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(四) 神の沈黙

「昨日は娘たちが喜んでいたよ、お前も少しは気晴らしができたか?」


微笑むおじさんの様子を見たら、昨日の楽しそうなふたりを思い出した。


「ああ、少し気が晴れたよ。ありがとう、おじさん。」


「ならいいんだ。」


旅芸人たちは朝食を済ませると、すぐにここを発ったらしい。

後悔はない。

僕はここで生きる。


「ルカ、悪いが今日また水車を見に行って欲しい。任せてもいいか?」


「もちろんだ、行ってくる。」


鍛冶屋と水車は村の端と端、正反対に位置している。


「まだ誰もいないな。」


ここは静かだ。

木々の中に水が流れ、歯車が一定のリズムで鳴り、心に安寧をもたらす。


確かに、僕らだって自然と共に生きているじゃないか。



「くっ⋯」


急に来る頭の重みに、立っていられずその場に崩れこむ。

膝を付きながらなんとか川の近くまで行き、水をすくい何度も頭にかけた。


「どうして⋯」落ち着いたはずの痛みが戻ってきたんだ。


痛みに耐えながらも、鼻の奥にまたあの匂いがして、足元が揺れているようにも感じる。

続いて、遠くから地響きのような音が聞こえだすと、僕は痛みを忘れて立ち上がり駆けだした。


「教会へ急がないと。」


だがすぐに足を止める。


待て、あの時も無心に行動し、争いの真っただ中に踏み込んだじゃないか。


広場の方は危険だ。


そう感じ林の中を移動しておじさんの鍛冶屋へ戻ることに決めた。

遠回りになるが仕方がない。


何度も転びそうになりながら走る。

汗が吹き出し、枝にぶつけた腕や足の傷をなぞり、血がにじむ。

足を止めてはだめだ。

村の方からみんなの悲鳴が聞こえる。



やっとおじさん家の裏までたどり着き、木の間から覗いてみるが、誰もいないように見える。

僕は林を出て、なるべく足音を立てないように近寄った。


広場の方から聞こえる音にかき消されているのか、家の中から音は聞こえない。


もう教会へ逃げたのだろうか。


裏の小屋に保管している品物の中から、近くにあった剣を選び手に取った。

長剣よりも短いが、室内ではこちらの方が小回りが利き扱いやすい。


息をひそめて進む。


加工場の中は荒され散乱し、置いていた農具や武器などがごっぞりとなくなっているのに気が付く。


盗賊か?

いや、傭兵か?


ガタッ―


住居の方から物音と人の気配がする。


「動くな、首を切り落とすぞ。」


開いたままの扉を見る。


落ち着け、静かに息をしないと気付かれる。

不意を突かないと捕まるだけだ。


右手に握っている剣の柄が、汗で滑り落ちそうになるのを両手で握り直し部屋へ入っていった。




しゃがむ二人の男の背中が見える。

右にいる男の膝横から出ているのは、普段おじさんが履いている革靴の先だ。


どうやらおじさんは彼らに抑えられているようだ。

なにかで口をふさがれているのか、こもった叫びをあげている。

よく見ると、抑えている男の手には短剣が握られ、その刃はおじさんの首元に当てられていた。

幸いみんなが向こうに体を向け、こちらに気付かない。


倒れた椅子をゆっくりとまたいで近寄ると、おじさんの視線が僕をとらえた。


僕は静かにと、首を横に振る。


おじさんの目に涙が浮かんでいるのを見て、やっと状況を理解した。


三人の前にはもう一人の男の姿。


奴はアンの上にまたがり、顔を床に押さえつけている。

その光景に、正気を失った。


大声で叫びながら男に突進し、握った剣で奴の脇腹を刺す。

そして足でけりつけながら刃を抜き、すかさず別の場所にそれをねじ込んだ。

床に転がる奴の横には、行為に及ぶ前に腰から外したであろう男の剣が落ちていて、持ち主の血で汚れたそれを拾い立ち上がる。


頭の中から思考は消え去り、僕はただの獣になっていた。


「なにするんだお前。」


おじさんを抑えていた男が非難の言葉を吐き飛びかかってくる。


おじさんともう一人の男は取っ組み合いながら扉を壊し外へと倒れこんだ。


僕は肩を切られたようだが痛みは感じない。

男が体勢を立て直す前に、ももを切り付け、ひるんだ隙に胸に刃を突き刺した。




無意識の中で視界に収まっていた目の前の出来事は、急に焦点が一点に集められ、男の両目に定まる。


その瞬間に時間が止まった。



そこは男の両眼だけが存在する空間。


瞳の中でユラユラと、か弱い光が揺れている。


灯りが消えてしまう⋯


我に返った僕には、なすすべはなかった。


「違うんだ…ごめんなさい⋯」




僕の人生の中で想定してはいなかった。

自分の手によって誰かの命が尽きる瞬間を見るなんて。

他の人はどうだったんだろうか。

覚悟はしていたとしても、こんなの誰が想像していただろう。

こんな感覚は誰一人として味わうべきじゃない。


もし僕に、なにに変えてでも守りたい人がいたなら… 

例えば、愛する妻や、子供や、そんな人がいたなら。

絶対に味わってほしくない。

だけど、その立場を代わってあげられるとしても、僕はそれを引き受けるとはすぐには答えられない。



前に、戦場から戻った兵士の話を聞いたことがある。

それをなんて表現していたっけ。

魂が削られる?

心臓がえぐり取られたよう、だったか?


罪の意識と恐怖から心が壊れ、死の衝動から逃れられなくなると言っていた人もいた。


だけど、そのどれでもない。


僕の場合、相手の目から光が失われた瞬間、自分という存在がまっさらに消えた。

そしてその後に、自分という存在に飲み込まれた。


これを繰り返す。

きっと数分、いや数秒の間に繰り返し繰り返し… 

終わりなく繰り返されて、もう生き物とは呼べない存在に溶け込んでいくように、意識の振りに叩き潰されていく。


言葉にすると、そうゆう感じだ。


だけどもう、見たくない知りたくないとは言ってはいられない。

目を閉じても逃げることはできない。

どうして僕は、こんなものを見ないフリなんてしていられたのだろうか。


今ならわかる。

無関心を決め込むのは、なによりも重い罪である。



ああ、そうか。

僕がずっと目をそらしていたから、こんなことになったんだ。

僕の罪を、神が罰したのだろう。

それなら納得です。


神様、僕はこの罰により、すべての罪を償えたのでしょうか。

これより先、僕はあなたの降り立つ天国へ、永遠の美しい世界へ行けるのでしょうか。


僕は神からの返答を受け取るために目を閉じ、体中の痛みを伏せて、持てる感覚をフル回転させた。


美しい花畑を頭に描き、深呼吸する。

深く吸った冷たい空気は鼻から入り込み、脳へと届いた。


僕の天国の香りは、血と内臓の混ざった生臭い匂い。


地面を探る掌には、ドロッとした生暖かい感触。


音は?


⋯何も聞こえない。


すがるように、体中の神経を耳へ注ぐ。


遠くに何か聞こえるようだ。

人の声だろうか。

歓声か?



「ゲホゲホッ」


だが、声が聞こえるよりも先に、すごく近くからむせる音が聞こえた。

口の中には、ピリピリとした感覚と、苦く熱い汁の味がする。

喉の奥から押し寄せるものに思わず目を開くと、瞳の中の光が消えていく瞬間が蘇って見えた。


僕の息はまた上がっていき、ボロボロと涙があふれでる。



僕はいつまであなたの罰の中にいるのでしょう?



....静寂に潰されていく。


あなたは一度だって僕の問いには答えない。


僕が信じてきたものはなんだったんだ。


ただ美しい世界を望んだだけ。

本当に、欲しいのはそれだけだった。



「早く殺してくれ。」



最後に聞いた自分の声は、かすれていた。


直後、首に刺さった冷たい刃と、それを抜き取られる衝撃を体に感じた気がする。

だがそう思う頃にはもう、感覚は何もなくて、その光景を僕は、鳥のように上空からぼんやりと眺めている。


不思議と心は突然に『無』となった。


平穏とは違う。

それは完全に『無』だ。


望みも、後悔も、怒りもない。

ただ黙ってそれを堪能する。


僕は『無』の中で、自分が死んだことを静かに受け入れた。




しばらくそうしていると、懐かしい甘い香りがしていることのに気がつく。


その瞬間、僕はいつもの見慣れた花畑の中にいた。


お気に入りの場所だ。

そう、この美しい世界を守る。

それが僕がやりたいことだ。

僕は気がすむまで花を眺め、香りを嗅いだ。

そうして、いつものように教会へと向かう。


教会へ近づくほど、その輝きに眩しくなり、目を開けていられない。

だけど、これまで感じたことのない極上の気持ちよさのせいで、自然と足が早まるのがわかる。


教会の扉は、触れたか触れていないかわからないくらい軽い力で開いた。






〇ルカ 

♫鬼束ちひろ ‐ 月光


※楽曲から影響を受け、登場人物の心境を書いています。

なお、歌詞の解釈については、私個人の捉え方であり、物語と曲の関係性はありません。


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