(二) 暴動
「ルカ、今日も顔色が悪いが大丈夫か?」
「ああ、問題ないよ。少し寝不足なだけだ。」
おじさんと僕は、今日もこしらえた武具を売るため、都市へと続く森の中を進む。
領主のカラフさんが馬を三頭も貸してくれたので、想定より移動はとても楽なものとなった。
静まり返った森の中は、昼間だというのに暗く不穏な空気に包まれている。
馬の蹄が鳴る合間に、時折カサカサと葉がこすれる音がして体に緊張が走る。
僕らは静かに耳をこらせて、警戒しながら当たりを見渡した。
肌寒いはずなのに汗が流れ、さらに体を冷やしていく。
昔に比べ森はかなり減少し、村々を旅するのも前ほど過酷なものではなくなったという。
それでも、幼い頃に森には絶対に近づくなと聞かされていたので、危険な場所に踏み入れているという恐怖心が今になってもぬぐえない。
森の闇の中には悪魔が住んでいるとか、笛吹き男に連れていかれるとか、獣のエサにされるとか。
僕たちの祖先はそんな自然の脅威と戦って生きてきた。
森越えは体力的には楽になっただろうが、精神が削られるのはきっと変わらない。
緊張感にさらされ続け、一日がとても長く感じる。
森を抜けるのは自分自身との対決だ。
自分の弱さを浮き彫りにされ、信仰心が試される場所でもあった。
「日暮れには街に着くはずだ。」
張り詰めた緊張を察したようにおじさんが声をかけてくれる。
帰りも同じ道を戻るのかと思うと憂鬱だったが、初めての大都市に珍しく胸が躍りだす。
その日の夕暮れ、城壁の外にある街に到着した。
今夜は久しぶりに宿でゆっくりとできる。
夕食を宿の酒場で済ませ、早々に寝床に入った。
疲れていたのでぐっすりと眠れるかと期待したが、今朝の目覚めも最悪だ。
ここへ来ることをおじさんに提案された日から、毎日同じような夢を見ている。
大きな波に足をさらわれ、溺れ死ぬ夢だ。
目を覚ますと、これが夢であることに安堵したが、起きた後のこの世界でも恐怖の波は漂っていた。
洪水の後、ノアが神からさずけられた言葉を思い出す。
また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。
いかなる獣からも要求する。
人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。
人の血を流す者は
人によって自分の血を流される
人は神にかたどって造られたからだ
「僕のこの行いは罪なのでしょうか?」
人の血を流すための武器を作り、売ることは神に背く行為なのでしょうか。
それが家族や大事な人を守ることに繋がるならば許されるでしょうか。
マルセルが羨ましい。
僕が長男であれば、生涯畑を耕し死んでいく人生を歩めた。
こんな風に罪の意識を感じることなく、いつだって争いからは無関係でいられたんだ。
「ルカ、朝食にしよう。」
おじさんは一足先に起きて、馬の様子を見に行ったらしい。
なかなか下りてこない僕を呼びに来た。
昨夜は気付かなかったが、宿で出されるパンは普段食べているものと比べると、少しばかり柔らかい。
「顎が貧弱になりそうだ。」
「そうだな。」
僕の言葉におじさんも顎をさすりながら笑った。
当たりを見渡すと、空席が見当たらないほど室内は込み合っている。
不安定な情勢なのに人は集まるんだな。
イングランドとの戦争で王が捉えられ、職を失ったフランスの傭兵が村々を荒しまわり、三部会の反乱で王太子は都市から撤退している。
こんな混乱している状況だからこそ武器は不足し、買い手は増加する。
「人が多いのも当然か。」
僕らの会話を聞いていた隣の男性客がこちらに視線を向けると、パンを口に入れたまま話しかけてきた。
「あんたらも商売しにこの街に来たのか?」
「ああそうだ。」
おじさんは見知らぬ男の素性を気にも留めずに答える。
「そうか、わしは今日ここを発つんだがお前らも気を付けた方がいい。」
会ったばかりの人間に突然物騒なことを言われ、僕は反射的に聞き返していた。
「なにをですか?」
「農民一揆さ、次々に起こってる。今度は市民も一緒になって大きな反乱になる。」
僕はおじさんと目を合わせた。
「流れ話で耳にしました。そんなに緊迫しているんですか。」
男は自分の話に興味を向けられたことに得意になり、続きを話してくれた。
「ああ、わしらは村々を移動して商売をしている。北からゆっくりと旅してきたんだ。」
そう言いながら、震える指を僕らの目の前に出し、ゆっくりと真横に動かして見せた。
「やらないとわからないのかね。とにかく、やつらは反乱を起こして全滅だよ。一カ所に居座らなければいいってのに、多くの者が土地に執着するんだ。」
生まれ育った土地を守りたいとゆうのは当然の願いに思えるが、流浪の民には理解しがたいのだろう。
「そうだな。」
おじさんが素直に共感する姿を見て、男はさらに話を続ける。
「毎日どこかで嵐は起こるが、すぐに大きいのがやって来る。」
「なぜわかるんです?」
「匂いだよ。長年旅をしてきたわしらはお前らよりもずっと鼻が利く。今にわかるさ。」
男は自分の鼻をツンツンと叩く仕草をしている。
「わかった。忠告に感謝する。」
おじさんが礼を言うと、男は僕らの朝食のパンを一個ずつ取り、自分の懐に入れた。
「巻き込まれたくなければ急いで帰るんだな。」
そしてそのまま宿の外へと姿を消していく。
「ここの客じゃなかったんだね。」
確かに、男が身に着けていた衣は古く汚れていたように思える。
そんなことよりも、僕は男の巧みな話術や、流れるように自分のペースに人を巻き込んでいく様子に感心していた。
「早く物を売って帰ったほうが良さそうだ。」
「そうだね。」
荒れているのが平常だとしても、争いの真っただ中にいるのは死を意味する。
都市の中心にある大聖堂を見ることを楽しみにしていた。
他にも市場の様子や、専門の職人が作る洗練された品々…
学べる事はいたる所にある。
だが、そんな学びはあの村では生かしきれない。
今の僕には必要ない。
「早く仕事をかたずけて帰ろう。」
壁の内側はさらにも増して賑わっていた。
賑わっているといっても聞こえてくるのは人の笑い声ではない。
王政への不満や争い荒げた声、暴動の序章のような有様があちこちで見られた。
「思った以上に荒れているね。」
早い所引き上げた方がいい。
僕らは同じことを感じていたようで、二人で目くばせをする。
おじさんの昔の伝手のお陰で、無事に商人に品物を売ることができ一安心だ。
その後おじさんは、馬を貸してくれた領主の妻への土産に、高価な織物を買うため別の店へと向かった。
僕は通りでおじさんが戻るのを待つ。
その時、一本先の大通りから叫び声が聞こえて振り返る。
あの通りに馬を繋いできた。
ドクドクとなる自分の心臓の音が、周囲のざわめきに混じりかき消される。
僕は一目散に駆け出した。
大通りまで行くと、つい先程とは違う様子に愕然とした。
土ぼこりで目を開けていられない。
刃物の擦れる音がすぐそばでしている気がする。
それでも馬を連れてくることくらいはできそうだ。
身をかがめて走り出したが、途中で地面に転がる何かにつまづいた。
そのすぐ後、頭に響き割れそうな痛み。
天地がどちらかわからない、自分が体の中に納まっていないようだ。
だが、鼻の奥にかすかに感じる。
ああ本当だ、戦争の匂いがする。
....馬はどこだ
早く連れてこないと
借りた馬なんだよ
....暖かい
パチパチと何かが燃える音が聞こえる
煙たいせいなのか、頭を打ったせいなのかはわからないけど、意識が遠のいたり戻ったりを繰り返し、波にのまれるように抵抗ができない。
ここが死に場所なのだろうか。
争いのさなかだけど、悪くない。
寒い所では死にたくないんだ。
頭は重く朦朧としているが、最後の景色を記憶に収めようと、なんとか瞼を開いた。
太陽の優しい明かりが視界に入り、空中を舞うキラキラとしたチリのようなものが見える。
なんてきれいなんだ。
予想外の美しい空間に安らぎを感じる。
そこにいるのはどんな気分なんだ?
そんな風に空を飛べたら、汚れた地上を離れて、全部忘れてしまえるのだろうか。
雲まで休まず飛んでいけたとして、そこから見下ろす景色にここはどんな風に映っているのだろうか。
あの花畑以外にも美しい場所がきっとあるんだろうな。
小さい世界だ。
死に際になって初めて、自分がとても小さい世界を生きていたんだと気が付いた。
もっと広い世界を見たかった。
後悔を感じると同時に強い眠気が襲ってきて、僕は最後にキラキラと輝くチリを思いっきり吸い込み、そこで意識は途絶えた。
夢を見ているのだろうか。
それともここは天国か。
こんな僕を神は許されたのだろうか。
膝の上には、小さな女の子が背を向けて座っている。
フワフワと細く美しいブロンドの髪を揺らし、何の疑いもせずに安心しきり身を預ける。
僕の手は自然と伸びて、その髪をなでながら鼻歌を口ずさむ。
この子はきっと天使だろう。
愛おしい気持ちが溢れてくる。
とてつもなく心地いい気分だ。
靄の中からおじさんが心配そうにのぞき込む顔が浮かび上がった。
おじさんも死んでしまったのか。
「ルカ、聞こえるか?ルカが目を覚ました。もう大丈夫だ。」
誰かの手が僕の肩に触れる感触がすると、背面がゴツゴツして、節々に痛みを感じる事に気が付いた。
「ここはどこ?」
「ルカ?もう大丈夫だぞ。」
天国の寝床がこんなに硬く、湿っているとは聞いていない。
視界が定まり頭にひどい痛みが戻ってくると、自分がまだ生きているとわかりガッカリとした。
ああそうか、頭をぶつけて倒れたのか。
よく見るとここは昨夜泊まった宿の一室のようだ。
どのくらい眠っていたんだ。
「二日も経っていない。」
「そう。水をくれる?」
おじさんはすぐに水差しを持った女主人と部屋に戻ってきた。
「目が覚めたか、災難だったね。でも生きてる。儲けたね。」
頭の包帯はおかみさんが巻いてくれたようだ。
「まだ触るんじゃないよ。大丈夫、今に良くなるから。」
おかみさんの大きな声に、頭の中で雷が落ちたようにズキズキする。
もっと静かに話してくれよ。
ここの街の人にとってはいつもの事というような様子だ。
「すまないルカ、すぐにお前を探しに店を出たんだが、見つけるのが遅くなった。」
歪んだ僕の顔を見て、おかみさんとは裏腹におじさんは落ち込み、肩を落としている。
「おじさんはケガは?」
「わたしはどこもケガしていない。馬も無事だ。」
「そうか、よかった。」
おかみさんの言う通り、痛みはまだあるが、翌日には立って歩けるようになった。
「途中で痛くなったら川の水で冷やせばいいさ。それはあと数日巻いておくんだよ。」
「はい。お世話になりました。」
「あんたも、その布をちゃんと代えてやるんだよ。」
「わかりました。」
おじさんがこんな風に、ヘコヘコとへつらう様は見たことがない。
街で暮らす女性は肝が据わっているんだな。
道中、おじさんはしつこく休憩するかと尋ねたが、僕はそれを何度も断った。
行きと変わらないくらいの日数で村に着いたようだ。
まだ意識がぼうっとしていたのか、不思議と帰り道はあっという間だった。