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(十九) 無の境地

僕はひとりが好きだったんだ。

ひとりでいる方が平和だったし、面倒がない。

傷つくことも少ないし、誰かを傷つける心配もしなくていい。


寂しさよりも息苦しさが嫌いだった。

それが僕の限られた選択肢の中で得られる “自由” だと思っていた。




「さびしい…」


お別れを言わせてほしかった。

なんで僕はこんな気持ちになっているんだ。


ユールトがいなくなって、自分の一部がぽっかりと消えたような気分だ。

きっと呼べばいつでも来てくれるんだろうけど、気軽に会いたいなんて言えない。

彼と過ごした数日間で気付いた。


寂しくない自由もある。


これも思い込みだったんだ。

寂しさを満たすのと、自由を得るの、どちらかを選ばないとと知らぬうちに思い込んでいた。

リリィは僕がいなくなれば、同じような気持ちになってくれるだろうか。



「リリィ、行くぞ。」


ぶっきらぼうな言い方で、トールはもたつくリリィをせかす。

痣の一件以来、トールは行き帰りの時間をなるべくリリィと合わせてくれていた。


いつもなら、トールは誰よりも早く家を出る。

早朝から剣の稽古をするためだ。


働きに出始めて一年少し、トールの様子は随分と変わった。

あまりペラペラと話をする方ではないので状況はハッキリとはわからないが、遊びだったものが現実として動き出した、というところだろうか。

毎日体のいたるところに痣や擦り傷をつけ、治りきる前に新しい傷が出来ている。


今はまだ騎士らの身の回りの世話しかさせてもらえないので、空いた時間に稽古する他ないのだ。

自分よりも強い者だらけの中で、挫折をくり返している。


トールの尊敬できる所は、悔しさを周りに当たり散らさないところだ。

むしろ自分が守らないと、という気持ちを強めているように見える。

妹を守る兄の務めも立派にこなしている。


ただ今回の場合、相手は生きた人間じゃないので彼の領分ではない。

リリィを守るのは、僕の務めだ。


「早く歩けよ。」


「先に行っていい。」


だがリリィは僕らの気持ちにお構いなしだ。


「そんなノロくちゃ遅れちゃうだろ。」


「だから置いて行けばいいのに。」


リリィは朝が弱い。

トールが口うるさくすると余計に機嫌が悪くなるんだ。


「トール、先に行っていいのよ。私が付いているのだし。」


エミリーは痣についてはさほど気にしていなかった。

それくらいの事は日常だとジルに言っていたほどだ。


「母さんもリリィもそんなんだから痣をつけられたのにも気づかないんだよ。もっとしっかりしてくれよ。」


返す言葉もない。

僕が自分と向き合えなかったせいでトールにも心配をかけている。


「ごめん、トール。」


聞こえないだろうけど、謝らずにはいられない。


「いいんだ。トールがそうしたいだけなんだから。」


トールの守り手が元気な声で僕に言った。


「トールの課題だ。自分がなんとかしなければ、守らなければ、だから強くならなければ。トールの手放す課題だ。」


「それはいい志なのでは? トールは剣士ですし、その心は必要でしょう?」


「戦場ではバランスが大事だ。ひとりで戦うわけではないからな。自分が自分が、というのは命取りだ。それを学ぶために、戦場に出るという定めの立場に生まれたんだ。」


「そう、なんですね。」


団体行動が苦手な僕にはわからなかった。

生前もそんな場面に出くわしたことはなかったし、誰かと一緒にやり遂げるなんて。

思い当たるとすれば、おじさんと作業をするくらいだろう。


「その経験がないのは、君に必要な学びではなかったからだ。」


確かにそう言える。

人はそれぞれ人生の目的があり、それに似合う条件の元に生まれるのだから。


「日々の生活の中では、人間関係を避けたり、課題を先延ばしにしたり出来る。だが戦場は違う。目を背ける暇なく突き付けられる。自分という存在を。」


「それはそのようなカルマを持っているからだ。戦場だけじゃない。選択を迫られるスピードが速い状況にいる者はみんなそうだ。その流れは強引だ。それほどまでに向き合わなければならないのは、自分の中にそのような強引性を持ち合わせているから。」


「自分の想いを強引に通し、他者を巻き込み貫く。しかし他者と言えども、すべては自分なんだ。敵として向かってくるものを、ためらいなく殺す。その行為の意味を振り返らないというのは、己の否定したい部分を切り捨て、向き合わないでいるということだ。」


自分の死の間際のことを思い浮かべる。

僕が罪を認識した中で、なによりも重い。

徘徊する者らを見る度、僕が殺した人たちが、今もどこかをさ迷っているのではないかと思ってしまう。


「戦場に出ると、必ず誰かを殺すことになる。あれを経験したことのない者にはわからない。戦う以外、選択肢は与えられない事を。あの場に立つと多くの者がそう思う。思う余裕もなく腕を振り上げている。私もそうだった。」


僕もだ。

我に戻った時にはすでに終わっていた。


「だが知っているか? 争いがやんだ死体の山の中で、未使用の武器が大量に散乱する戦場があることを。誰一人として敵を殺せずに死んでいった者がどれほどいるのかを。剣を振り上げ襲いかかる相手を前にしても、戦わないという選択肢はあるんだ。その道は、自分の死と、大事なものを守れないことを覚悟しなければならないだろう。」


そんなのは僕には無理だと即答する。

戦いもせずにリリィを守れないと覚悟するなんて出来ない。


「死はそこまでして避けたいものなのか?」



なにを…言っている? 


彼は正気か?

自分の命はともかく、リリィの命をそう簡単に奪わせたりしない。

僕は守護者で、リリィを守るために存在しているのに。


「だけど、いつか必ず向き合わなければならないんだ。それはいつだ?」


いつ… 

いつか必ず来ること。

リリィの命を諦めなければいけない時が、来るのか? 


「あと何度、戦場に立つ人生を経験したい? あと何度、大事なものを奪われる苦しみを味わいたい? いつまでこの連鎖を続けたいんだ⋯」


向き合うまで、続く… 


決心するまで永遠に繰り返さなければいけない苦痛に、僕は何度の人生をかけられるだろうか。



「死はそうまでして避けたいものなのか?」



彼の顔は、様々な感情であふれ、歪み切っていた。

いつも自信に満ち、愉快そうに笑う人の悲痛の顔は、見ているだけでえぐられるような思いがする。


彼はトールのために、トールを守れない道を選ぶことも覚悟しているんだ。


なら守護者ってなんなんだ? 

僕はなにからならリリィを守れる? 


「私は生前、初代十字軍にいた。人を殺し何度も自分と向き合うことを先延ばしにした。そんな私がこの連鎖を抜け守護者となれたのは、たった一度、選択をしたからだ。」


「横で仲間が死んでいく様を見ながら、自分の首に刃を突き付けられた時、私は全てを諦めた。残す仲間の命を差し出すことも、殺された仲間の思いを貫けないことも受け入れたんだ。私は彼らの命に報いらないという選択をした。その時には、目の前にいる敵でさえ、敵になど見えなかった。あの時の選択はどう考えても私らしくなかたっが、闘志なんてものはなく、いい意味で “無” を感じたんだ。」


【気持ちよかったぁ】


「心が晴れる、とはあの時のことを言うんだ。それは軍を率いる者としては失格の恥ずべき行為だが、神はその選択を喜ばれた。」


“無”


僕の最後の選択もそれに近いような気がする。

無になり死を受け入れた。


「これが私が死ぬ前の最後の選択だ。一度でいい。選択も苦しみも一度でいいんだよ。永遠に逃げ回らなくていい。私は守護者として、そのことをトールに教えてやりたいんだ。」


そう言うトールの守り手の姿は、ボロボロだった。

死ぬ前の自分を再現しているのだろうか。

乾いた血の上に、黒くぬめり気の残る血が垂れる防着からは、戦争の恐ろしさが滲むように感じ取れた。

いつものピカピカに磨かれた長剣の刃は、いくつの試練を乗り越えたのかわからないほどの有様だ。


その格好に対し、彼の表情は不釣り合いなほど穏やかに透きとおっている。

僕は完全に圧倒されて、心の声さえも飲み込むほど、言葉をすべて失った。


「守りたいという思いは、敵がいるという思いが前提だ。だからこれはトールの乗り越えなくてはならない課題なんだ。」

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