって、あなたの縁人にとって、お互いが誰よりも傍にいる存在です。あなたの心に影響されないわけがありません。たとえ、あなたの声が聞こえなかろうが、瞳に姿を映さなかろうがです。名前を呼ばれることも、笑顔を向けられることもありませんが、あなたの存在を感じています。あなたと全てを共有しています。あなたのやり方で、その魂を導いてあげなさい。その魂はあなたの愛となります。あなたはその魂の愛となります。あなたはその全てを見ていてください。大丈夫。あなたは自分の心に従い、その魂をいつも、いつまでも見ていたいと感じる事になります。」
話し終わると、すぐにまた扉は閉められた。
一方的に話を聞かされて、なにも言えなかった。
それが素直な感想だった。
本当にお言葉を聞くだけ。
だけど、言う間を与えられたとしても、僕はなにも言えなかっただろう。
ついさっきルカとしての自分の人生を終えて、ケイシに会って訳の分からないことを色々吹き込まれて、この先の重要な判断を急がされて、すでにいっぱいいっぱいなんだ。
「どうだった?」
呆気にとられる僕の顔を、ケイシはワクワクした表情で覗き込んだ。
「力が湧いた。」
その答えにケイシは満足そうにうなずく。
本当にその通りだった。
出口のない迷路にさ迷ったような思考は、今はスッキリと整理され心地よく納まっている。
先に進む力がみなぎる。
それもあの時、やるという返事をしたからだ。
「僕がやらないって答えていたらどうなっていたの?」
「さあ、それは私にはわからない。わかるのは君だけだ。」
ケイシの不毛な返答にモヤモヤすることもない。
「君の自由だ。また肉体を持って元の星に生まれ変わるもよし、もっと苦しみたいのなら過酷な星を選んでもよし、ただ永遠に横になって自分を持て余してもよし。だけど、永遠とは永遠だ。時間のない永遠は無でもあり、永遠でもある。それを望むことができるかい?」
僕は首を横に振った。
そんなの考えなくても恐ろしい。
「望むのならなんだってできる。それでも、魂を守り導くのは誰しもができることじゃない。それがどれ程の価値を持つのか君はまだ知らない。私は初めて魂の守り手として生きた時の感動を決して忘れない。その繋がりは永遠だ。それはどこで、誰になろうと変わらない。だけど、君にとってそれがどのようなものになるかはわからない。同じ縁など何一つない。だから特別なんだ。」
会ってから初めて、ケイシの言葉が身に染みるように理解できた。
「あと、言っておくけど、導く魂は一つじゃない。縁は一度では終わらない。だけど一人の人だ。ではお互い心を尽くそう。」
最後の最後でやはり訳の分からない事を言い残し、ケイシは姿を消した。