(十五) 神よ⋯
翌朝、僕は昨日よりも強い口調でリリィにさとした。
「リリィ、その花はもう捨てよう。いいな。」
「…わかった。」
「いい子だ。」
とりあえず枯れた花は処分させた。
もちろんこれで終わらない事はわかっている。
だけど、すぐに何か起こるということはないだろう。
ウィルも最近働きに出始めた。
リリィの近くをうろつく機会も減る。
ウィルは彼の父親と同じく、領主お抱えの騎士らの馬の世話が主な業務だ。
戦場へ向かう時、ウィルも共に付き添うことになる。
あと数年、それまでの辛抱だ。
しかしリリィは今日もまだ落ち込んでいるな。
「リリィ、今日新しい花を摘みに行こうか。」
僕の誘いにリリィは静かに頷くだけだった。
かける言葉を間違ったか?
「僕から君に花をプレゼントさせてほしい。」
おっ…
僕の提案にリリィのブルーの瞳が大きく見開かれ、こちらを見つめる。
なんて美しい青空が広がっているのだろう。
どこまでも続きそうな深い青の空間に、なにかがドクドクと僕の内を跳ねだし、思わず胸の辺りを手で抑えた。
この体にもまだ、脈はあるんだっけか?
そんな妙な気がする。
少しの間立ち止まっていると、なぜか死ぬ前のルカの姿に戻っていることに気付いた。
「早く行こう。」
リリィははしゃいでいるのか、ピョンピョンと跳ねながら僕から離れていく。
「待って…」
置いていかれる―
とっさに手を伸ばすが、すぐに思いなおした。
僕は死んでいるんだ。
脈なんてないし、すぐにリリィの元へ行ける。
大丈夫だ。
目を閉じ深呼吸をすると、胸の高鳴りは消えた。
そして目を開けると、いつも通り僕の体はリリィの横に立っていた。
ほら、なんともないじゃないか。
だけど、今のはなんだ?
生きている感覚を思い出した…
というより、一瞬、死んだことを忘れた。
生と死の垣根が曖昧になっている。
もう一度胸を押さえてみるが、今度は中身が空洞かのように無音だった。
いつもの鼻歌が横から聞こえ顔を向けると、クッと上がった口角の横にエクボが見える。
「ここで少し休みましょう。」
シモーヌは午後の散歩に、村の広場の方まで子供らを連れて行った。
その帰り道、川沿いの草むらで休憩しようと提案する。
広場まで行くときは、いつもそうだ。
この道は、陽気がよくなる頃に様々な色の花を咲かせる。
蝶やハチなんかも花々の間を飛び回っているが、ここには、光る羽を生やした小さな天使が多く集まっているのだ。
彼らはリリィの肩や頭の上に乗りくつろぐ。
リリィのお気に入りの場所。
それに、天使たちにとってもリリィはお気に入りらしい。
彼らにも好き嫌いがあるようで、シモーヌやトールのそばにはあまり寄りたがらない。
だがウィルやリリィの周りには、光る粉をまきながら近寄ってくるのだ。
もし生きている頃に彼らが見えていて、自分の傍には寄り付かないと知れば、少しショックだったろうな。
彼らは生きている物が好きだ。
肉体をまとわないものには関心を示さないから。
それとも、僕らの姿が見えていないのか?
まあなんであれ、彼らが近くにいるとリリィの機嫌は良くなる。
僕にとってはありがたいことだ。
「花がいっぱい咲いてるよ。」
よかった。
今朝の機嫌の悪さが嘘のようにリリィは楽しそうにしている。
だがすぐに、僕はその笑顔を枯らしてしまった。
なぜあんなことを言ってしまったのだろう。
ゴクリとつばを飲み込む音に、緊張が増す。
「フゥー」
今更後には引けない。
期待に満ちた視線を感じながら、僕は意を決して目の前の花に手を伸ばした。
「創造するんだ。」
念じるように、指先に力を込める。
「掴める。」
だが、僕の手は空を握っただけだった。
リリィに、花をプレゼントさせてほしいと言ったけど、失念だった。
僕の体は物に触れられない。
花を摘もうと茎を引っこ抜く動作を繰り返すが、何度やっても同じだ。
「リリィ、ごめん…」
僕は不甲斐ない守り手だ。
また落ち込ませてしまっただろうか。
恐る恐る顔を上げ、リリィの機嫌を伺う。
だが、リリィは予想外の表情をしていた。
眉を下げ、哀れそうにこちらを見つめているのだ。
「もう大丈夫だよ。」
そう言って、少し微笑みながら首を横に振る始末。
その反応、それはそれで傷つく。
「可愛そうに。」そんな風に言われている気がした。
ごねてくれたらまだ良かったのに。
リリィはなにも気にしていない素振りで自ら花を摘みだした。
「はあ…」
僕はこの体のせいで、やってあげられない事が多い。
軽口をたたいて約束などしてはいけなかったんだ。
花を摘めない。
それだけのことなのに、やはりリリィを幸せにできるのは僕ではないと、突き付けられたようで悲しい。
ウィルはこんなことを当たり前にやってのけるというのに…
こんな気持ちはおかしい。
相手は六歳の少年だ。
どうかしてる。
僕だって今は三歳の少年の姿だけど、そうゆうことじゃない。
それにこれから先、リリィがピンチの時にどうやって危険を回避すればいい。
物を動かせたら、変えられることもあるはずだ。
「そんなに落ち込まないで。」
僕のあまりのうなだれ様に、リリィが同情をする。
「ああ、ありがとう。大丈夫だよ。」
立場があべこべだ。
こんな小さな子に励まされて。
いや、リリィが哀れな人間に気を遣えるほど大人になったということか。
哀れか…
なんて無様なのだろう。
「死ぬって、こうゆうことなんだな。」
リリィが遠くに感じる。
花を摘む後姿は見えているけど、なにを考えているか全くわからないし、波も捉えられていない。
きっと今は心に余裕がないからだろう。
そんなことを考え、ぼうっと花を眺めていると、クロシェットの顔が浮かんだ。
そして、小さな手の温度を思い出す。
「駄目だ。」
なに悠長なことを言っているんだ。
守り手である僕に、これ以上に重要なことなどないはずだ。
どんな時でもリリィの波を感じろ。
無力な僕は悩んでなんていられないのだから。
目を閉じて、意識を集中させる。
「ララ~」
歌声の中でリリィを探していると、多方から音が響きはじめ、つられるように自分の声を重ねた。
二人の息は一つになる。
来た。
また昨夜と同じあの感覚。
トク トク…
僕の中でリリィの心臓が動いている。
心地いい。
胸に手を当てると、一定のリズムで振動が伝わってくる。
林の中の水車を思い出すな。
川の水の流れにカタカタと鳴る、あの音に似ている。
そうか、僕らはこの星と共に生きているのか。
僕とリリィは、やっぱり一緒なんだ。
その確信になぜか、胸がつぶされるような思いがして、とっさに瞼を開けた。
しかしまだ夢の中にいるようでクラクラする。
熱い。
このむな苦しさに、リリィが影響されていないかと不安がよぎったが、大丈夫だ。
今のリリィは軽やかだ。
漂いにどっぷりと浸かると、自分のことのようにリリィのことが分かる。
シモーヌの守り手もこれを感じているのか。
徐々に思考がハッキリとしてきたので、僕はシモーヌたちの様子を観察することにした。
シモーヌは子供らから目を離し、川が流れるのを見ている。
しかし守り手は、そんなシモーヌから目を離さない。
ただそばに立って見守っている。
いつも通り、なんの変哲もない。
だが僕には、彼女がシモーヌの波に浸っているのがわかった。
その状態が全く当たり前のことのように、二人は一つだった。
いつもそうなのか?
集中せずとも、常にその状態なのか?
何が違う。
僕とリリィの関係と。
僕は目ぼしい情報が得られないかと観察するが、取り立てた違いは見当たらない。
「ふぅ…」
限界だ。
集中が切れたその時
「そろそろ帰りますよ。」
子供らに呼びかけるシモーヌの声。
その言葉を発する前の息を吸うタイミング。
シモーヌに合わせて守り手が同じように息を吸った。
これなのか?
些細なことすぎて分からなかった。
気のせいかもしれない。
僕は確証を得るため、視線を下げ耳をこらした。
集中を聴覚に絞る。
すると自分が、シモーヌたちのすぐそばにいる気がした。
ハァ スゥ ハァ スゥ…
小さいが、聞こえる。
間違いない。
ふたりの呼吸は、完全にシンクロしている。
これが波を理解するカギだ。
ああ、だからあの時…
「リリィと一緒に息をしろ。」
ケイシが言っていたのは、このことだったんだ。
こんなこと可能なのだろうか。
誰かの呼吸と自分のを、完全に一致させるなんて。
あれから数日、僕はシモーヌたちの日常を出来る限り観察したが、一度もふたりの呼吸がズレることはなかった。
他の縁人と守り手の様子も観察したが、これほどの一致は見せない。
僕もこれに気付いてからは、リリィの呼吸に合わせるようにしているが、少しと経たないうちに集中がこと切れてしまうのだ。
しかもそれが可能なのは、リリィの睡眠中のみ。
リリィがなにかしら行動したり、言葉を発したり、周りに影響を受けたりしていると、どうしても意識はそちらへ向いてしまう。
だからこそわかる。
彼女のすごさが。
「あんなの、ありえないだろ。」
信じられないほどの完璧な完成度。
とんでもない執念だ。
シモーヌの守り手は、どれ程の時間、どれほどの労力をかけてこんなことをやってきたんだ。
ここ数日、そのうちの数時間だけで、僕はこの有様だというのに。
力の入りきらない指を曲げ、震える拳を握り締める。
挫折しそうだ。
意識の集中を続けていると、ものすごい疲労感に襲われる。
初めのうちは、死んでいてもこんな風に疲弊できるのかと感動したが、今はそれどころではない。
この重さはなんなのだろう。
肉体の消耗とは違う。
自分の腕を持ち上げるのも、もう嫌だ。
「思考に囚われているね。言ったじゃないか、波は感じるものだと。自分をないものとするから、そうなる。」
僕は瞼を持ち上げるのを諦め、黙ってケイシの声を聞いた。
「 “何かを成すのは労力のいること” という思い込みは使わなくていい。君のその疲れは、世界の仕組みに逆行することで起こる。言うなれば力業で世界を変えようっていうんだ。大変非効率。人間がやりそうなことだ。」
「思考を使うというのは限界がある。沁みついた概念の中でしか思考はできない。ひらめきは思考を手放した時に起こる。彼らの呼吸の一致に気が付いたのもその瞬間だったはずだ。」
「呼吸を合わせているから波が理解できる。そう思っているね。」
そうじゃないのか?
「逆だよ。波がわかるから呼吸が一致しているんだ。おかしいと思わないか? 肉体のない私たちは、呼吸を必要としない。私たちが呼吸しないとどうなると思う?」
そう言い、ケイシは人差し指で僕の唇に軽く触れた。
ん?
なにが起こった。
息ができない、のか?
ケイシは僕になにをした。
焦りで頭が真っ白になり、余計に喉が絞まっていく。
ケイシは首を押さえ悶える僕の様子を、表情一つ変えずに見下ろす。
爪が肉に食い込むが、痛みもわからない。
死んでいるのに、命の危機を感じる。
「そうだよ、苦しいんだ。肉体に入っている状態と同じように苦しい。だが死ぬこともできない。」
次にケイシは、僕の背後に現れ、背中の上部をぽんっと軽く叩いた。
スゥ―
絞まった喉が開け、胸が一気に満たされる。
呼吸できることのありがたみに涙が流れた。
そして感情が高鳴り、吐き出す息の中で思わず呼び求めていた。
「神よ…」
奥深くから感謝の念が沸き起こる。
当たり前すぎて気付けなかった奇跡が、神の存在を僕に知らせている。
「なぜだと思う? 呼吸はなんの反転だ? この行為の本質はなんだ?」
呼吸の本質…
この喜びの根源は、神なのか?
「呼吸とは空気を吐き出し、吸うこと。“気”だよ。つまり、自分の気持ちを吐き、空間の気を取り込む。神を呼び求め、その返事を受け取る。自分の内の想いを放ち、外の情景がそれを映し出す。まさにこれぞ本質だ。」
そうか、僕はずっと、生きている頃からひと時の欠けもなく、神と意思疎通を交わしていたということか。
「『リリィと一緒に息をしろ』それと同時に『自分のままでいろ』そう言ったはず。リリィのみに重きを置いていては波はわからない。守り手と縁人は一つで生きているんだ。リリィだけに生きさせるな。リリィを一人にするな。」
そんな… 僕が、リリィを一人に…
自分の不甲斐なさが憎らしい。
リリィの呼吸に合わせることだけを考えて、自分をないものとすることは、リリィを一人にさせることだった。
自分でも気が付かないうちにまた、寄りかかってしまっていた。
しかも今度はリリィを壁にして。
自分の足で立たないと、そう言い聞かせていたのに。
「そうだよ。自己を犠牲にすることは、他を尊重することにはならない。他と個の区別をより一層強化させる。自己犠牲の精神がなにを生み出すのかわかるか?」
その質問に僕は黙ってうなづいた。
「『自分と同じように隣人を愛する』君の好きな教えだね。自己犠牲とはつまり、人にも己を犠牲にしろと言うことと同等。君は、リリィにそれをさせたいとは思わないだろう。ならば自分を尊重し大切に扱う。それがこの教えを最大限有意義な教えにしてやれる方法だ。素晴らしい教えだね。まさに神の言葉だ。」
「ララ~…」
え?
唐突に聞こえだすケイシの歌声に、僕は顔を上げる。
驚いたせいなのか、先程まで感じていたダルさを忘れて体が反応した。
綺麗な声⋯
歌声と共に、キラキラとしたチリのようなものがこちらに向かってくる。
僕はそれを深く吸い込んだ。
癒しが体中に広がっていく。
内側の光が戻るような感覚に、胸を押さえ温かさを実感する。
「あの、ケイシ」
「体は癒えたか?」
そう聞かれて、重さが全く無くなっていることに気が付いた。
腕を持ち上げるのも軽々だ。
「音楽は素晴らしい。君もそう思うだろ?」
音楽?
それで僕の体は力が戻ったというのか。
「君はリリィを感じるのに音を使っていただろう。」
祈りや鼻歌のことか?
「そう、音とは共感だ。わかり合いたいという思いが音となる。音を楽しむとは、一つになろうとすること。本来の姿に戻る。一が、全の中の一だということを思い出す。音楽は本質に立ち返る行為なんだ。これほど強力なものを人は使える。」
そうか、だからあの時僕らは一つになったんだ。
「音が世界中に、同時に木霊する時代が来る。それは転機だ。変化の準備が整い、世界がひとつになれる時。そのきっかけを一人一人が繋いでいく。反転の法則、このカラクリが逆転するという事だ。」
「それは」
「物質優位の矛盾が暴かれる。まだ先のことだ。君らからしたら気の遠くなるほど先のことかもしれない。だが時が来ればわかる。誰であれ他人事ではいられない。」
「君がこの音を繋いでいくんだ。そうすれば世界はひっくりかえる。」




