(二一) 神の視点
どうしても無理なのか。
「僕にはもう⋯」
リリィが絵を描くすぐ横で、足を振り上げドタドタと地面を踏む動作を繰り返す。
だが何度やっても同じ。
あの衝撃的な発見から、何度も何日も試してる。
だが一向に、以前のように花を踏みつけることは出来なかった。
花はその視界から僕を締め出すことすらせず、この体など存在しないかのように空に向かって伸びる。
なんて憎たらしいんだ。
「お前らはいつもそうなんだ⋯」
花が風に揺れ、挑発しているようだった。
「いまだに生にしがみつく恥さらし」そうあざ笑い僕に死を突き付ける。
「いつかまた踏んでやるからな。」
しかし想像が創造ということが、身に染みて理解できる。
今の僕は全くというほど花を踏めるイメージが出来ない。
きっとやり方が間違っているんだ。
こんな状態で何度試しても意味がないのだろう。
『思い込みは想像』とケイシが言っていた。
意識にも上がらないほど当前、と思っていることが創造となるのか。
となると、花を踏めるか踏めないか、という問題にぶつかっている今の僕はすでに、踏める状態を真にイメージできていないのだ。
なんて恐れ多い仕組みだ。
僕は視界を上に、空にむける。
まっすぐに刺してくる日の光がまぶしく感じ、思わず目を細めた。
「やはりあなたには何一つ、誤魔化すことなどできないのですね。」
無意識に話しかけていた。
その行為にハッとする。
こんな風に天に語り掛けるのは、死んでからは一度もなかったと思う。
この間ケイシに当たり散らした神への怒り。
あふれ出た僕の想いを、神は聞いていた事だろう。
僕は今、どんな顔をして神に語り掛けた?
あなたに合わす顔などない。
背筋が脱力し、ずり落ちるように首が下へ落ちた。
すると僕を見上げるリリィの視線と重なる。
青 ―
ズキッと胸が痛み、視線を逸らす。
今の僕には、リリィの瞳の中の青空でさえ、恐れ多くて見つめられない。
「どうしたの?」
僕の不審な行動を問いかけるリリィの声。
それでも僕は目を開けなかった。
縁人さえまともに見れない。
だがリリィを愛おしく思うほど、自分が醜く感じられてしまう。
僕には美しすぎる。
不相応だ。
本当に、僕が神で、リリィが人間なのか?
この疑問が頭の中をずっとグルグルしている。
リリィの瞳を覗き込むたび、なにかの間違いではないかと思ってしまう。
しかし神の判断に意見するようで考えないようにしていたんだ。
だがこれこそが逃げなのだろう。
向き合うまで続く。
この逃げたくなる現実を、リリィの目に映る世界を僕は変えたい。
顔を上げ、天をまっすぐに見た。
「僕とリリィを隔てるものは、なんなのですか?」
沈黙 ―
その空虚の中で
ポツッ―
ん?
頬が冷たい。
雨か?
ないはずの体が身震いする。
リリィが風邪をひいてしまう。
「リリィ降り始めるぞ。中に入ろう。」
リリィは下を向いたまま、なんの反応もない。
「リリィ聞いているのか?」
しかし頬に一滴、雨粒が当たっただけでそれ以降、降り続く様子はない。
気のせいだったか?
絵に集中するリリィには僕の声が届かない。
いつものことだ。
それよりも先程から胸のあたりがチクチクと締め付けられる。
リリィの波か?
ご機嫌だったはずだけど。
あれ?
視線を向けやっと異変に気付く。
リリィの手元が動いていない。
「リリィ?」
やはり無反応。
まさか―
「リリィ、リリィ。」
僕の声が認識できていない?
「そんな」
もうなのか。
まだ早すぎる。
トールはもっと遅かった。
こんなに突然―
「リリィ!」
怒鳴るように呼ぶ声に、リリィの体がビクッと跳ねる。
「なんだよ⋯」
よかった。
聞こえているじゃないか。
てっきり僕は…
問い詰めようとリリィの横に回り込んだ瞬間、ポタッと一滴、涙がこぼれ落ちるのが見えた。
泣いてる…
なんの涙?
「どこか痛むか?」
またもやリリィは質問を無視し顔を反対に反らせた。
その行為に、さっきの自分の行いが思い出される。
仕返しのつもりなのか。
「どうしてそんなこと⋯」
小刻みに揺れるリリィの肩を見て、自分の手に視線を下ろした。
まだ震えている。
リリィの意識から僕の存在が消えたと覚悟した瞬間、僕の体は死んだことを忘れたのか、凍えるように震え出した。
そうか…
そうだよな。
僕がリリィを無視したことなどこれまでない。
そんな僕にたった一度、拒否をされた。
そのショックがリリィの体に現れている。
ドクドクとなる心臓から二本の流れる水に乗って、情報がリリィの体の隅々に行き届く。
心が震えているんだ。
目を背けられた。
たったそれだけのこと。
だが僕は“それだけ”じゃないことを知っている。
死んでから僕は無視されっぱなしだ。
仕方ないのはわかっている。
だからって傷つかなくなるわけじゃない。
リリィの痛みが僕にはわかる。
存在を認識されない不安、
目をそらされた時の虚しさ、
覗き込んだ瞳に自分の姿が映らない恐怖…
僕がどれほど自分の在り方を他に委ねていたのか、いま理解した。
「僕の存在は、僕の在り方で証明する。」
君にも教えてあげたい。
リリィとして生きるこの人生で、僕がその不安を払拭したい。
花が風にふかれ揺れている。
僕はまた、道をそれていたようだ。
「ごめんリリィ。」
道しるべがないと僕はすぐに道を外してしまう。
リリィの視界に入り込もうと頭を地面に着きそうな程低くし、そのまま寝そべるように空を見上げる。
目の前に広がる青に、濁った視界が一瞬で晴れわたった。
「きれいだ。」
ポロっとこぼれ出た僕の言葉に、リリィはやっとこちらを見る。
ああ、これだ。
溢れる涙
頬を伝う線
空いたままの口元
困惑する様子に、悪いと思いながらも心が緩まる。
「綺麗だ。」
“美しい世界”
やはり僕は、これを見ていたい。
ずっとこの美しい景色がいい。
世界が、僕の内が反転した姿だというのなら、僕は自分でこれを創りだそう。
君が目にするものが光でありますように。
「リリィもおいで。」
灯りをともして君に手渡す。
「きれいだろ?」
「うん。」
僕のすぐ横で寝そべり空を見上げる横顔。
その瞳の中には、空がそのまま反射したような青が広がっている。
神よ、僕は美しい世界を夢にかかげます。
【素晴らしい。ぶれない軸を立てたじゃないか。君が歩もうとする道が見えるよ。】
ケイシからの言葉が届く。
「はい、僕も、今度はずっと先まで道のりが見える気がします。」
【美しいだろう? それが神へと続く道だ。】
空を見るケイシの横顔が宙に浮かぶ。
「そのために、もっと空を知れ。」
空を知れ?
「そう、空を見上げるんだ。」
空を見上げる⋯
空はなにを反転しているんだ?
「神を思い出すことと、自分を思い出すことは同じことだよ。一である自分が、全なる神であることを思い出すことだ。空を見上げ、その先に広がる宇宙を想像しろ。なにを感じる?」
空のその先―
天界から見下ろす景色にここはどんな風に映っている?
「⋯僕は、ちっぽけだ。」
そうだ。
あそこから見たら、僕は一滴の雨粒のようにちっぽけだ。
僕は広い世界をまだ全然知らない。
「それは君が自分自身について、その程度しか知らないということだ。」
ケイシは両手を上に大きく広げて言う。
「天は君自身だ。君の深層、無限の可能性、それが反転し現れている姿だ。君は自分についてこれぽっちしか知らない。もっと知れる。思い出せる。一つになれる。」
「だから見上げて思い出せ。君が自分を思い出す時、空模様を理解する。創造主の視点を思い出す。」
創造の力。
「神の力。」
「君とリリィを隔てるものはなにか、その問いに応えよう。隔てるものはない。だが、神と人をわける視点ならある。夢は主なる神に繋がるもの。夢とは、無だ。我とは違う。夢を我と見誤るのは、それた道を進むことになる。それは全から切り離された一だ。一が一でしかない視点。だけど夢は無なんだ。無は全なる一の視点。」
「美か醜かという判断で神と人は区別されているのではない。視点の違いだよ。そして空の美しさは反転した君の内。君は足がすくむほどの美を内に秘めているようだね。」
この空の、恐れ多いほどの美しさは、僕自身だと言うのか?
「おかしいだろう? 君の中にある美しさが、君に不相応なはずがない。君の目にするもの全て、君の一部なんだ。」
全の一⋯
『なにも崇めなくていい。なにも下げずまなくていい。』
そうか、すべて自分なんだ。




