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(三) 信仰はどこにあるのか

「イエスは、『あなたがたの信仰はどこにあるのか』と言われた…。」


教会の前にはいつも通り人が集まりはじめているが、まだまばらだ。

僕は、席で祈りをささげる村の者らを横目に外へ出た。

迷いない足取りで進む僕の耳に、話が流れるように入ってくる。



「都市が大変なことになっているってね。」

「聞いたよ、この村もそのうち巻き込まれるかもしれない。」

「ついに来るのかね。」



今更何を言っているのだろう。

戦争はずっと前から僕らの目の前にあった。


「はは…。」


この気味の悪さに笑えてくる。

僕もこの間まではあそこにいたんだ。

いや、それ以下だった。

こんな話にさえ耳をふさいでいたんだから。


「ルカ。」


やっと教会から出てきたであろうレジーナが、僕の名を大声で呼んでいる。

反応するのさえ面倒だ。

どうせこの頭の怪我について尋ねられるだけだ。


僕は止まらずに歩いた。


みんなからしたら、村へ帰った後の僕は以前とは別人のように見えただろう。

村の変わりようのない景色を見ても、僕の世界は平和なんだと、自分に言い聞かせることはできなかった。





「ルカ、あなた…」


父が首を振り母の言葉を止める。


「今は放っておいてやりなさい。」


父も母も明らかに変わった自分の息子を心配している。

今の僕はそれを暑苦しいとも、申し訳ないとも感じない。

それよりも、他に考えることがたくさんある。


あの時、なんでもう死んでもいいと思ったのだろう。

正気に戻った今となっては思い出せない。

死ぬ覚悟など全くできない。

特別やりたいことがあるわけではない。

情熱を向けられるものは僕にはない。

失いたくない相手も思いつかない。


これまでつつましく日々を過ごし、これからも当たり前にルカとしての人生を歩むのだと思っていた。

夢などはないが多くは望まない。

ずっとそうやって生きてきたのに僕は今、無性に焦っている。


本当にこれでいいのか?


なににも必死になることなく淡々と生きて、そのうちにいつか自然と死ぬ覚悟ができるのか?


そんなの想像できない。





「ルカ、広場に旅芸人が来ているそうだ。アンたちと一緒に行って来たらどうだ?」


「僕はいいよ、水車を見に行かないといけないし。」


「それは私が行く。お前に連れて行って欲しいんだ。」


状況を理解しているおじさんは、過剰に心配するそぶりは見せなかったが、さすがにまずいと感じたのか僕を人混みに連れだそうとした。


「わかったよ。」


アンとエマはおじさんの娘だ。

まだ十五歳と十三歳で、珍しい催しに二人ともはしゃいでいた。

村の広場には陽気な音楽が流れ、みんな農作業を休んで多くの人がそれを楽しんでいる。

ふたりは広場中央で踊るジプシーを見て、リズムに合わせて手を叩く。


「ルカも来てたのね。」


騒ぎの中から声をかけられ顔を向けると、レジーナと数人の女の子がいた。


「ケガはもう大丈夫なの?」


僕の返事を待たずに包帯の取れた頭を見て質問する。


「ああレジーナ、もう大丈夫だ。」


「レジーと呼んでよ。あなたのお兄さんもそう呼ぶわ。」


僕が返事をしないのを気にしないそぶりで彼女は続ける。


「大変だったわね、あなたが元気がないって話してたのよ。マルセルも心配していたわ。」


「本当、普段偉そうな兵士や騎士はなにやっているのかしら。こんな時も彼らは全く仕事をしないじゃない。」

「反乱を起こすのも無理はないわね。」


一緒にいた女の子たちは口々に彼らの文句を言い始めた。


戦地に行ったこともない人間が、好き勝手に。

お前らは、誰かが自分たちのために戦うことをそんな風に言うのか。

どうせ、守られることを当たり前だと思っているんだろう?

自分らの手は汚さずに、他人が罪を重ねることを悪いとはみじんも思わないのだろうな。


自分と同じように隣人を愛せとは何なんだ。


僕は黙ってその場を離れた。

広場の端っこで壁に背を持たせ人々を見つめる。

その中に、アンとエマが飽きずに踊り子たちへ笑顔を向けているのが見える。

それさえも、今の僕には腹立たしく思えた。


「若者、ここはお前らの村だったか。」


横を向くと、すぐ隣に見覚えのある男が立っている。


「ああ、あの時の。」


男は、都市外の街の宿で会った流浪人だった。

またもや気配なく自然に横に着く様子に感心する。


「短い間に随分と雰囲気が変わった。地獄を見てきたような顔をしているぞ。わしが忠告していて助かったろう? 感謝しろ。」


男は僕とは間反対の様子で、楽しそうに笑っている。


「お前らに会った数日後、都市では大暴動がおきて反逆者はみんな制圧されたそうだ。言わんこっちゃない。お前が見たのは地獄のほんの上っ面だ。それでもあの時のように能天気な少年には戻れないか。」


男と話していると、久しぶりに心地よさを感じた。


「よく僕の事を覚えていましたね。」


男は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐにニヤつき顔に戻る。


「そりゃあ覚えてるさ。いくら様子が変わってもな。わしは目利きなんだ。それにお前だってわしの事を覚えているだろう?」


僕の覚えていると、男の覚えているとは話が違う。


「僕は知っている顔なんて数えられるほどしかいないし、村の外で話をした人間はほんのわずかです。あなたとは違うでしょう?」


「ははは、そうだな。それでもわしは覚えている。わしらは、人との縁を大切にしているからだ。」


男は急にまじめな顔つきに変わった。


「縁?」


それは、流浪民が言うセリフには似つかわしくないように感じる。


「そう、一度繋いだ縁はどこでまた繋がるかわからない。わずかに顔を合わせただけの縁だとしても、その縁がいつか大きな起点になることもある。そこに生まれる感動はわしらの特権だ。」


この狭い村で生きる僕には、そんなの分かり得ない事だ。


「世間の決め事や誰かの言う名誉は、わしらには価値がない。」


そう言って僕を見る男は、また笑顔に戻った。

僕が羨望のまなざしを向けていたからだ。


「お前も一緒に来るか?」


だが、その誘いには簡単にはうなずけない。


家族におじさん、将来と仕事…。

そして信仰も、彼らとは大きく異なる。

これまでの自分の世界を全部捨てなくてはいけなくなる。

移動しながら、明日をも知れぬ日々を生きることに耐えられるか。


これは神の誘いか、悪魔の囁きか。


興奮と同時に恐怖が襲う。


「森に入るのは恐ろしくはないのですか。」


「森が怖いのか少年。」


男は、悩む理由はそんな事かという様子で鼻にかけ笑う。


「僕だけじゃない。普通森は怖いものです。僕らはそう教えられて育ったんです。」


「いい事を教えてやろう。森には神々が暮らしているんだよ。」


僕は、男の突拍子のない発言に焦り、あたりを見渡した。


「そんなことを大きな声で言わない方がいい。」


「なぜ?」


男はわざととぼけた顔を見せる。


「真実の神はお一人だ。」


「誰がそう言った?」


「そう聖書に書かれていると司祭が。」


「聖書を読まない者もいる。」


「それは可哀想なことです。」


「そうか?広い世界を見ていると、個々の信じる多くが、小さい世界だとわかるようになる。」


やっぱり当たっていた。

僕にはこんな生き方出来やしない。


「もういいです。僕は騙されない。あなたの言うことは真実ではないと僕は知っています。」


「わしはそれでも気にしない。」


「え?」


予想だにしないあっけらかんとした反応に驚く。


「なんですって?」


「なんの問題もない。お前さんの言うことを信じるよ。」


「それは…」


「わしらには歴史がない。今を生きる流浪人だ。なににも縛られない。感じたままに、巡ってきた縁を大事にして生きる。人は自然と神々と共に生きる。最低限の立ち振る舞いには注意をするが、それは都市でも村でも、森の中でも同じだ。色々な生き方があるのを、その時々で楽しむ。」


「あなたがたは、地獄を見てきたのでしょう? それも楽しむと?」


「なあ、世界は広いんだ。それに対してわしの時間は短い。お前が感じるよりもずっと短い。」


「あなたは僕よりも長く生きている。」


「流浪とは流れに身を任せて生きることだ。楽しんでいると流れは速くなるものだ。」


ガッカリだ。

この男も争いを他人事にして、ましてやそれを楽しんでいると言う。

罪で塗り固められた人間だ。


「お前もいずれ分かる。」


そんな日はこない。

わかる訳がない。


「必ずわかる。」


「なぜそう思うのです?」


「わしは鼻が利くんだ。お前らよりずっとな。」


話をしても無駄だ。


「帰ります。僕には仕事がある。」


「わしらは明日ここを発つよ。」


僕はごねるアンとエマを連れておじさんの家へ送り届けた。

外出は、何の気晴らしにもならなかった。


あんなのは救いじゃない。

僕は、流浪の民の生き方に微かな憧れを抱いていた。

だが違う、幻だ。

やはり期待しすぎるのは禁物だと、改めて言い聞かせる。


もっと広い世界… 


僕に望めたものじゃないんだ。




その夜、僕は村はずれに住んでいたじいさんの夢を見た。

彼は若い頃に都市から移り住んできたという。

物知りで読み書きが出来、高価で手に入らない本を持っていた。

幼い頃は兄弟みんなでじいさんの家に遊びに行くのが恒例だった。


じいさんはまるで見てきたかのように広い世界の話をする。

それはまるで夢物語のよう。

僕は話の中の黄金の国ジパングに妙に惹かれ、その国の話をしてくれとせがんだ。


なにもかもが黄金で出来ているその国は、とても豊かで、暮らす人々は身も心も美しい。

そんな国が本当にあるのだとしたら、この地上のどこかに、すでに神の国が存在していることになる。


遠く、東に位置する島。


それなら外から来た人間を食べると言うのもうなずける。

罪人はそこでは生きられない。

それがあるから天国は天国として成り立つ。


だが疑問もある。

そのような素晴らしい国の人間が信仰を持たないなんてあり得るのか?


ジパングの半分は神を崇拝しないという。

神を信じる残りの半分とは共存が可能なのだろうか。

普通に考えると、それは争いの種となる。

平和を保つのは困難だ。


だがもしこれが本当なら、人は信仰がなくても均衡を保つことができると言うこと。

誠にホラ臭い。

このような国が存在するはずがない。

神を信じ、これを軸として生きてきた僕には、不可解すぎる。


「わしはそれでも気にしない」


男の言葉が響く。


「お前さんの言うことを信じるよ」


⋯自分と同じように隣人を愛するとは、こうゆうことなのだろうか。

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