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(一) 戦争の足音

僕らの一家は、片田舎の農村で暮らしている。

裕福ではないが食べていけているし、寝床があり、家族もいる。


特別なことはなにもない。

この村の住人は、みんな似たような暮らしをしているからだ。


村のどこへ行っても見える景色はさほど変わりなく、小さな家にパン屋、酒屋、鍛冶屋、そしてひたすら続く農地。

どこを見ても薄茶色の風景が広がる。


だけど、教会の裏にある花畑だけは、濃い緑の葉に純白の小さな花が咲き、周囲は甘い香りで満たされる。


僕はこの季節が一番好きだ。

きっと天国はこんな場所なのだろう。

僕たちは皆、そこへ向かって生きている。





「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである⋯」


日曜の朝、村中の人が司祭の話を聞きに教会へ集まる。

いつもの顔ぶれで、いつもの席に座る。

みんな見知った者同士だから、誰と誰が気が合い心開けるか、あいさつ程度の会話をする関係なのかを承知している。

単純な人間関係だ。


だけど誰が隣の席に着こうと

“自分と同じように隣人を愛する” という教えが根っこにある。


『自分と同じように』


つまり、深く干渉をせず期待しすぎないということだ。


右隣を見ると、ふたつ上の兄のマルセルが小さな寝息をたてはじめている。


兄と僕は、幼い頃こそ行動を共にすることが多かったが、比較的早いうちにお互いの気が合わない事に気付いていた。


僕は肘で軽くマルセルの腕をこずくと、彼はビクッと体を震わせた後、なにもなかったように話を聞いているフリをした。


ミサが終わると、教会を出た所にいくつかの人だかりができる。


父親世代の男性グループ、その妻である女性グループ、跡継ぎ世代の若者グループ⋯

少し離れた隅には、教会に雇われる者たち。


みんなそれぞれの近況を話したり、噂話をしたりと様々だ。

だがどのグループにも共通する話題は、やはりイングランドとの戦争についてだろう。

時折息をひそめながら、いつ止むのかわからない話を続けている。


「はあ⋯」


静かに溜息を吐いてやっと席から立ちあがる。


この時間がなにより苦手だ。

僕はいつも最後の一人になるまで祈りを続け、誰よりも遅く教会を出る。

それでも大した時間稼ぎにはならない。

結局はどこかの会話に入る羽目になるのだ。


どのグループに足を止めたとしても、僕は頷くだけで口を開くことはない。

みんなの話す話題にも興味はないし、むしろこの時間は、行きかう言葉を耳に入れないように頭の中を真っ白に保つことに注力させる。


たまに、「それについてお前はどう思う?」と意見を求められることもあるけど、返事は決まって

「ああ、僕もそう思うよ。」と、なるべく悩んでいる表情を装って答えるようにしている。


そんな男に話を振るのは無意味と気付いたのか、意見を聞かれることもほとんどなくなり、以前にも増して僕は空気のような存在になっていた。


なぜそんなに気になるのだろう。

知った所で、恐怖を掻き立てられるだけじゃないか。

負ける時は負けるし、死ぬ時は死ぬ。

戦争について考えるべきは、それをやりたい奴らと、実際に戦う兵士だけで十分だ。


「ねえ、ルカ。あなたの所はどうなの?」


どこのグループに入ろうかと迷っている僕に、声をかけたのはレジーナだった。

彼女は唯一、空気と化した僕にも昔と変わらずに話しかけてくる人間だ。


「え、なにが?」


不意を突かれた質問に、いつもの返答で逃げることも出来ず、会話に入れられてしまう。


「あなたの鍛冶屋にもやっぱり注文が増えたりしているのかしら。刀とか、武装器具の類とか。」


レジーナの隣に立つマルセルが、僕に話を振ったことに不機嫌さを表した顔をしている。


「ああ、おじさんの鍛冶屋には、今はまだ影響は出ていないよ。」


「そうなのね。」


手招きされ、そのまま彼女の隣に立ち、輪の中に入った。



「それでもいざという時に備えるくらいは必要じゃないか。」

「また戦地にされた村がひとつなくなったって聞いたぞ。」

「このまま続けばまた志願者を募ることになる。」


他方から口々に言葉が飛び交う。



わかってる。

こんな不安を抱くのが普通なのだろう。


だがたった今、神の教えを聞き愛を説いた直後に、こんな話で思考を汚したくはない。



⋯いや、ある一節が頭をよぎる。


家の主人は

泥棒がいつやって来るかを知っていたら

自分の家に押し入らせはしないだろう


「あなたがたも用心していなさい。人の子は思いがけない時に来るから⋯」


「え?」


ボソッと呟いた声が隣まで聞こえていたらしい。

レジーナが驚いた様子で僕の顔を見上げている。


「あ、いや。」


「その通りだ。僕らはいつだって用意していなければいけない。いつ主が来てもいいように。神の降りるこの地を守らなければならない。」

「そうだ。」


僕の言葉に賛同する声が響く。


余計なことを言ってしまった。

僕を置いて話は盛り上がりを見せていく。


居心地が悪い。

その場から身を引くように後ずさりした。


「ルカ。」


レジーナが僕を呼び止めようとしたが、マルセルがそれを阻止している。


幸いだ。

ここを早く立ち去りたい。


僕はひとり早々と帰路についた。


穏やかに流れていく薄茶色の景色を眺め深呼吸する。



僕だって知っている。

戦地となった土地でどのようなことが行われているのか。

片田舎のこんな所にまで話は届いている。


人が集まると必ずその話が持ち上がり、涙を浮かべて犠牲を嘆いたり、敵国の悲惨さを恨み唇をかみしめたりする。

戦を知らない農民たちが兵士の失態に文句を言うのもしばしば耳にした。


だけど、僕にはその話が全く現実的には思えなかった。

そんなことを聞いたとしても、僕の毎日は変わらないからだ。


恐怖はもちろんある。

こんな世の中になってから、自分がどんな風に死ぬのだろうかと考えるようになり、以前よりも死を間近に感じる。


だがやはり、朝起きて見える景色は変わらないし、その日やる作業をこなしていると、そんな考えもどこかへ追いやられていく。



「ルカ、今日は安息日だ。家に帰れ。」


考え事をしながら歩いていると、自然と足がここに向かっていたらしい。


「おじさん、おじさんももう帰ってたんだ。早いね。」


キリロスおじさんは僕の名付け親であり親方でもある。


「当たり前だ。わたしは噂話に興味はない。」


「僕もだよ。」


おじさんと僕はとても気が合う。

僕にとってそう思える人は、唯一と言ってもいいくらいだ。


「自分でも気づかないうちにここに来てしまったみたいだ。」


「よっぽど仕事が好きなんだな。少し休んでいくか。」


そう言うおじさんは、顔色を変えはしないが、優しく微笑んでいるように見える。


傷や火傷でごわついた硬い手で、家に招き入れてくれた。


「兄さんは一緒じゃないのか。」


「ああ、マルセルは僕と違って噂話が好きなのさ。」


「そうか。」


おじさんは口数が少ないが、僕ら兄弟の不仲を心配して、たまに様子を聞いてくる。

きっと、兄弟仲を裂いたのが自分だと責任を感じているに違いない。


兄は将来、父の農地を譲り受けることになっている。


種まきや刈入れなどの忙しい時期は僕も作業を手伝うこともあるが、普段はおじさんの鍛冶屋で弟子として働いている。


僕の代父を頼むほど、父とおじさんは昔から仲が良かった。

おじさん夫婦の子はふたりとも娘で跡継ぎに恵まれず、僕が六つの頃に父の承諾を得て、将来自分の鍛冶屋を継がせると約束した。


兄とはその頃から一緒に過ごす時間も減り、会話も少なくなっていった。


だがそれは、おじさんのせいでは決してない。

そもそも僕らはあまり会話をしないというだけで、不仲というほどではない。

僕はそう思っている。


「この年頃になれば兄弟の仲なんてそんなものだよ。」


「そうだな。」


人の事を言えた立場ではないが、おじさんは誤解されやすい。

いかつい体格に、無口な職人気質。

そのうえ目は鋭く表情が顔に出ないので、いつも怒っているように見える。


それでもある程度一緒にいると、気性の波が穏やかで根が優しい事がわかる。


無理にしゃべらなくてもいい。

静寂を埋める必要がないこの関係は、僕にとってはとても心地のいいものだった。


「ルカ、今度都市まで品物を売りに行く。ひと月ほどここを離れると思うがお前にも来て欲しい。」


「え?売りにってなにを?領主さんたちの許可はもらっているの?」


突然の提案に嫌な予感がする。


「もちろん武器の類だ。カラフさんには話してある。お前の父さんにも伝えた。」


「カラフさんにはって…」


いや、いい。

上手くやれということなのだろう。

そんなことよりも、胸の奥で縮こまり浅くなる呼吸に、逃げ場のないざわめきを感じる。


戦争がすぐそばまで近づいている。


「なら明日からの作業はそれに集中することになるね。」


「ああ。」


着いて行かないという選択肢はない。

将来的に、跡継ぎとしておじさんの仕事を学ぶことは必須だ。


都市とは違って、農村の鍛冶屋は必要とされる物はなんでもうけおう。

農民が日々の作業で使う農具、蹄鉄、ナイフなどの刃物や食器。

最近は、戦へ向かう途中に村に宿泊した兵士が長剣や防具を求めることもあり、客も増えた。


都市に行き、市場値よりも安価で売れば儲けも見込めるだろう。

絶好の稼ぎ時と言ってもいい。

噂話に疎いおじさんも、間近に迫っている脅威を確かに感じているんだ。


家長である自分がいつ死ぬかの不安、戦争が続くことで徴税の負担が重くなる可能性、人口が減り作物を充分に育てられなくなることも考えられる。


ただでさえ寒冷が続いているっていうのに。

目をそらせても、強引に視界に入り込んでくる。


「またか。」


僕の嘆きに、おじさんも唇を固く結んだ。





 数年前、各地に広がった流行り病に僕らの村も襲われた。


村人の多くが苦しみ死んだにもかかわらず、悲しみに暮れる間も与えられなかった。

不作でパンも食べられなくなり、水気の多い粥で命を繋いだ時期もあった。


あんなのがまた起こるのだろうか。

追いやったはずの恐怖の波が、簡単に壁を越えて押し寄せる。


「神よ、正しい道を歩めるように僕らをお導き下さい。」


数日後、僕たちは村を出発した。


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