(二十) 総称する世界
トールの守り手との朝の会話の後、僕は言葉を失ったまま真っ白な頭でリリィのそばについていた。
こんな時こそユールトがいてくれたら。
彼はなんて言って僕を救ってくれただろう。
いや、ユールトなら静けさを僕にくれたはずだ。
そうやって、ただ居るだけで守り、安心させてくれる存在なのだ。
守る…
『守りたいという思いは、敵がいるという思いが前提だ。』
僕は夢中になり絵を描くリリィを遠目に見つめる。
夏が終わり、季節交代した花が見事に咲く。
その美しく咲く花々の中心に、リリィがいる。
冬になれば花は枯れるんだ。
この美しい世界を守りたい。
僕はリリィを―
思いに引き寄せられ踏み出した足を見て、動きを止めた。
「なぜ躊躇するんだ?」
リリィの向こうで、ケイシがこちらを見て立っている。
「それは…」
あと一歩踏み出せば、花を踏んでしまう。
「君はなぜ美しい世界を望む? なぜそれを夢に掲げた?」
僕の夢…
神への道しるべとして掲げた。
「美しい世界は尊いから、守らなければ崩れ行くものだからです。」
クロシェットとよく駆け回り遊んだ花畑。
だが妹が居なくなってからは行かなくなった。
あそこにはクロシェットとの時間が残されている。
楽しかった思い出よりも、悲しみの方がずっと色濃く。
見たくなかった。
踏みつけてでも生き残る自分の醜さを。
「綺麗なところだ。私もここが好きだ。美しい景色を見ると、心がより豊かになる。君の目にはどう映っている?」
僕にとっての花は
「僕にはここが逃げ場でした。醜い世界から遠ざかるための。だけど僕が足を踏み入れると見えてしまう。誰かが苦しむ世界の一端が。遠くから見ていないといけない。これが失われ枯れていくのを僕は見たくない。」
僕にとっての花は、自分の醜さを覆い隠し、罪をさらけ出される、神のように恐ろしいものだ。
「奪われるから守る。守らなければ失われる。そんな背景から生み出された思いは、それは本当に君が歩みたい夢なのか?」
こんなのは、夢じゃないよな。
「君は引っ掛かりに気付いている。君は自分を否定して、世界を否定して、その先に美しい世界を望んでいる。世界はそんなに醜いか?」
⋯醜いか、だって?
当然だろ。
「醜いよ⋯」
ケイシは僕の思いを解放させた。
「戦争は今でも続いているし、人は誰かを憎んでる。目に見えない恐怖におびえて、そいつを罰することもできない。その上守りたいという思いさえも…神から見たら間違いなんでしょう?」
叫び出した思いは、こんなんじゃあまだ言い足りない。もっとある。
「神はなんでも出来るはずなのに、この醜い世界を許している。こんなのが、神が許可する世界なのか?」
「君には世界がそんな風に見えているのか。」
「…」
ユールトが言った『主なる神のことなんか』という発言に、僕は本当は心底同調していた。
ユールトはきっと、こんな思いから言ったわけではないんだろうけど、サラリと本音をさらしてしまえることが羨ましいと思った。
「君の世界を創っているのは神じゃない。」
視線を上げ、ケイシを見る。
ケイシは穏やかな水面がうつる瞳で、僕を見ていた。
「否定の心から見る景色、ならば世界は君にそんな現実を見せるだろう。奪われ、殺し合い、憎しみの連鎖を繋ぐ…そんな世界だ。世界に対して持つ認識は、そっくりそのまま自分自身に向けているものだよ。」
ああ…
反転だ⋯
「そう。これ全て、君の内を表している。戦争は君の心が作り出していると言っていい。君の見る世界、君が目を背ける世界、君が否定する世界… なににも責任転換することはできない。世界として投影された自分と向き合わなければ、君の知る世界は変わらない。」
「君が見て感じて生きた、その記憶の総称は? 世界をなんと表現する?」
「僕の知っている世界は、奪われることが当然の苦しい世界だ。その中にも、守りたいと思える美しい場所がある。」
「それた道の先に見るものを夢とは呼ばない。君はそれを夢に掲げるか?」
それは、わからない。
「だけど多分違うんだと思います。」
「今すぐじゃなくていい。夢を自覚できる時は人それぞれだ。私たちは創造することができる。花を踏まずに、その上を飛び回ることもできる。どんなやり方だってあるはずだ。」
真に想像できさえすれば、僕はなにも傷つけずに居られるのか。
「こっちに来てみろ。心配ない。」
ケイシがこちらに向かって手を差し伸べている。
僕はその手を掴もうと、ゆっくりと足を踏み入れた。
ザワッ―
嫌な感触だ。
今の僕には当然、飛び回るイメージなんてできない。
こんな時ばかり、踏んでいる感覚がリアルにある。
「なあ、君は花を踏んでいるぞ。」
そう言われ、自分の足の下で潰されている花を見た。
「どう思う?」
「それは…」
そんなの、あまりに意地悪な質問じゃないか。
「君は花を踏んでいるぞ。」
「…はい。」
そう何度も言わなくてもわかっている。
僕が向き合わなくてはいけない事なんだって。
でも、
「嬉しくないのか?」
「え?」
嬉しい?
「君は花を踏めているんだぞ? 君の足が花に触れている。」
ハッ―
ようやく気付いた。
僕の体が、物に影響を与えられていること。
だが気付いた後で足元を見ると、すでに足は透けていて、花は僕の足にお構いなく元気に空に向かって伸びていた。




