(十四) 高揚
僕は波をもっと理解しなくてはならない。
先日リリィが病にかかった一件で、そう強く思った。
自分の発している波と、それによりリリィが作り出す波。
あとどのくらいあるかわからない。
二、三年だろうか。
これまでのように簡単には意思疎通ができなくなるだろう。
このことを考慮して、新たな繋がりを構築するのだ。
周りには、学習材料となる人たちがたくさんいる。
あの時シモーヌは、間違いなく守り手からの影響を受けていた。
ここに僕の知ろうとするなにか、それに繋がるカギがきっとあるはずだ。
とりあえず、シモーヌと守り手の日常を観察することにしよう。
「リリィ、なにかあればすぐに僕に言うんだよ。どこか痛いとか、苦しいとか、小さなことでもいい。全部言ってくれ。」
「わかった。」
シモーヌと守り手の関係を探るのもそうだが、リリィがどんな時にどう感じているかを知るのも手掛かりとなるだろう。
些細なことでも教えてくれると助かる。
僕らが会話を出来るうちに。
「だけど、人がいる時はこっちを見て話さないんだよ。独り言のようにつぶやいてくれればいい。わかったか?」
「わかった。」
「よし、いい子だ。」
リリィはあれから数日、熱が上がったり下がったりを繰り返し、体が少しこけたようだが順調に回復した。
今日からまた使用人の子らみんなと過ごすことになった。
だが、子供らの数は少ない。
あの後次々に他の子も体調を崩しはじめ、寝込んでいるからだ。
その分、シモーヌがリリィと接する機会も多くなる。
これは僕にとっては好都合だ。
「リリィは旦那様の二人目のお嬢様につくことになると思います。年はそう変わりませんが、失礼を働いてはいけません⋯」
しかし、特別なことはなにも起きないな。
シモーヌと守り手は適度な距離を保ち、ただそばにいるだけのように見える。
彼女の守り手は基本的に干渉することはない。
しかし目線だけは常にシモーヌの姿を捉え、目を離すのは音や匂いに集中する時くらいだ。
僕のように縁人に触れようとしたり、笑顔を向けたり、名前を読んだりはしないのか。
なんだかそっけない関係性だな。
これまで特別注意して他の縁人と守り手の様子を観察したことはなかったから、発見は多い。
本当にみんなそれぞれなのだ。
トールの守り手は、少し前に自分の存在を忘れられたことに対して、打撃を受ける様子はみじんも感じられない。
これまで通り、トールの行いに鼓舞する言葉を送り、手を叩いて励ましている。
隣に立つときは肩に手を置き、褒める時は頭をワシャワシャと豪快に撫でる。
トールの目には映らなくても、守り手に激しく応援されている時、トールは一層やる気をみなぎらせるように見える。
ウィルの守り手はシスターの恰好をした女性だ。
彼は今、リリィと同じ病にかかっているが、ウィルの枕元で祈りをささげる守り手の様子が容易に想像できる。
彼女は穏やかで動物にも優しい。
馬を世話するウィルの横で、息を荒げたじゃじゃ馬を落ち着かせるのに一役買っている。
みんな縁人にお似合いの守り手が付くようだ。
ケイシも以前言っていたな、僕がリリィの守り手にピッタリだと。
だがこれだけは賛成できない。
そう言われるのは嬉しいが、僕とリリィがお似合いだとは全く思えないのだ。
僕はリリィにもっと色んな事をしてやれる守り手になりたい。
リリィが他の人には言えない悩みを、僕だけは黙って察してやれるようになりたい。
リリィの喜ぶ顔を誰よりも引き出せる人間になりたい。
僕がリリィを幸せに⋯
「君はリリィを幸せにする必要があるか?」
ケイシのあの言葉はどうゆう意味だったのだろう。
もちろん、人生の学びが幸せになることだけじゃないのはわかってる。
だけどなにか引っかかる。
せっかく生きているんだ。
せっかくそばにいるのだから、幸せにしてやりたいと思うのは悪いことではないはずだ。
リリィを幸せにする。
これを望んでいいのは、僕の役目ではないということか?
ん?
トールが少し離れた場所からリリィを見ている。
なにか言いたいことがあるのだろうか。
「なあリリィ、これ。」
「お花?」
「ああ。」
トールがしおれた花をリリィに差し出している。
どうゆうつもりだ?
トールらしくない。
「枯れてるよ。」
ほら、リリィがけげんそうな顔をしているじゃないか。
「ああ、数日前に摘んだ花だからな。」
トールが花を強引に押し付けてくるので、リリィは仕方なくそれを受け取った。
するとトールはすぐさま走り去っていく。
トールは僕らのことを忘れる少し前から、剣の稽古に参加するようになった。
日中、シモーヌたちと過ごすことがなくなり、リリィと顔を合わせるのは朝と夜、自宅でのみだ。
その上、病にかかったリリィはここ最近、家に帰っていなかったのでなんだか久しい気がする。
「会わない間に一気に大人びて驚いたな。」
家に帰るなりいちばんに、リリィはかれた花を水に差す。
「多分その花、もう無理だと思うよ。」
「いいの。」
リリィは構わずにそれをテーブルに置いた。
「なんだこの花。エミリー、君なのか? 食事するから片付けてくれよ。」
ジルが不愉快そうな声をあげる。
そりゃあそうだ。
「だから言ったじゃないか。」
僕はリリィの背後から声をかけた。
「ああ、それね。その花はリリィが置いたのよ。リリィ、その枯れた花を片付けなさい。」
「はい⋯」
リリィはジルとエミリーの言葉にシュンとして花瓶を下げている。
「なんったってわざわざ枯れた花を持ち帰って来るのかね。変な子だ。」
仕方ないのだが、あまりの言われように僕はリリィが可哀想になった。
「リリィ、トールが強引に渡してきたって言えばいいじゃないか。」
だがリリィは黙って首を横に振る。
「トールもなにか言えよ。」
彼らの会話が耳に入っているはずなのに、トールはなんの関係もないというような顔をして食事を続けていた。
「なんだよ。」
僕の声が聞こえないのはわかっているが、リリィが悲しそうな顔をしているのは見えているだろ。
「待て待て、これは演劇だ。熱くなるな。」
そう自分に言い聞かせてから、僕はトールの守り手に声をかけた。
「あの花、なんなんですか? トールはどうゆうつもりで」
「あれはウィルから渡して欲しいと託されたんだ。」
ウィル?
予想外の答えに、キョトンとした顔を向けていたらしい。
トールの守り手は僕を見て笑って言った。
「可愛いじゃないか。ウィルはリリィの具合が心配で隠れて見舞いに行こうとしていたんだ。トールもそれに付き合わされてな。」
「そうだったんですか。」
「まあ、結局見つかって花は渡せずじまいだったが。」
気が付かなかったな。
僕が彼らの波を感じられていたら、ふたりがリリィの心配をしていたのに気が付けたのだろうか。
「落ち込むウィルを見てトールがな、自分が代わりに渡してやるって言ったのさ。優しい子だろ? トールはああ見えてそうゆう友達思いの所があるんだよ。いい子なんだ。」
なんて嬉しそうに話すのだろう。
トールの守り手は、身振り手振りで自慢げに自分の縁人の事を言っている。
「そうですね、なんだかんだリリィのことも見ているようだし。」
僕の返事に彼は得意になり、さらに嬉しそうな顔をした。
「そうなんだ。トールは良い指揮官になる。下の者らもよく見ていて、さり気なく手を差し伸べるし⋯」
だけど、それならそうと言ってくれたらよかったのに。
リリィにはウィルからだってことは伝わっていないぞ。
おかしな奴だ。
そう思いトールを見ると、やはり落ち込んでいるリリィに目も向けず知らん顔でいる。
⋯というか、あえて見ないようにしている?
いや、いつも通りと言われればいつも通りだ。
だけどなんだ、この違和感は。
怒っているのか?
トールが不機嫌なように見えるのは気のせいだろうか。
いや待て、これはもしやトールの波なのでは?
僕はトールの不愉快な感情の波を今、感じとっているのかもしれない。
「トールは今機嫌が悪いですよね!?」
僕の大きな声に、トールの守り手はやっと自分の縁人の自慢話をやめた。
「そうだな、あの花がトールの癇に障っているようだ。」
彼は腕組をしてそう答える。
やっぱり。
なんとなくだが波がわかった。
わかったと言いながら説明できるほどのものではないが、これは僕にとって大きな一歩だ。
僕はこれまでリリィ以外に、なんとなくこうかな?などという“感“を働かせたことはなかった。
今までの僕なら気が付けなかっただろう。
だって見る限りでは、いつもとなんら変わりない家族の食卓だ。
「感謝します。あなたのお陰で少しわかりました。」
この感激から、僕は満面の笑顔でトールの守り手にお礼を言った。
「ああ、トールのことならなんでも聞いてくれ。」
すごいすごい。
僕は波をマスターしたぞ。
よおし、この感覚を磨いていこう。
そうしたら、しゃべらずとも波だけでリリィと会話することもできるかもしれない。
シモーヌたちのように。
そうウキウキしている僕を、リリィは不思議そうに見つめていた。
「ごめんごめん、お祈りの時間だよな。」
リリィは眠る前、必ず祈りをささげる。
「今日は星が出ているようだね。」
気分の高揚した僕に向かって、リリィはシーと、唇の前で指を立て静かにと注意する。
わかったよ。
僕もいつも通り、リリィの隣に膝を付いた。
「「天にまします我らの父よ⋯」」
この時、僕らの息はピッタリと重なり合う。
そういえば、リリィと呼吸を合わせた時にリリィの異変に気が付くことが多いな。
今だってほら、リリィが少し気が落ちているのを感じる。
それにリリィの命である血流が、体内を巡る二本の道を泳いでいるのが分かる。
なんだかフワフワとしてくるな⋯
僕は目を閉じながらリリィの状態を堪能した。
すると更に気持ちがよくなり、僕とリリィが一つの生き物のように溶けあっていくのが分かった。
トクトク⋯
リリィの鼓動が自分の胸の辺りから聞こえる。
不思議だ。
僕らが一つなのが、当然のことのように懐かしい。
僕らは一つの心臓を、二人で分け合って生きているんだ。
リリィの中に深く深く落ちていく。
ハッ―
「ルカ起きて。」
目を開けると、リリィが僕の顔を心配そうに覗き込んでいた。
「ああ、ごめん。」
「私ももう眠るね。」
「ああ、わかった。おやすみ。」
リリィは寝床に潜り込むなり、すぐに夢に入っていった。
今のはなんだったんだ。
僕は眠っていたのか?
未知の感覚に少しの間、放心した。
だけどこの感覚、虜になりそうだ。
僕は今、リリィの波をこの身すべてで感じていたのではないかと、そんな風に思う。
波に浸っていたと言った方がふさわしいだろうか。
とにかく、僕らにはまだまだ可能性がある。
僕は、リリィと自分が一つになれば、なんでも出来るのではないかという思いに駆られた。
練習しよう。
隣で眠るリリィの寝息に呼吸を重ねる。
だが一向に、先ほどの高揚は訪れない。
「おかしいな。さっきとなにが違うのだろう。」
何度かやってはみたが、いつも通り落ち着くだけで夢の世界に入っては行けなかった。
焦るな。
焦ってもいいことはない。
ひとまず今夜は、いつも通り考え事をしながら短い夜を過ごそう。
「あぁ⋯」
トールがなにやら寝言を言っている。
「ウィ⋯」
「シー、リリィが起きちゃうじゃないか。」
そういえば、トールはなぜあんなに不機嫌だったのだろう。
トールの守り手はあの花のせいで、みたいなことを言っていたな。
花に何かあったのか?
しかし花を水につけていたら、あそこまで枯れはしなかったろうに。
ウィルがリリィに渡したかった花⋯
「可愛いじゃないか。ウィルはリリィの具合が心配で⋯」
トールの守り手の言葉が思い出される。
リリィはウィルに好意を持たれている?
いやいや、リリィはまだ四歳だ。
そんなのは早すぎる。
しかし、トールがそう感じたのなら?
これは見逃してはおけない。
「ウィル⋯」
トールの寝言がはっきりと奴を名指しした。
そうか、トール⋯
僕はトールの寝顔の前に思いっきり顔を近づけ、彼を称賛した。
「よくやったトール。僕は君の味方だ。」
あの花がウィルからだとリリィに伝えてくれなくてよかった。
花を枯らしたことも褒めてやろう。
それでいい。
兄は妹を守るものだ。
しかしウィルとの約束は破れなかったらしい。
そもそも渡さなきゃよかったものを、律儀にリリィに手渡してしまったのだから。
それであの言われようをされたなら、確かに不機嫌になるのもわかる。
僕はトールをはじめて可愛い子だと思った。
「大事な妹を他の男になんて、簡単には渡したくないよな。」
トールはきっと、僕と同じような危機感を味わったことだろう。
だがいつかは、リリィを誰かに託さなくてはいけない時が来る。
それはずっと先のことだ。
そうでなくてはいけない。
それでも、その時のことを考えると⋯
うん、僕がそれを快く受け入れることはないだろうと思う。
相手が誰であれだ。
リリィを幸せにするのは僕なんだ。
⋯違う。
それを叶えてやれる役目は、僕にはまわってこない。
ケイシの言葉に引っかかっていた理由がわかった。
「僕じゃないんだ⋯」